3月29日     キングのゴール
 正にカズがピッチで躍った!今夜開催された日本代表VSJリー
グ選抜、震災の被災地に向けた夢のようなサッカーの試合。そし
て驚く44歳の現役選手、三浦和良によるゴール。勿論、お膳立て
した他の選手も素晴らしかったが、きっちり決めてしまう所が凄い。

3月28日     東京、開花
 震災報道で意識をとらわれがちだが今年のソメイヨシノはしっか
りと東京で今日、開花したという。これは予報よりも一日早い。地
震もまた自然の出来事であるが、桜もまた自然の出来事である。
「色は匂へど」・・・我々は万物の形が永遠でない事を知っていた。

3月27日     『太郎の塔』に滝の涙
 NHK土曜ドラマ『太郎の塔』が震災で2週間中断したのち、待ちに
待った再開を果たした。このドラマは、あらゆる芸術家が抱える産
みの苦しみをリアルに、そして熱情的に表現している。特に昨夜の
放送、恥ずかしながら途中からは滝の涙が止まることがなかった。

3月26日     つまりは放射能のことをもっと勉強せよ
 固定概念やイメージにとらわれてしまうと、まるで逆の行動をとっ
てしまうのが人間の性だ。今回の買いだめだって、卵や納豆、こん
な日持ちもしないもの、何で蓄えるの?カップ麺だって実は半年も
持たないのをご存知でない?冷静さを失わない為の知識が必要。

3月25日     熱い飲み物は滅菌されているということ
 細菌は生き物なので人間と同じ。温かい所を好みます。しかし熱
には弱い。だから衛生状態の悪い国での冷たい飲み物は危険だ。
カレーがインド料理であることを思い出してみて。暑い国だからこ
そ辛い物を食し、発汗によって体を冷ます。何が言いたいかって?

3月24日     真っ白な濡れた布と土まみれで乾いた雑巾と
 あなたはどっちを選びますか?オレなら迷わず雑巾です。濡れて
いるというのはそれだけで細菌が繁殖しているということです。見た
目どんなに汚くても、乾いているのがまず先決。熱帯では炎天下で
も冷たいジュースと暑いコーヒーとでは、必ずコーヒーを選びなさい。

3月23日     放射能は、我々すべての責任
 今回の福島原発事故に対して、国や東京電力へ責任問題があげ
られているが、そもそもそれ程の電力を欲したのは我々である。そ
してその電力による豊かな生活を享受してきたのも我々である事を
忘れるな。これは報いなのだ、便利さばかりを求めてきた我々への。

3月22日     彼岸過ぎても
 寒気はやってきます。また「花冷え」という言葉があるように、桜が
咲いてからも季節が冬に逆もどりということも。大地震のことばかり
が頭にあって、桜の開花のことなぞどこかにいってしまった感じです。
昨日、今日と雨だったので、予報よりも先の開花になりそうな気が。

3月21日     昨日は満月でした
 そして今日が春分の日です。キリスト教は太陽暦をとりますが、復
活祭であるイースタだけは何故か太陰暦が元。これは、春分の日を
過ぎた最初の満月の夜にイエスが復活したという記述に基づきます。
つまり今年のイースタは異様に遅くくる。調べてみたら4/24とのこと。

3月20日     有るからそれを守ろうとする
 オレは携帯は持たない。最初からないからそれを守ろうとはしない。
だから携帯に執着もしない。オレは車を運転しない。だからガソリン
にも執着しない。人間最後に頼れるのはこの二本の脚だけだと思っ
ている。これは今まで電気も水もない世界中を旅して悟った結論だ。

3月19日     東京電力に感謝しないの?
 普段、私たちに電気を届けている東京電力。こういう時だからこそ
そのありがたみが分かる。ところが、その東京電力を非難しようとす
る人たちがいる。「原発は絶対大丈夫だ」って説明してたじゃないか
って事なんだろうが、今、東電はまさに命を賭しているのを理解せよ。

3月18日     レジュメ「いろはの歌」
 中年男の哀愁・・・要は「オレの女房だって昔は若くて可愛かったけ
ど、今じゃねー。そしてオレ自身だって目前の仕事をこなすことだけ
で精一杯の毎日、今さら若い時に描いていたような美女を脇にはべ
らせてなどという浅薄な夢に酔いしれたりもしないよ」ってところかな。

3月17日     補足その五「浅き夢見じ酔ひもせず」
 直訳すると「浅い夢見まい、酔いもしない」だが、これには青年男
子が必ずといっていいほど妄想する世界が窺える。浅い夢とは美し
い女をはべらせ夢うつつということだ。つまり「もうこの年齢になって
そんな妄想などしない、ましてやありえないことに酔ったりしない」と。

3月15日     補足その四「有為の奥山今日越えて」
 「有為の奥山」とは固有名詞ではなかろう。恐らくこの仮名の山を
越えた先に三途の川があり、その川を渡った所に死が待っている。
つまり「いろはの歌」の作者はまだ三途の川を見ていない、働き盛
りの中年男である。懸命に山場を乗り越えようとしてる最中なのだ。

3月14日     だけどその原発反対論者でも
 誤っていたことがある。彼は声を大にして豪語した。「たとえ日本
の原発がすべてなくなったにしても日本の電力供給に問題はなく、
十分に足りているのに国民を騙して増設している」もし彼の言う事
が正しかったら今日の計画停電の騒ぎにはならないはずだよね。

3月13日     「それみたことか」と言われそう
 知人に原発推進断固反対の人間がいる。今回の、福島原発の問
題はそういう人間に「それみたことか」と言われそうで耳が痛い。が
しかし、今日地震の規模がM9.0に修正された。千年に一度級の格
らしい。大丈夫、日本の技術をあの時のソビエトと一緒にするない。

3月12日     結局東京は震度いくつだったんだろう
 被災が東北地方に集中しているので報道も偏っているが、いざ東
京に着目すると、今回の地震は今後考えうる関東直下型大地震の
格好なシミュレーションになったのではないか?よくぞ倒れなかった
よね、スカイツリー。さすがだー。大丈夫、この技術で必ず復興する。

3月11日     さあもうザクなぞ造って寝よう
 どうしようもないね。鴨長明の『方丈記』の中に「あらゆる天災の
中でも最も恐ろしいのが地震」とある。その理由として「火事、竜巻
や台風とあるが、地形まで変えてしまうのは地震だけだからだ」と
記述している。さあもう今夜は1/144シャア・ザクなぞつくって寝よう。

3月10日     補足その三「我が世誰ぞ連れならん」
 「なのに、この世で一体誰を生涯の連れとしたものか」・・・まさに、
中年男悔悟の極みである。「本当にこいつと結婚してよかったのか。
いや女房とてオレと結婚して本当によかったと思ってるのか」疑念
と猜疑とが交じる一節だし、この感覚は世の古今東西を問わない。

3月9日     補足その二「散りぬるを」
 「散りぬるを」は肉体を花にみたてた比喩である。「どんなに若さを
誇っていても、いつかは老いて散る」・・・さも中年男が女房の姿をま
じまじと眺め、「若い時はそれなりに可愛かったけど、いつの間にか
ただのオバちゃんの体になっちゃったな」という嘆き声が聞こえる。

3月8日     補足その一「色は匂へど」
 まず「いろはの歌」だが、明らかに仏教の思想が前提にある。仏
教において「色」とは「肉体」の事を指す。「色即是空」とは「肉体は
空なのだ」という意味である。なので「色は匂へど」とくればその意
味は「若い女の体はピチピチして匂ってくるもんだけどねー」となる。

3月7日     「いろはの歌」に中年男の哀愁を感じる
 麗若い体は匂うほどに色っぽいものだが、やがては老いて散る。
なのにこの世で一体誰を生涯の連れとしたものか。数知れぬ試練
の山を越えることにひたすらもがく今日、もはや浅はかな夢に溺れ
て酔いしれることもない・・・オレが現代訳した「いろはの歌」である。

3月6日     売春はいけないこと
 そうは思っても売春が消えることはない世の中。殺人はいけない
こと。そうは思っても殺人が消えることはない世の中。賄賂はいけ
ないこと。そうは思っても賄賂が消えることはない世の中。でもホン
トにいけないこと?誰かが「いいんじゃない」と何故言い出せない?

3月5日     岡本太郎の涙
 岡本太郎は生涯に1、2度しか泣いたことがないらしい。彼が涙し
たのはピカソの絵を初めてじかに観たその時。帰るさ、パリの路線
バスの中でも涙がとめどもなくあふれたそうだ。その日以来、芸術
の鬼となった。「どうしたらピカソに対峙できるか」それ丈になった。

3月4日     日本語が腐る
 英語を、小学校のうちから勉強させてはならぬ。日本人はまずは
日本語。日本語は、マスターするのに一生かかる。基礎となる日本
語もまともにできない小学生に、どうして英語など教えようとするの
か。小学生から英語が嫌いになる生徒が増え、日本語が腐るだけ。

3月3日     オレは三島由紀夫を読破したが
 かの三島でさえも「真実」という語を小説の中ではただの一度も
用いていない。三島は「真実」という語の持つ本質を知っていたの
だ。それなのに今のメディアは安易に「真実」という語を使いたが
る。何という語彙力のなさ。要するに日本語を知らないだけのだ。

3月2日     「真実」と書けば書くほどウソに見える
 「〜の真実」やら「〜した真実」とか、やたらと真実という語を使い
たがるが、これらの真実はすべてウソである。そもそも真実が見え
るのは神のみであって、我々人間ごときは真実を知ることはできな
いからだ。この論理が分からないと、一生、世の本質を知りえない。

3月1日     父の涙を見たことがない
 オレは生まれてこの方、40年以上も父の姿を見てきているが、い
まだにオヤジが泣いたのを見たことがない。よく分かる。戦争の壮
絶さを体験したこの世代は、涙がいかに安っぽいものかを、知悉し
ているのだ。人間というのは、本当に悲しい時には泣かないものだ。



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