1月30日  ”林のオジさんその3” 
 取材への受け答えで家中てんやわんや。父は上役に呼び出され、
「何故そんな人間を家においておくんだっ」なる叱責を浴び、ついにオ
ジさん、出ていくことに。オジさんの飼っていた鳩たちだけが庭に残っ
た、幼心の寂しさよ。どうやら上役は部下の父に嫉妬しただけらしい。


1月29日  ”林のオジさんその2” 
 一時帰国を終え我々家族がインドネシアに戻ったとき、懐かしい日本
のお土産話を聞き里心でも起こしたか、オジさん故郷の四国に手紙を
出した。だが彼は地元では戦死したことになっていたのだ。さぁ大変だ
ということで我が家では日本のメディアからの国際電話が鳴りっぱなし。


1月28日   
 6才のころ、オレはインドネシアに居たのだが母屋に林のオジさんとい
う残留日本兵が居候していた。現地の華僑と結婚し、驚くことに日本人
だというのにイスラム教に改宗していた。「坊ちゃんごめんな、オジさん
これからお祈りせんとあかんでな」と言って二人の時間はよく裂かれた。


1月27日   
 この所インターネットのプロバイダとのトラブルが絶えない。突然「統
合及び新サービスのお知らせ」が届いたかと思うと、利用者の意志と
は一切関係なく、唐突に他と業務提携してしまうのだ。早い話、お陰で
現在は掲示板が使えない状態である。ご迷惑おかけして済みません。


1月26日   
 昨日はあべさとえ女史の成長をまざまざと魅せつけられたLIVEだっ
た。特にここ2、3ヶ月の成長には目覚しいものがある。前までは歌を歌
としていわば音符を歌っていただけだった。しかし今は、歌として心を
歌っている。だから一つ一つの歌詞からメッセージが伝わってくるのだ。


1月25日  ”あべさとえLIVE”
あべさとえ  代々木の「Bogaloo」というLiveHouseであべさとえ及び
さとえdeカモマイルの舞台を観た。あべは今春の映画
”ストロベリーフィールズ”の主題歌を歌う若手きっての
シンガーソングライタ。味わい深いvocalに魅了された。


1月24日   
 この間の日曜に上唇を噛んでしまった箇所が、案の定、口内炎とな
ってオレを悩ませている。これから春先にかけてはビタミンBが不足す
るので、口内炎には要注意。しかし「ペラックT錠」という薬が”トラネキ
サム酸”を含んでいて咽頭内の炎症によく効く。ノドの痛みにもいい。


1月23日  ”あと5曲” 
 今年に入ってから5曲目になる新曲を書きあげる。目標としている
20曲に到達する目途がたってきた。こんな調子いい時には、たくさん
書いてストックしておくに限る。スランプでは月に1曲くらいまでペース
が落ちてしまうからだ。それが終わっても、次には作詞が待っている。


1月22日   
 9.11が起こったとき、「やはり起こってしまったか。それ迄にイスラエ
ルに行っておいてよかった」と思った。あのテロの瞬間、「何でこんな
ことが起こってしまったのか?」と考えた人はまだ救われる。厄介なの
は、何が起こったのかさえ分からなかった人種(日本人の大多数)。


1月21日   
 東京地方の雪はようやく完全にあがったようだ。積雪は9cmに昇っ
たが、20年前の記憶からするとまだ生ぬるい。あの年は確か3月に
入ってからだったが、東京で60cmの積雪を記録した。通っていた高
校が雪のおかげで休校になったくらいだ。今年もその再現なるか?


1月20日   
 「ぶっそうな世の中になった」と嘆くものさしの短い大人たちに問い
たい。「それでは昔はぶっそうではなかったのか?」・・・宮崎勤の事
件のことを思いだして戴きたい。あれはもう18年も前のことである。
あの事件がぶっそうでなく、今のほうがぶっそうなどと誰が言えよう?


1月19日  ”おもてなし”
鶴見の小林邸  ”マダム”こと小林女史邸にて、ホームパーティ
のおもてなしを賜った。格別の料理に、至高なる
美酒。冬の夜の、楽しきひとときであった。このと
ころ随分と出不精していただけに、新鮮であった。


1月18日   
 奈良岡氏の我に問ひて曰く、「そが”イドラ”とは何ぞや」。我、
暫し考ゑしが答ふるに能はず。されど青春時代に思ひを馳せし
アイドル一人ありき。名を森尾由美といいしが、今なほTVにて
姿見かけることあり。現在の”イドラ”そはさるフィギアなるべし。


1月17日   
 青春時代(果たしてオレにそのようなものがあったかさえ疑問だ
が)には、自分は27歳までに死ぬものだと思っていた。それはブ
ライアン=ジョーンズへのあこがれか、はたまたシド=ヴィシャス
に対する羨望か?いずれにしても今なお生きている自分がある。


1月16日   
 父親が訴訟を受けている事件に関して、詳細を説明するべく
銀座にある弁護士の事務所に赴く。あさって18日に最初の公判
らしいが、裁判の行方がどうなるかはさっぱり検討つかず。と
ころで銀ブラしながら、近づきつつある春を感じるオレであった。


1月15日   
 つたない曲ではあるが、今年に入って2曲目の新曲が完成した。
オレは作曲をまず鼻歌からやり始めるので、自然と聞き手の耳
の印象に残る出来となる。いいメロディが浮かぶと、我が曲なが
ら自分の脳みそを走馬灯のように回り続けることが少なくない。


1月14日   
 「アイドル」というと若い人気タレントのことを指すが、その語源
はギリシア語の「イドラ(偶像)」=崇拝する対象という意味である。
釈迦もイエスもことごとく偶像崇拝を禁じた。しかし、あぁ偶像よ、
今日もまたその艶かしき匂いでもって、オレをもてあそぶのか!


1月13日   
 外は雨が降りだした。東京では久しぶりと言ってもいい降雨だ。
明日、あさってなどはまるで春うらら頃の気温にまで上昇するらし
い。間もなく寒中を迎えるというのに、これじゃ木々や動物だって
びっくり。今までが寒かったぶん、体調管理には気をつけるべし。


1月12日   
 実父が前に住んでいたマンションで水漏れ事件を起こし、ついに
当座の修理費をまかなった管理人から訴えられた。全額で5百万円
余を支払うよう地裁を通じて申しでてきたのだ。当然オレも裁判に
巻きこまれることとなる。近々当方の顧問弁護士と面会する予定だ。


1月11日  ”鏡開き” 
 鏡開きの今日、ようやく今年に入ってから最初の新曲が完成した。
ニ長調とニ短調を行き来する変わった風味の曲を書いてみたかった
のだ。しかも久しぶりにギターのイレギュラーチューニングを駆使し
てみた。現時点で創作の立往生はできなかったので、少し安心した。


1月10日   
 芸術家に休暇などいらない。1分・1秒たりとも創造への労力を惜し
まないのが芸術家ではなかろうか?英語のartの語源はギリシア語の
「技術」らしい。そういう意味では技術者もアーティスト。三度のメシよ
り機械いじりが好きだった本田宗一郎は芸術家でもあったと言える。


1月9日   
 成人式をオレは行かなかった。後年幼なじみに「散々オマエを会
場で探したんだよ」と言われて少しだけ後悔した。しかし、会いたい
と思うヤツよりも、会いたくないと思うヤツのほうが圧倒的に多かっ
た。今だったら、きっと出席したことだろう。会場は”渋公”だった。


1月8日 
 冬には、その寒さを口実に「いや、暖かくなってからやるよ」と言う。
春になると、その気だるさを理由に「もっと気分が冴えてくる季節を
待つよ」と言う。夏にはその暑さにこりて「涼しくなってからだよ」・・・
ついには芸術の秋に至っても、またサボるための弁解を考えだす。


1月7日  ”美味いモノは最初は不味い?しかしそれは毒でもある”
 コーヒーを生まれて初めて飲んだとき、苦くて吐きだした。鼻をつ
まむほど臭くて匂う酒をかっくらう大人をたちを観て、その気が知
れなかった。グラタンだって、ウニだって小さい頃はこれが食べ物
だとは信じがたかった。不思議と、今となっては皆大好物なのだ。


1月6日 
 20年ぶりの寒い冬ということらしい。確かに、寒さに増して各地で
雪の量も凄い。東京だけはまだ降雪を免れているが。20年前という
と阪神タイガースが日本一になった年。東京でも雪が60cmくらい積
もったことを記憶している。当時はよくバロック音楽を聴いていた。


1月5日 
 昨夜はアルルカンのこと及び歌担当makoの五十川邸にて新年会。
真に至れり尽くせりのご馳走&酒類。豚しゃぶの美味に舌鼓。作曲
家と演奏家とが8人も顔を揃える豪華なメンバーであった。オレにと
っては、これから春先にかけてが創作活動の正念場。息を抜けない。


1月3日 
 我が敬愛するパブロ=ピカソは一生のうちで4度も結婚したらしい。
凡人ならば、それだけで人生のあらゆるエネルギーを使い果たす労
力だ。しかしピカソは生涯で2万点以上もの作品を残した。それは2日
で1品のペースなのだ。オレは未婚、1週間で1曲も書けないというのに。


1月2日 
 イヌ年ということで、このイヌの語源は何だろう?・・・関西弁の「去ね
(イネ)!」つまり「あっち行け!」だとするのが有力説だ。近よってくる
犬に対し「シッ!去ね!」と叫んだので「イネ」という名がついた。しか
し弥生時代に「稲」が入ると区別するために命令→終止形になったと。


2006年1月1日  ”明けました!”
 今年のテーマは”邁新”・・・邁進よりさらに新しく展開するという意味
をこめて勝手に言葉を造ってみたのだ。我がアルルカン号は新しい
航路を見いだすべく暗礁藻索の年か。新曲さえ形にすれば3枚目へ
の憧れも絵空事ではなくなる。クルーたちよ、オレの運命はあずけた。



2005年12月
2005年11月