6月28日     ふーむ、悩ましい
 日本代表、侍BLUE、岡田JAPAN。・・・そなたたちが勝ち残って
いなければもっと純粋にW杯観戦を楽しんでいただろうに。そな
たたちがいるからこそやきもきし、ドキドキ手が震える。ああ何た
る矛盾、そして心の葛藤。だがこの気持ちもサドンデスの決勝T。

6月26日     今ごろ日本に帰国する予定でいた
 本当ならば日本代表の試合をまずダーバンでオランダ戦を観、
次のデンマーク戦をルステンブルクで観て、今日の今頃、帰国す
る予定であった。しかも日本代表とほぼ同時に。つまりオレも一
次突破は難しいと考えていた口。まっ善戦してくれればいい的な。

6月25日     W杯はまだまだ続く
 W杯の4年というスパン。その間に全盛期を終えてしまう選手も
いれば、開催直前になってケガに泣く選手もいる。この、わずか
一ヶ月という期間でいかに輝けられるかだ。悔しい思いをしない
のは優勝国だけ。残り31国はすべて次の、悔しい4年を過ごす。

6月23日     デンマークに負けているようでは
 韓国が決勝Tに進んだ。日本も、デンマークに負けているよう
ではたとえその先に駒を進めたにせよ、すぐに打ちのめされて
しまうだろう。チームに勢いをつけるためにも勝つべし。同じア
ジアの国として韓国の精神に学ぶのだ。行け!侍BLUEたちよ。

6月16日     日本はまだW杯で一勝もしていない
 こんな莫迦な表題のコラムを書いてた記者が昔いた。自国開
催だった日韓大会での2勝はカウントできないとほざくのだ。オ
レはこんなコメントこそ島国根性丸出しの井の中の蛙だと思う。
逆に同じ日本人として恥ずかしい。もっと中田や本田を見習え!

6月13日     決戦を前に
 こんなにも後ろ向きな前夜があるだろうか。4年前、豪との決
戦の日は直前に風呂に入り、日本の得点シーンをあれこれ妄
想していた…。それが今回は失点シーンのデジャヴュばかりに
とりつかれて離れない。明日のカメルーン戦、どうなることやら。

6月10日     開
 夢のサッカーW杯が明日から始まる。今回どの国が爆発して
どの選手がはじけるのか。JAPANブルーの活躍だけではない、
W杯には様々な楽しみがある。さー、あの血沸き肉躍る日々が
もう間もなくでやってくる。一流選手たちのドラマが待っている。

6月5日     蒙古タンメンに挑戦
 先日、やっとのことで初めて蒙古タンメン新宿に入る。店の前
をいつ通っても並んでいて、これまで機会を逸していたのだ。早
速噂の”北極麺”なるものを注文する。確かに、今まで味わった
辛いラーメンでも1位2位を争う。でも評価としてはイマイチかな。

6月4日     強ぇ、コートディボワール
 オレは象牙海岸の実力を甘く見ていた。実際に今日、岡田
JAPANと闘ってみて、このチームが最強であることを認めた。
こうまで日本の攻撃力を無力にできる国は、そうそうない。本
戦前に当たっておいてよかった。凄くいい擬似体験になった。

6月3日     東京に基地を持ってこいよ
 いいじゃないか、東京に基地を持ってこいよ。そのかわりオレ
は東京を離れるからさ。そもそも、基地反対はその土地に執着
するから起こるのだ。「執着を捨てろ」とはお釈迦様の言葉。土
地は神様が創ったものだ。人間がぶんどったら天罰が下るぜ。

6月1日     浴衣
 先月の入院を機に買った浴衣。しかしたった3泊の入院だけ
ではさして役にたたず。したがって、退院後の今、寝巻きとして
浴衣を着ている。これが結構楽だったりして。子供の頃から決
まって寝巻きはパジャマだった。改めて和服の実用性も知る。



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