3月28日 
 思春期に愛読した本の中に『大山カラテもし戦わば』というのがある。
かの”神の手”と称された極真会館創設者の大山倍達の著書であり、
その内容は幾多の猛獣たちと、素手の人間が空手を使っていかに戦
い、いかに勝つかというものだった。真に血湧き肉踊る刺激物だった。

3月27日  ”フィアフィア・サモア改め”
 ちょいとお忍びサモアの踊りに参加。日本人によるサモアン・ダ
ンシングチームは「フィアフィア・サモア」から改めて「サモアナ・サ
モア」となり、4月1日(日)の”しもたか大さくら祭り”で初舞台に立
つ。オレのパートは「パテ」という南太平洋特有の打楽器の演奏。

3月26日  ”スポーツが独特の体型をつくる?”
 近頃どうも太ももの肉付が良くなったと思ったら、体重が2kgばかり
増。えー!体のどの部位にも脂肪が増えた感じはない。むしろひき
しまったくらいだ。ということは、この2kgの正体はそっくりそのまま太
ももの筋肉だということになる。だんだんとサッカー体型になってる。

3月25日  お花見会は中止
 アルルカンのお花見会を企画していた今日、朝方から続いた春の
大嵐のために中止となった。8年くらい前から毎年恒例のように続け
てきたが、初めて晴れ男に汚点がついた。「まーこういう年もあるさ」
ふと気付くと庭の花海堂が咲きはじめている。桜に負けじと鮮やか!

3月23日  ”真央に喝!”
 ローティーンの頃ならば「天真爛漫」だけで充分に立ちむかえたの
だろう。体つきも大人びた浅田真央には華麗さ、さらに妖艶さが求
められる。その点で完全にキム・ヨナに水をあけられている。ライバ
ルなどではない。目標としなければ、これからは太刀打ちできない。

3月22日 
 あるアンケート調査を元にした研究報告によると、人間というのは
19歳を境に、それより前は「時間が流れるのが”遅く”感じ」、それよ
り後は「”早く”感じる」ようになるそうだ。小学生のとき、1年上になる
のが本当に待ち遠しかったもんね。この歳じゃ1年なんて”ピュッ”よ。

3月21日  ”金星と月”
 今日は何故かやたらと金星と月が近づいて見える。その月は、2日
月といったくらいに細く美しく湾曲し、そこに添えられた金星は、まさに
黄金のごとくその輝きを矜持している。恒星ならば、月に近づくと明る
さで目立たなくなってしまうが、惑星はむしろ鋭く太陽光線に反射する。

3月20日  ”サクラ咲ク”
 「格差社会」?だってぇ。もし今の時代を「格差社会」と表現するの
なら、かつて炭鉱労働などで死んでいった人たちは何だったのか?
ほったて小屋に何十人とスシ詰めにされ、まるで犬猫扱いで命を落
とした。ワーキング・プアときたら、普通にワンルームに住んでるゼ!

3月19日 
 人間の、所詮は短いモノサシで、人生ほどのケシ粒にもならない
年月で「異常気象」などとは言ってくれるな。地球は50億歳、我々の
1億倍ほど生きてきたのだ。1億分の1のモノサシは、5000mの芝生
のうちの、草1本の長さにしか過ぎないのに、だのに「異常気象?」

3月16日  ”幾多の想ひし人”
 我知らず、幾多の想ひし人の、その後如何ならんかを。桜の花の
亦た咲けど、かつて我その花びらを髪にかけたる人の、今何をやし
たるかを。花壇の並びし道端を、手をばつなぎて共に歩きたる人の、
今ぞ別の誰と歩くべき。いづれ、何処かでかの女どもとも再会せん。

3月15日  ”初恋”
 見たか?その人を想うその瞬間の、己が鼓動の燃えさかるさまを。
見たか?時には自分の呼吸さえ、その人のためにしているのだと考
える献身を。見たか?わずかの疑惑から、途方もない嫉妬の漆黒が
心を犯していく苦痛を。これらの心理の断続…それこそオレの恋慕。

3月14日  ”第3回ひかり杯”は3月31日で決まり!
 我らがフットサル軍団「Index」の対抗試合は今月31日に決まってい
る。これまで対戦相手に2連勝してきているだけあって、次回もVを狙
いたいが、さすがに同じ相手に3連勝というのは難しいという見解もあ
る。どっちにせよ、この日は春の嵐なみの血潮が乱舞することだろう。

3月12日 
 ”血潮”……かつてはこの言葉を情熱の比喩として使ったこともあ
った。しかしイエス=キリストの”PASSION“には彼の苦悩があった。
我々もまた作曲の一音一音で懊悩する。作詞の一字一句に悶え苦
しむ。情熱とはこの瞬間、その時間の経過のことを指しているのか。

3月11日 
 人々は、どうして忘れてしまうのだろう?あくまで忘れ癖?それとも
忘れたい思い出の焼却?でも、やっぱ覚えていなっきゃ。何故って?
オレたちは伝えていかなきゃならないから。芸術家は創造することも
大事だけど伝えていくことも同じくらいに重要なのだ。過去を、失うな。

3月10日 
 62年前のこの日、東京は火の海地獄と化す。米軍の焼夷弾は容赦
なく東京の民家という民家を焼きつくした。地表の温度は千度を超え
た。泣き叫ぶ涙さえ一瞬にして湯気と消えた。川に飛び込む民衆、さ
れど川とて水は沸騰していた。10万以上の魂が、慟哭にはちきれた。

3月9日  ”セーラ服なら負けないよ”
荻窪 at MUSEUM TOKYO  劇団"楽園王plus"の公演を観てきた。今回は『Unplugged』
なるタイトルに違わず、電気をいっさい使わないという試み。
そこらじゅう燭が灯り、効果音はすべて生楽器もしくは歌と
いう…発想にとどまらず、演出の巧緻さには毎度舌を巻く。

3月8日  ”ロマン派後期”
 ツェッペリンに傾倒していた大学2年生、同時期に耽溺したのがワグ
ナーやR=シュトラウスのロマン派後期の音楽だ。特に、ワグナーの
『トリスタンとイゾルデ』などは人類史上、至高なる音楽で、その美しさ
には耐えられない。三島が最も愛したのもこの『トリスタン〜』だった。

3月7日  ”バロック”
 高2のときにストーンズと平行してよくきいたのがバッハを中心に
したバロック音楽だ。自分の中では違和感がなかったので、オレの
ノン・ジャンルぶりはもうその時から始まっていたといえる。『トッカー
タとフーガ』とか『ブランデンブルク協奏曲』で震えながらきいていた。

3月5日 
 「何、この赤ん坊の泣き声みたいな歌は?」当時の友人の中にはそ
う評価する者もいた。だがSex Pistols……オレの音楽に対する思想
の転機の中で、最も重要なバンドの一つだ。ともすると女の子の人気
とりに過ぎなかった気風に、あらためてロックの禁欲さを運んできた。

3月4日 
 レッド・ツェッペリンの名は高校のときから知っていたが、本格的に
のめり込むに至ったのは大学2年だった。今でも思う、よくもこの4人
のメンバーがめぐり会ったなと。これは歴史的奇跡だ。現代のロック
が逆に形骸化しているのに、ツェッペリンだけは今きいても斬新だ。

3月3日 
 大学1年生では、同じストーンズでも7〜80年代のアルバムばかりき
きあさった。それだけではない。LIVEの海賊版なども飽きることなく何
度も繰り返しきいた。特に『STILL LIFE』を映画化した「TATOO YOU」
ツアーなどでは、どこで誰がどういうミスしているかまで覚えたくらいだ。

3月2日 
 誰でもノスタルジックな音楽には憧れをいだくものだ。高2のときは
ローリング・ストーンズの60年代をききあさった。当時の深夜ラジオ
”ミスDJ”の挿入曲に『サティスファクション』があった。シンプルなの
に何故か耳をつくあのギター・リフの正体は、キース=リチャーズ!

3月1日 
 誰でもギター弾き始めの頃は派手な演奏に憧れをいだくものだ。
オレとヴァン・ヘイレンとの出会いは高1のとき、ちょうどギター始
めて半年くらいたったころ、『1984』というアルバムがリリースされ
た。いやぁ、あっという間にのめりこんだねー。エディのプレイに!



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