2月27日
同じ目的を目指して活動している組織には、必ず居てはならない分
子がある。それは組織の勢いを止めてしまう者。ブレーキになる者の
存在だ。特に指導者に対して「何故そんなに焦るんですか?もっとゆ
っくりやりましょうよ」などと耳打ちする連中は、明らかに危険なのだ。
2月26日
昼間は、自らの体力強化のために特訓を敢行した。自宅から3km
くらいの和田堀公園グラウンドまで軽くジョグし、そこで買ったばかり
の球を使ってドリブル&シュート練習。一通り終え、クールダウンを
込めまた帰りの3qを走った。これだけやるとさすがに気分爽快だ。
2月25日
キング・カズこと三浦和義が明日で40歳になるらしい。オレも同い
年、その不惑の歳を今年迎える。おととい、サッカーボールを買った。
4号サイズはサッカーよりは一回り小さいフットサル用のもの。しか
し、この年齢になって新しいスポーツを始めるとは、少し恥ずかしい。
2月24日
洋服店でズボンを見ていたら価格390円と表示のモノ。しかも元の
値段表示も残っていて8,900円とある。即ち20分の1以下に値引きさ
れている。何かの間違いかと店員に尋ねるが間違いなし。躊躇なく
購入。丈のお直し代が400円、そっちが本体より高いのが尚笑えた。
2月23日
町である場所を通りすぎると、ほのかな甘い匂い。ふと立ちどまっ
て振りかえると、何と、沈丁花。まだ二月だよぉ!オレはこの小さく
て可憐な花が大好きだ。幼い頃から季節は鼻で感じていた。春の
匂いの正体が沈丁花だったと気づいたのは、大人になってからだ。
2月22日
初めて佐野元春を聴いた時の、あの呆気にとられた感覚を、忘
れられない。それまではせいぜいアイドルや正統派歌手の歌しか
聴いたことのなかったオレにとって、まさに晴天の霹靂であった!
彼の「shout !」に圧倒されたのだ。「shout !」の世界を初めて知った。
2月21日
何でも独学主義のオレはさしたる師というものを持たない。そして
音楽についても独学であるがゆえ、師匠はいない。しかし(もしこん
な表現が許されるなら)教祖はいる…―佐野元春だ。彼を知らなか
ったら、絶対に音楽は始めていない。その出会いは中3の時だった。
2月20日
プロフィールの中でも記述したとおり、思春期、少なくとも中学生くら
いまではオレは漫画家になりたかった。しかし、その望みを見事に砕
いた一人の漫画家がいる。何を隠そう、それがあだち充だ。彼の作
品を見たとき、衝撃とともにオレの描くべき漫画は終わったと思った。
2月19日
オレがサモアを離れる前、在留邦人が開いてくれた送別会で渡され
た寄書に最も多かったメッセージ、それが「日本でサモアの踊りを広
めよう」だった。既述だが、こういう機会は滅多に巡りあえるものでは
ない。今その機会が思わぬ所から湧きだした。新しい航海が始まる。
2月18日
このごろの日本人が使わなくなってしまった言葉 その3
”親の顔が見たい”…オレが子供のころはみんな口グセだった…今
の日本人はわざとこの表現を避けるようにしているような気がする。
それは親としての自分に自信がないから?それが図星だろう。給食
費未払いの親が平然とまかり通るという。要は自己中の親が多い?
2月16日
このごろの日本人が使わなくなってしまった言葉 その2
”生き恥をさらす”…戦争で生き残った人はよくこの言葉を使った…
「まわりはみんな死にました。私だけこうして生きながらえて生き恥を
さらしております」死んでいった友人・知人たちに申し訳なかったのだ
ろう。それにしても…「生きる」ことが「恥」だったのが昭和の価値観。
2月15日
このごろの日本人が使わなくなってしまった言葉 その1
”命を懸ける”…昔の熱血オヤジはよくこの言葉を使った…「おいヨォ、
オレはコイツに命を懸けてっかんなっ!」それだけ、皆が命を賭してま
で懸けられるモノがなくなってしまった。だがそれは本当に悲しいことな
のか?戦後流行ったもう一つの表現がある…「命を無駄にするな!」
2月14日
かつてサモアという常夏の島に住んでいたとき、アメリカの平和部隊
(俗に「ピースコー」と呼ばれる)の連中は聖ヴァレンタインの日には
ホームパーティを開いてプレゼント交換をしていた。その後、聖ヴァレ
ンタインについて勉強して、ようやくそのパーティの意味が分かった。
2月13日
思春期には”常夏”という響きに強い憧れを抱いた。それには、例え
られない”悦楽”が伴った。むしろ”快楽”に近いものだった。しかし人
間、特に芸術家は常夏になど住むものではない。理由は脳みそが解
けてしまうからだ。ゴーギャンとて、多くはタヒティ以外の場所で描いた。
2月12日
”フィアフィア・サモア”
サモア語で「フィアフィア」とは動詞では「喜ぶ・楽しむ」となるが、名
詞では「楽しむ集い:宴会」という意味になる。もっともキリスト教色の
強い村ではノン・アルコールの宴会ではあるが、会も佳境になると必
ず全員で立ちあがり歌・踊りとなってヤンヤヤンヤと終わるのがいい。
2月11日
この世に名を残す人物たれ!その職業は政治家か軍人か宗教家
か学者か芸術家…、この5つからしか選択肢はない。金満家や運動
選手などは逆に歴史には刻銘されないものだ。ダ=ヴィンチなどは
学者であり芸術家でもあった。カエサルは政治家でかつ軍人だった。
2月10日
今さらのように得意顔で、さも悟った風で言いたくもないし、決して
気張った調子にもなりたくないのだが、つくづく人生というのは短い
ものだ。世の無常、うつつの儚さは、けだし古人が書きのこした通
り相違はなかった。残りの人生も、きっとあっという間に過ぎていく。
2月9日
かつて、「さすらい」という言葉の響きに憧憬を描いていたころ、オレ
はありとあらゆる世界を知りつくそうとしていた。オレ特有の妄想壁も
それを助長した。学校帰りのひとり歩きや、就寝前のひとときなどは、
格好な妄想の場だった。あの瞬間から、オレは芸術家になったのだ。
2月8日
2日間空いてしまったが、それには理由がある!……丸々2日、部屋
に籠って先月開催されたIndexのフットサル対抗試合「第2回ひかり杯」
の模様を編集したDVDがやっと完成した。芸術家の意向としては作成
途中のものは決して発表しない。作品は必ず完成体を世に出すものだ。
2月5日
Led Zeppelinの曲の中で、最も好きな曲は?ときかれたら、ほぼ迷う
ことなく『Rain Song』と答えるだろう。あの、ポエジーな歌詞にブリティッ
シュトラッドの和音と妙にマッチするブルージーなメロディライン。大学
3年生の秋には毎日この曲三昧。自作映画の挿入曲にしたこともある。
2月4日
”どん底”
昨夜は重要なアルルカンのリハが終わった後、「新年会」ということ
で、新宿三丁目の”どん底”へ。初どん底のmako、李氏、阿部ちゃん。
そしてどん底はなじみの潤之助と。もう何人かは新年明けてから会っ
ていたのだけど改めて「おめでとう」。…そういや節分でもあったねっ。
2月2日
”オレはミュージシャン”
高校2年生の時に『Musician』という曲を書いて、その歌詞の中に
”オレはミュージシャン、ラオスの血が騒ぐ”っていうフレーズがあっ
て、教室内でもクラスメートたちに大ウケした。みんなオレがラオス
生まれだって認識していたので、それが爆笑に輪をかけたのだ。
2月1日
「(続き)感情にまかせたままの季節だった。その季節たちはまる
で風のようにゆらりゆらり…それこそが身を捧げるということの不
思議な感覚。僕には、二人が握りあう灯がみえる。それは微分的
な神秘なのだ。今は雨、雨だけが二人の肩をやさしく濡らしている」