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書のひろば

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2008年

出雲大社と足立美術館 2008.12.29.30
 インフルエンザの治った下の娘はみんなと出かけました。留守番はそれを貰った長男と、面倒を見る母、私である。夜中に決めた当日のキャンセル。お土産はふっといカニ。と勾玉。庭にはボタンが芽を出している。行きたかったなあ。留守宅に写真メールを送ってくれたのでどんなとこにいるかわかってそれはよかった。

右手が利かない。 2008の師走
二月の末でもまだまだだ。 利き腕が重いものを持ちすぎてか効かない。手がぶら下がっているだけで痛い。多分腱鞘炎だと思うが、やっとキーだけ打てるようになった。正月のやんごとなき料理のためだけにある右手というのも寂しい限りだ。作品がかけなくなったらどうしようと、物をもつのは辞めている。しかし治ったと思いきや、茶筌を振ったら最悪に後退した。お菓子のふくろを破るのも頼まないとできない。先の6行を打ったら亦痛くなった。続きは二ヵ月後に書いている。起きていたなら動くから寝ているしかない。語学を聞くにも辞書がめくれないので困る。右手の箸を途中から左手にもちかえて頂く。醤油さしも右手に左手を添えてかける。今度は金平ゴボウを切っていてまたぶり返してきた。何にもできないのでまあいいかなとやけになってショベルを使って全身が疲れるようにしている。今年こそはの年賀状がかけなかったのが辛かった。皆さんごめんなさい。I’m sorry that I couldn’t write to you because my right-hand was damaged. Now I am almost good. Please wait and you can see the beautiful my recent works.
治るまでに、子どもたちが手伝ってくれた。特にスタッドレスに変えてくれたのは中二の息子で、後で空気圧を調べにスタンドに行ったのは楽しかったね。もどす時にいないのが玉に傷だあ。

2008の思い出 故障篇
故障の続出。
正月から電話が切れて、充電器の磨耗のようだったので買い換えた。4万円。

調律のときにピアノの中の紐替えを提案され、次回に予定した。
勝手口のどあのコロが磨耗したのでうるさい。まわりに下駄を履かせて、新しいのに替えた。
講堂の上がり框の木目が裂けてきたのでパテをつめて、全体に鑢をかけて、ニスを二度塗った。七万円の仕事量。
門のコンクリートがはげてきたのでプロの手伝いをした。
その時貰ったペンキを使ったベランダの修正郵便受けの赤いニス塗りドアのパッキンが硬化して下がったので生のゴムパテを埋めて直した。
車の右後ろ直しは大ちゃんに頼む。
敷地地図が日焼けてきていたので修正。湯がはれなくなったガス給湯器。一万円。

雷後のtaboxの買い替えに伴う不具合の調整。一万円。
コートの袖丈直し。私が学生時代に来ていたコートを着てくれた娘が1ヶ月たったら裄が小さいので寒いからというので解体して、バイアステープでぎりぎりまで包んで袖を出した。それもすぐ小さくなって別の頂きもののコートを着てくれている。
湯が出ないのであちこち検査した結果、蛇口のストレーナーの詰まりだと判明交換。無料。
洗濯機のパルセーター。洗うのに回転しなくなった。一万円。
早々、息子が年間4つの眼鏡を作ったのも文字通り踏んだりけったりだった。
二台CDが回らなくなった。娘にCDデッキと私にSDスロット付きを買った。
年が明けても、勝手口の取ってを変えたり、携帯の故障。一万円。まったく故障におおわらわでいとまがない。自ら修理するものは極力治し、頼まなくてならない物は頼むのにはしりまわった。

体調故障
ただの記録ですが、順番に、腰。出ない声。気圧低下性精神身体症候群稲花粉右手。一年の一人の故障。若かりしころには思わなかった不調。

お気に入り篇
ドラゴンズエンボス入りきしめん。
カラフルサツマイモ箱卒業生がいるので洋菓子のgotooを。
久しぶりの結婚式。やっぱりザ銀座です。
成城石井の佃のおでんパンペン。
意外といけるサントリーのワインにはまっています。
越前そばの里旨み。普段の不義理を思って、餘の美味しさに送らせて貰いました。景気の悪いという世の中なのになんでそんな気分になったのかわからない。ゆで汁が濁らないし、その腰ッたら食べなきゃ伝えれないな。
蜂蜜梅干きくらげのシシャモ佃煮は好きだったことを思い出してあちこち食べ比べ中。どこのでも美味しい。
小豆名物島じまんの松茸こぶは小学生の時からの好物。久しぶりに店が判って食べた。
小田原の梅干茶漬け
もう店頭に並んでいないけれど伊藤ハム。これ美味しいですよ。
十勝池田牧場の生ハムは絶品。でも売っていない。
三田屋のハムは言うに及ばず
それでも播磨焼き
さんきらそれで、
播磨焼き
備前やの淡雪
好きなものを書いていると時間のたつのも忘れるが、なんだか胃がさみしい。食べ物なんかどうだっていいという割りに好きなものがある。
ペペロンチーノ
太るけどバジリコオリーブオイルパスタ。
あそこのラーメン。もうよそう。

家族行事
何年ぶりかで家族写真を撮った。上の息子の冬服の袖が一年で短くなったので解体して袖を出した。二人が制服をきる歳になったので久方ぶりの記念に。

子どもたちの趣味に付き合う
 
自転車の手袋スピードメーターとカバンつくり。
反射板リュック
英会話用のトークマスターを買う
パソコンを買うのに伴って、下取りに奔走する。たった数百円だが廃棄代が要らないので二台を処分。
バイオリンの練習の送迎が二度のコンサートで報われる。
フルートに転向。
二度のドライブ。枕崎ラーメンと大風の中の千里が濱。ちゅよっとがんばりすぎたかなあ。
手作りパスタ。とパン作り。
ホタルを育てる。
姪が果たしてくれた母校訪問。
遠路の送迎が報われる二度のバレイ発表会。これで卒業かなあ。
娘の委嘱作品「共感」を書く手伝い。

夜の個人ジュクの送り迎い。これにはギブアップ。
面接は残念でした。
ラグビースパイク
算盤の卒業
二度の自転車パンク

私の興味
昨今去年は趣味どころではなかったのですが今年はたくさんできました。
暮からの引き続きでスペイン語
日本語指導法講座
石に猫の絵を書く
ボイストレーニング
ステンドグラスとアートリュミエール
ハワイアンキルト
サラゴサ万博
パッチワークを使ったタベストリー
ほりきり
土砂降りの御嶽山
公益法人認可にかける勉強会
大切な友人の回復を祈る
関の刃物祭り。嫁入りに持ってきた包丁がやっぱりよく切れる。しかし柄がばらばらになったので指にタコができてしまった。一時間くらいかかって買いに走った。産直屋さんもあって有意義
養老猛の講演会
和田中学校の藤原和博の講演会
美濃和紙の里
入院したおじちゃんに檄を飛ばす。
念願のクリスマス風の作品。
アラビアン書道
町内の会計
金融破たんによる余波
庭の手入れ
ドイツのポスター展 at トヨタ美術館→ひびのこずえグッズ
オーロラの写真展→愛好家との対話
昨年の夏に書いた塗り絵をアップしましょう。
えのぐと、かく場所の指示のあるセットをイギリスのお土産で頂いたので時間のあるときに作ったもの。その頃は般若心経の写経にも凝っていました。

人と逢う 2008.11
思いもかけないところで逢いたい人に会えるのなぜでしょう。満員のナゴヤドームで、これだけは行きたいからと許しを貰って出かけたコンサートで旧友の友達の声が隣でした。会場の通路入り口である。こんなにたくさんの人がいて、声でわかる。だんなさんが隣に見える。これだから人生はいいのかなあ。いろんな毎日がそれぞれにあったことを思う。でも、そこで逢ったということは生きているという事実。どこであっても、声をかけてください。時には顔をあげられないくらいに自分に恥ずかしい時もあるかもしれないけれど、声をかけてください。過去の間違った自分も、ひっくるめて愛していこうという気持ちが最近生まれています。だから、今の私があなたの目に触れたら、とりあえず声をかけて下さい。と思っています。そういえは、息子の入試の前日にとんでもない人に偶然あったこと。そのひとに、また人ごみの中でとんでもなく声をかけられたこと。やっぱり、逢うってことは元気の元です。恥ずかしくない自分でいたい。

この夏(2008.8.12)
本当に暑くて、温暖化を考えることもできないほどです。さて、皆さんいかがお過しでしょうか。次女の塾通いが始まりました。午前中の授業で、午後からは自習です。最初から弁当持ちですので送り出すほうとしては最初大変でしたが、慣れてきました。今はお盆休みです。長女はフルートの音階を覚えて初舞台を夏祭りで済ませました。今は学校が耐震工事で入れないので練習も休みです。それで久しぶりに日曜のバイオリン教室に行くことができました。皆さんがドッと上手になっていたので焦りました。アリアの楽譜を聞いて指を運ぶのに追われました。さて、帰省中の長男サンですが、遅まきながらの誕生日プレゼントのヘルメットを買い、先日は隣のマー君の誕生日記念に二人でツーリングに行ってきました。場所は各務原の航空宇宙博物館。片道50分。私の携帯をもたせて、まあまあいい時間に帰ってきました。昼飯が足らなかったと言うのでお茶づけを食べて半日寝ていました。夏祭りで懐かしい友達に合えるから毎晩出かけていました。海に行きたかったけれど、この夏は思いのほか水の事故が多く余り気が進まなかった。予定されているのは御嶽山登りです。子どもと母とで行きます。多分にして、私の鳴きは目の前ですが、いってきます。

レンタカー。軽石・砂鉄、そしてラーメン(2008.6.29)
成績を聞きに行きたくもない。うすうす分かっていた。しかし、飛行機はマイルがたまって、取れている。様子を見たい気もするが、こちらの体調だって最悪。しかし、連れて行ってやりたかった。私は自分に自信がなかったけど、折角、鹿児島にいるのだから、周りを連れて行ってやりたかった。「行きたい所は無いの。」という問に、「いいの?」といった彼の遠慮感が母の胸にぐっときて、母はがんばったのである。計画は成績発表の前に大体立っていたので、仲間探しだったが、結局親子水入らずになった。小雨模様だったが傘を借りて、決行することにした。朝、マツダレンタカーは無料の迎えには当日だからいかれないから、タクシー代を出すといってくれて、朝食前にタクシーを呼んでもらうように手配。結局580円くらいでレシートを貰い現金に換えてくれた。ところがマツダは七時までだと判明。トヨタが8時なのでそのつもりでいたのが後の祭り。湾岸道路をひた走って、学校の横を抜け、遠足で行ったという平川動物園を目指す。近くの窯元にどうしても寄りたかったので探して行き着き記念に4つ買い求めた。釜主の朝倉さんがタクトに特別にマグカップをくれた。記念撮影もした。小1時間そこにいたかもしれない。本当にいい焼き物なので1年たってからやっと手に入った。満足である。次は千里が浜を目指す。一日の5時間ばかりを陸つながりになる島だ。行ったところ勝負である。だから、先ず目指す。途中の道の駅喜入、指宿で目当ての餡なしかるかんを買う。うみぶどう。ひじき。喜入で買ったのは残念ながらかるかんではなくて、おこしのような喜入の星という銘菓半干菓子だった。千里が浜付近の休暇村に車を止めるのが一番近いと反省があったのでそうしたら、どうやら閉村のようで、キャンプ場の向こうに島があるはずだからと、向かった。ヤッタ、ツナガッテイル。向こうまで行きたいというので、「次回は彼女と来な」といってやった。かれは軽石の転がるのを確認して一つ掴むと、海に向かって、それを投げた。距離があったけれど、水面に落ちたそれは浪の上でぷかぷかゆれた。何をするんだろうと思った私の負けであった。「やっぱり、軽石だった。」そういった彼は理にかなっていた。見せてやりたかった砂洲と、軽石の浜は彼の心の中にずっとあると思う。本当は長崎鼻に行って、砂鉄の浜を感じさせるべく、家にあった一番強い磁石を私は用意してもっていっていた。彼は浜の黒い砂浜を一掴みして、車に戻ると、ふくろに入れた磁石にその砂を乗せた。なむさん。殆どがくっついて実験成功。次は次のテーマである砂蒸し風呂だ。砂楽が有名だが、山川を目指す。どうせなら開聞岳を見て横になりたい。途中には彼が遠足で行った遺跡資料館があって彼はその時どうだったかと話してくれた。学校がいろいろな重要な箇所に連れて行ってくれていると感心した。天気は快晴に向かっていた。漁港をすぎたところで山川につく。800円を払って浴衣を受け取る。用心に用心を重ねて水分を補給する私たち。残念ながら、山を見て横になれるのは年に数回の潮の引いた時間だけのようであった。海際から奥まったテントの下で、浴衣だけを着た私たちに持っていったタオルをほおかむりして、口にくわえて横になるようにいわれる。私の横にはがんばってまだ横になっている女性とあきらめて座りこんでいる大柄な女性が先にいた。さて、砂をかけ始めると三人がかりで黙々とあれよあれよというまに、重い。熱い。やばい。やめたほうがよかったと反省し、少し掛けるだけでいいからと声が出る。しかたないから10分間までねばる。18分で「ギブアップ」と叫んだ。後から来ていた男性陣が笑ったが、こちらは真剣である。「手を出してください」と返事が返ってきた。こちらにくる様子はまったく無い。私は、息子を連れて帰らなくてはならないのだ。何度心の中で鄒反したことか。何とか立ち上がると、海辺に行って、開聞岳を仰ぐ。山はそろそろと全景を表して、期待にこたえてくれる。砂を落として、浴衣を脱いで、風呂に入る。そこは自然保護のため、シャンプーと石鹸の禁止のお湯風呂で、顔を洗ったら塩辛かった。よっぽど汗をかいたのかと、脱衣所の先ほどの女性に聞くと潮湯だそうだ。目盛のガラスに傷の入っている体重計に乗る。2キロ減。彼女たちは1キロと、2テン5キロ減という。私が、是は表面積によるのだねえというと、大爆笑。[因みに、45分寝ていたのが、1キロ減でした。] 女湯の外までその笑いが届くのは当たり前で、タクトは約束の時間をすぎて待っていたらしい。さて、次は、長崎鼻に向かう。竜宮神社は観光客もまばらで、燈台に待つ私に、先まで行ったタクトが手を振った。開聞岳はすっきりと品良くたたずんでいた。予定に無かった、イッシイに逢いに、池田湖を目指す。琢斗が大うなぎも見てみたくなったので、予定変更である。急がないと大目的の枕崎のかつおラーメンを食べることができなくなる。カーナビを駆使して、道に迷わないのが必要条件だ。うなぎも食べたくなったが、そんな店はなかった。ちょっと遠回りになるが近そうなので池田湖を北上してから枕崎に向かう。漁船が見えてきたのでわくわくした。店はそれなりの繁盛だったが、昼をとおにすぎていたので二団体ぐらいだった。帰りの道を店主に確認して、国道を行くことに決めた。鹿児島市内まで1時間半はかかるという。先回はスカイラインで助手席にいても、相当怖かったからだ。回避しないと偉いことになる。枕崎の漁業組合のセンターで買い物をして、ついでに、枕崎の駅を捜して、写真をとって帰路につく。途中、清水に摩崖仏があるというのでコースに入れる。帰るのにはぎりぎりの時間だ。道さえ間違わなければ、いけそうだったので、5分だけ中国のようなものかと想像しながら公園に停めて、走って見に行く。とてもきれいな所だったから時間がもっとあったらよかった。その後はとんでもない国道片斜線をぶんぶん走った。途中狐が一匹横になっていた。そんなところである。谷山の山の上から町を見下ろして学校に着き、家に送りたい工作をホテルまで運んで琢は入浴、私は給油、返却、夕食、市電バイバイとなった。大層疲れたが、母として、連れて行ってやれたという満足感はある。レンタカーの返却は10分遅れてしまったものの連絡を入れたので許してもらえました。事故もなく帰ってこられた。よかったよかった。180キロ。14、5リットル。燃費の計量のある車で、30出ていた時もありましたが、結果12.4での走行。残ったのはたくさんの会話。お父さんありがとう。

ららるのバイオリン発表会二回目(2008.6)
 市民祭でフィルハーモニーに混ぜてもらって、舞台に上がった。曲は恐れ多くもオンブラマイフである。私は結局送り迎え役になっていたから出演は遠慮させてもらいました。

私の自転車(2008.6)
もともとは下の子供の自転車を便利にするつもりで改造が始まった。片足スタンドを両足に付け替えて、荷台を後ろにつけた。結構苦労したのにも関わらず、本人は格好が悪いのでどうしても乗りたくないという。泣き出す始末。そんならそんならいっそのこと私が乗るということになった。小さいものは車に積みやすいし、自転車置き場でも小回りがいいので楽なのだ。私は結婚してからもシングルの時から使ってきた自転車をずっと乗ってきた。其の自転車は、もともと私の学生時代の自転車が盗まれたかして母さんがお店で払い下げした中古の自転車だった。前の持ち主のつけた大きいスカイラークのタバコのシールがついていた。かれこれ25年は乗ったと思う。前照燈はとっくに線が切れて、がっくりと打たれて何とかひっついているといった状態だった。3段変速だって使って乗るようなところがなかったから、機能していなかった。昔ながらのベルだけが時々ひずんでゆがんだので鈍い音を出していた。お気に入りだったのは前籠が大きかったのでマンションでの買い物に便利だった。其の網も所々朽ちてなくなっていたので雨用のタオルを入れて落下防止をしていた。こっちに一緒に引っ越してきて主人の自転車を変えるときに其の椅子が幅広で気に入っていたのでもらった。其の自転車の荷台が二人乗りのときに痛くないアールのがっちりしたものだったからそれももらった。いいところ貰いのお古集め改造自転車だった。是に前の子ども椅子と後の子ども椅子をつけていたのもまだ記憶に新しい。それがとれて、タイヤが磨り減ったので変えたり、パンクしたりと乗り繋いできた。其の維持費で一台買えるくらいになった。まだ乗れるものの、子供自転車のママチャリへの移行で廃棄が目の前にあったので、いっそのこと私の短い足では子供の自転車の経が合うくらいだから、私が子供の払い下げに引っ越すことになったとはいえ、気に入った部材を手放すのは惜しい。そこでまた復半日がかりで子供の自転車の改造が始まった。椅子の移動と、シールはがし、そして、大きな籠にも変える。一見では、分からないかもしれないが、子ども自転車の久美子バージョン出来上がりである。残念ながら、私の25年の歳月をともにした部材は何一つ引き継がれることは無かったことに、今気付いたがそれもいたした方が無い。もぎ取られた残骸と分かれたときの寂しさはそうゆうことだったのだと分かった。

そのゴールデンウィークに(2008.5)
折角帰省したのに友達が学校に行っていて誰も遊べないので家でパソコンばかりしていた。こっちもつまらないので、先ずは扶桑の高木先生のところに私は車で、タクトは自転車で向かうという作戦に出た。次の日に名古屋のおじいちゃんのところに行く作戦を立てた。車で40分はかかるところである。こっちも怖いので30分おきに公衆電話から進行の電話連絡を貰うように約束して地図を書いた。不必要なものは持たない。だめだと思ったら帰っておいで、と出発した。それが約束。行きは一宮手前まで行き過ぎて迷ってしまったので3時間、帰りは2時間かけて帰ってきた。先方での滞在時間は15分足らずだとか。帰ってしばらくしたら両手が真っ赤だと白状した。次の日、急いで夏用のサイクリング専用の手袋を買いに走った。行った先のおばさんが白い小学校ヘルメットは格好が悪いといっていたが、今度の帰省の折、彼の誕生日に流線型のものを買うのを楽しみにしている。翌日、疲れてはいたものの、犬山の友達のうちを目指して犬山図書館に向かった。彼の頭のよかったところはその図書館によって、犬山の地図の番地から友達のうちを探したことだ。大正解である。しかし、その友達が風邪を引いていたので残念ながら目的の一緒に遊んでご飯を食べることができなかった。無駄だったって私のせいにされたのは心外であったが、目的があったから走れたのであって、そんなことは知ったことではない。行けたことがよかったと思う。そうこうしながら、自転車生活に自信をつけて、彼の1学期後半が始まった。その調子にで、今度は名古屋の友達のうちに梯子で行く計画や、福井の友達のうちに行くと吹聴しているようである。体力をつけるための自転車だからそれでいいと思うが、どんどん買うものが増えていくのには閉口する。夢は帰省のかえりに、学校まで乗ってゆくこと。先回の会合で大阪の友達の家にそのときには泊めて貰うように頼んだのは母の私である。福井のお母さんから子供を通してこの夏に来るからという話があったと聞こえてきた。まあ、健康に動いてくれること、これ以上のことはない。夏休みまでまだ二ヶ月近くあるというのにスピードメーターや、ヘルメットの下見をしたのはわたくし。今日のことである。そう、買ってしまった。メットは試着が必要だから、よした。ショップの店員さんから、テントを買って琵琶湖一周をする話を聞いた。屋久島一周の折にはバスは追加料金がいるとか、キャリーバックの電車での使い方、などなど聞いては知識を増やしている。パパにも買おうかなあと思っている。メタボにはいいかも。二人でなら北海道のニセコにだって送り出せる。しかし、成績が上がったら、学校にアコを持ってゆくとか、Iポットが欲しいとか、そのうえ、今度はラジオ英会話を自動的に録音する機械を欲しいとか、どんどん買うものばかりが増えている。以前に先輩お母さんの行っていた、含みのある、そのうちにお小遣いが半端じゃないという意味が分かってきた。しかし、あくまでも、成績が上がったらであるからして、残念ながら私には余裕がある。

ゴールデンウィーク(2008.4.29)
 途中で学校が二日あって、家庭訪問もあって、仕事もあって、と今年のゴールデンウィークはちょろちょろと遊ぶしかない。先ず、かねてから不思議に思っていたハワイアンキルトの講習会に女の子で行く。尾張富士に登る。4月生まれの子達の誕生会をする。鱒釣りと、鯉つかみに行く。池の掃除をする。そんな予定でありまする。

長男の先生に(2008.4.10)
1年生の担任だった高木先生へ春休みの報告用紙を書かせてみたところ、褒められたほどではありませんが今までになく丁寧にかけていたので一年間の先生の教授に感謝をしています。有難うございました。この春休みはいつになくクラスやクラブ、寮のことについて話してくれましたので、二年生になる期待に満ちているんだと感じました。昨年は秋口にひと月ほど熱が出て心配をしておりましたが、今年も少々のことはあっても元気で楽しく学友と交われることを希望します。勉学においては昨年は一学期の成績が尾を引いたので始めが肝心と本人もわかっていると思います。英語をここで挽回して欲しいです。AI特別グループの次のAMも自らの責任でやっていって欲しいものだと思います。休み中には妹の卒業式と入学式に参加して旧友とあったり、自転車を買ったのでおばあちゃんと北上と南下の2日にわたり各二時間桜見物サイクリングに出かけました。(江南市には近隣の市をまたいでずっと続いている桜の咲き乱れる五条川という名所が有ります。本当にきれいでNHKでも全国に映像が流れていました。) 嫌な顔もしないで自分からおばあちゃんの手伝いをしたり、妹たちの塾の送迎をしたりと、家庭に対しても意欲的に過ごしました。新学期の書写に向けて、古典の臨書をしましたし、古文が始まるからといって、市の図書館で書き下しの本を借りてきたりもしました。又、家族旅行としては大阪のユニバーサルスタジオにいって、その前にはしらなかったETのビデオを借りてきて妹とともに見るなど、実行力を伴った行動をとり彼にとっては充実した休みでした。と春休みの連絡用紙に書いたその後、新担任の先生から電話があり、春休みの宿題が完了していないことを知らされました。勉学については母ががみがみ言うのは入学した時点で止めたことを告げ、先生から折にふれ言ってもらうように頼んだ次第です。但し、宿題をやったかどうかは何度も確認をしたのになあと、肩透かしの気分です。しかし、あの学習時間と、集中力では課題の範囲がこなせていないことは憶測できました。もっと、違う言い方やアプローチをさがさなくてはいけないと思っています。一年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。新しき学年になりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。

ららるの入学式(2008.4.4)
とうとう中学生になってしまった。お母さんである私よりも背が伸びているようだ。どんな倶楽部に入ろうかとものすごく悩んでいるようだ。クラスの書記になったという。三役のひとつだからやる気満々だ。今まで学校であったことをあまり話さなかったのに大きな声でよく話してくれる。プリントだってせっせと出す。

ららるの卒業式(2008.3.19)
兄ちゃんが卒業式も入学式も出てくれるので楽しみだ。みんなで去年できなかった分の記念撮影をしようと思う。加えて兄ちゃんの入学制服、ららるの13参り、なゆの753、これで最後かもしれない。準備におおわらわである。

声が出ない(2008.3.11)
美智子さんでもなかろうに声が出ない。かすれ声なら出るが、なんとも家中が静かだ。静かなのはいいけれど、挨拶も活気がないのでなんだか寂しい。後二三日したら治るであろう。

正月の作品(2008.3.8)
子供たちそれぞれが発表をしました。琢斗は中学生になったので夏休みにお盆まで毎日書いた般若心経の中からいいものを選んで額に入れました。好評でした。ららるも、遅まきながらの書道デビューでしたが何とかかけています。なゆたも負けん気だけは見てとれますが、まだ甘さがあります。

お正月の旅行(2008.1.2.3)
一泊で金毘羅さんと道後温泉に行ってきました。お正月一日だと、閉まっているお店もあったとかでいい旅行でした。今回のマイブームの火元は淡路島のフライドオニオンです。家に帰ってからほうぼうの輸入食料品店や明治屋で探したところ、いろいろな種類の会社で出ていたので求めました。昨今のメイドインジャパンの希求の元、淡路島産は現地でしか買えないことが分かりました。いかれた方は必見です。瀬戸内のあの景色は四国側からしら見られないと思いますが、なだらかの中にぽつんぽつんと小山があってのどかでいいものでした。金毘羅さんの中に資生堂パーラーが出来たので入りたかったのですが、満員でした。東急ホテルも立地がよくてチンチン電車に乗っていく温泉も悪くなかったです。札所である石手寺にも行きました。

年賀状(2008.1.1)
琢斗はパソコンで自分で作り、なゆは版画、ららはレイアウトにこっていました。


 


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