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2006年

こいのぼりの終焉(2006.5.7)
  いよいよきいていたこいのぼりの最終学年の年になった。長男が生まれて初節句の時に皆さんにもらったお祝いをもとにしこいのぼりを五条川にかいに行った。そこの表札を先先代が書いたというのでそこで確か二番に大いサイズを買った。思い出すこどなど書いてみよう。初めてポールを立てた日にはやり方が分からないので遠藤のおじさんに大きな小槌をかりてついでに持って来てくれたおじさんも借り出して取り掛かった。一番下の土台を打ち付けるのは少々掘ってから杭を打ち込んで其の上水んで締めると言う高等手段を教わった。其の上にポールをひとつ伸ばしふたつのばし、伸ばしすぎると抜けてしまうから停止線を注意して用心深く上に細くなる筒を固定する。あと一つという時になんと、、、、抜けてしまったのです。あー倒れてゆく――というまです。時間が止まった。そして、からからという風きりが隣の庭の生垣にあってひしゃけた。なくなくなのはそれを見ていた私。すぐにまたこいのぼりやに走る。うちで主人の帰りをひたすら待った。主人曰、大きいサイズだからいつもは置いてないので問屋に注文するからと。しょうがないから置いてあるうちの一番大きいのを買ってきた。それで我が家のからからは鯉の割りに小さいのがついていた。さて、年々上手に上がるようになった。もともとのポールのあった位置には今はカーポート駐車場にかわり今は敷地の真ん中に立っている。それで河の横だからあまりに風当たりが強いので三点ポイントの引っ張り紐も普通では持たない。江南市のくろがねもちという木が敷地の反対側にあるのでそれに紐を延長してしばる。下をボックスカーが通ることのできるように地面から2メートルくらい上を縛る。昨年は雨がよく降ったからあげたと思えば終い出先から急いで帰ったりと忙しかった。今年に至っては特に強風なのでとうとう上のくるくるが折れて落下した。それは5月3日のこと。4日にはなんと一番下のひごいが地面に落ちて泳いでいた。其の日の下ろすときに分かったことだがおげおろしの紐が切れてしまっていた。それでおちたのだ。最後の日にはそこを縛って紐の上下を逆さにして何とかこいのぼりのあげ収めをした。其の日はお赤飯を炊いて遠藤のおじさんに長年のありがとうを言って来た。吹流しは縫い目が裂けてきたのでミシンがけしてあるし、こいのすそは上げ下ろしの時に踏んで歩いたのであろうか黒汚れしている。3,8メートルかな。ご苦労様でした。おとうさん。

みんなで遊ぶ(2006.5.7)
 
子供の日には大垣西の杭瀬川にてます釣りをしてきました。九時からなのにちょっと出遅れますと、もう人垣。50センチ間隔に並んで糸をたれる。しかし仲間九人の子どもと4人の大人で釣れたのはたった二匹。4軒で二匹ということは食卓に並ばない家族も会った。水かぬるむともうえさには食いつかないそうだ。折角のぶどう虫650円も半分くらいであとはお持ち帰り。成虫になるのかそれとももう一度リベンジに行くか。11時から3年生以下のいけすのつかみ取りで34匹鯉をつかんできたのでそれを池に放すことにした。でもあまりに池の水が緑で水に入れた鯉が見えやしない。4時から池の水をポンプで汲み始めた。明日は池の大掃除だ。

大池の掃除(2006.5.6)
 
嫁にきた時に深い池があるので子育て上不安があった。其の上ふたのしてない用水もあった。それでわが家の子どもたちは保育園に長く通わせてもらった。噂には6メートルとも言われていた池だった。1メートルぐらいのこいもいた。悠々と泳いでいたのでかっこよいが、えさをやると口が大きいので怖かった。しかし、一昨年の大雨でこの池と横を流れる河が増水のためにつながってしまったので其の貴重な鯉は逃げ出してしまった。水が干上がったあと河で泳ぐ其の鯉を一度だけ見たことがあるが、怖い感じはしなかったが、生きていてよかったと思ったものだった。それでその池には何もいないと思っていたのだが、水を抜いてみたらなんと、たくさんの蛙と、アメリガザリガニたくさんと、大きなフナがいた。水が抜けてから梯子で水底に降り、デッキブラシでミズゴケをこすった。転びそうだし、蛙は縦横無尽に飛び跳ねるし、おおわらわでした。最後はポンプがきかなくなってしまったのでバケツリレーでした。綺麗になるのには半日。其のあと1時から水を入れ出して、鳥に狙われない深さになるのに三時半。まあまあ入ったから安心というまでにはかれこれ夕方までかかった。

ゴールデンウィーク(2006.5.3)
 
お父さんの唯一の休みにかねてから私の行きたかった熊谷守一の記念館に連れて行ってもらえた。いっぱい行きたいところが会ったはずなのにそこに決めてくれたのはかねてよりの私への愛情かと勝手に思うのだが、多分間違っていないと思う。本も買ってもらった。本当に幸せな日だった。子ども達のためには多治見の陶磁器会館に行った。後5年早く行くべきところであったが、出来たのが5年前だそうな。帰ってきたら大先生から手紙をもらっていた。私の不精を反省させるものばかりだ。やらなきゃ。ありがとうございます。でも、まずは5月人形をしまわなくてはね。

伊勢のお払い(2006.3.21)
 
パパの誕生日にお払いに行った。お神楽をあげてもらった。パパの知っている方にも偶然会った。おばあちゃんが美味しい松坂牛のお店に連れて行ってくれた。ハンバーグが美味しかった。三井財閥の藍染の店にも行った。ララルにといいつつも私が刺し子の糸を買った。帰ってから記念にそれでタペストリーを作った。

正月二日(2006.1.2)
 風呂に入った。昨年を振り返る。年賀状を書いていないのは遠いおばあちゃんがなくなって、というわけではないが、それも無くはない。失礼欠礼である。ごめんあれ。それでも、大往生の大ばあちゃん。有難う。大好きでしたよ。感謝しています。しかし、風呂に入ると表現出来るのは久方ぶりのことである。多分私のシングル時代には40分も風呂に入っていたのがあだになってそう思わせるのだが。確かにさっきの入浴はその頃の気分だった。以前にこのホームページに書いたことがあるが、子供が赤ちゃんだった頃は風呂に入る時間が取れなかった。お乳といっては泣き、けんかをしたといっては叫ぶ、その合間にひやひやして風呂につかっていた。本当にお乳で泣くときにはこちらも乳房がちくちくするので分かる。最近は小学校5年になる息子が二度追炊きをしてくれて、私好みの湯加減を作ってくれるようになった。その息子の勉強を見張り終わってからの六人家族の終い湯。主婦はバスマジックリンをしたいので最後だ。遅い時間にどうしたって透明のお湯はあきらめだ。もちろん幸せな入浴時間ではない。何度も追炊きをするのでいっそのこと張りなおしたほうがいいとは思う。まあそれでも、今日はもうみんなが寝てしまったのでのんびりできた。暮れの寒さを思うとこの正月は暖かい。こんな正月なら、何度来てもいい。そんなことを言ったらどんどん歳を取ってしまうと思うのはもう40台も板についてきた歳ならばこそ。今年は塾のオンパレードが予測されるのでこんな入浴はまた貴重なことかもしれない。と思って、風呂から出た。大忙しの年末年始が癒された。記録がてらかいてみよう。大晦日朝、お勝手のシーリングライトのカバーに亀裂が入っているのがみつかる。寒暖の差が激しいからか。まいるなあ。買いに行かないと歳が越せない。夕方に行くとするか。と思いひと通り一階を片つけて、明るいうちに外回りをして出かけようと、二階の窓を磨いていたら、先の雪で雨戸いが外れ落ちていたのを発見。身軽の私が二階の窓から屋根に登ってつなげた。アクシデント続きだ。それからやっとお出かけ。主人がほしいという家電製品の買出し、マクドに行くという娘のためによる。息子のなおった自転車をとりに行き、その照明灯を買いに百均に。落ち着いたのもつかの間、夕食。お勝手の作り物はみんなおばあちゃんに任せる。私は二人分の着物を出して上げをしながら紅白を見た。3時間くらいはかかったかな。それからかけそば。鳴門が入るらしい。何にも作ってられない。聞いて作っていたら時間がかかってしまう。まかせましょう。其のほうがややこしくなくていい。洗い役に徹しましょう。決まりごとが多いからね。夕ご飯をそばで過ごしていた里の年末からは想像が出来ない婚家式。12時を越すと町内のお宮参りに出かけるのにろうそくがいるそうだ。もういける人が行ってくださいの気分。まだあげが終わっていなかったものね。その上、座敷をのぞくとコタツ紅白組みの回りは食べ散らかしたするめのごみでまた掃除機をかけないと明日の雑煮は並べられない始末。もっときれいに食べられないものかしらねぇ。やっと二階に上がるとお年玉作り。それぞれにあげる名前を記入するのも婚家式。やっと終わって飲んで寝る。これが無くては。元旦お屠蘇の後、雑煮を食べていて、奥歯の詰め物が取れた。早く医者に行きたい。福袋を買いに行く気分にもなれない。痛いよう。それから二人を着付ける。写真撮影。年賀を見る時間もなし。新年の挨拶。忙しいのはいやではないからまあいいのだけれど、、、さて、飲んで寝ましょうか。貴腐ワインがあるわよーんそれで年賀状はまだ作ってません。本当にお世話になっている方々に申し訳がありません。それだけはしなくては。

年賀状2006

棟方志巧ばりの版画です (ららる&なゆた)
 


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