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2004年 6・7月

琢斗の作文(2004.6.26)

ぼくは最近こっている。何にこっているのか分かるかい。それは木登りだ。僕の家の前に川がある。そこに木がたっている。それが大きいんだ。冬になると赤い実のなる僕の町、江南市の木なんだ。ちょうど僕が2人いたら抱えられる位の太さで、三階か、もしかしたら4階まで届くぐらい高いんだよ。

考えてみて。高い所で葉っぱの中にうもれてるぼくを。分からなくらい何度も登って、いよいよ僕は完成したんだ。竹を木の幹と幹の間に掛けて作ったベンチだ。もちろんそれには座ったり立ったりできるんだ。

夕日が落ちて行くのがまっすぐに見える。その時には、青と赤とオレンジ色が雲に映ってだんだんに混ざっている。そして僕の周りの色がどんどん変わっていくんだ。とってもきれいで、僕は心がなごんでほっとする。

それに昼に登ると、今度は日陰になっているからとっても涼しい風もふいてくる。

まだまだ作るぞ。地面から登りにくい節まで階段も欲しいし、ベンチの上にもね。

この前、下田兄弟の2人と、荻野兄弟と一緒に7人で木に登ったんだ。荻野兄ちゃんは僕と違って飛び降りるのを発見した。何度も登っては飛び降りていた。怖くないのかな。

やっぱり竹と幹の間で手をはさんだ子もいた。あれは痛いんだよね。人数が増えると、登っていること下りてくる子がいるから、そうゆう危険は倍増する。登ってくる子が竹の下に手を入れて、上から来る子がこの竹を踏む。「痛いーー」といっても、自分が竹を踏んで押しているんだって思っていないから、ちっともどいてくれないんだ。

今度は野球の練習後の8人に妹たち2人。大変だったよ。みんながばらばらで木の下で竹のちゃんばらごっこをするんだ。僕は困ったよ。それは次の材料なんだからね。

今度の冬には雪合戦だ。冬、早くこないかな。僕はベンチの上から攻撃するんだ。完成したら自慢しよう。今度は何人来るかなー。

 

長坂さんへ (2004.7.1)
この夏も既にスポ少で真っ黒になっているいがぐり頭の長男は、いつも何どでもを左手付で発表しました。もちろん車の中は貴殿のアコ音です。みかんさんを頭にみんながずんどこ腰で弾いているのが感じられます。運転している私もちょっと肩に力を入れています。二枚目のCDおめでとうございます。さて、先日小学1年生の授業参観がハモニカでした。特別の先生というのでどなたかみえたようです。そんなわけで彼女は車の中の4曲目を弾くといってリピートにしています。小学生に受ける音楽っていいですね。これからも、Hなんか吹き飛ばすような曲をどんどん作ってください。空に向かって叫ぶと、丘の向こうに届くようなそんな曲を作ってください。それではあの曲を制覇するこつを教えてください。

ダブルブッキング (2004.7.4)
試験をしながらどうなっているかなあと考えたりしました。撮ってもらったビデオ朝ごはんを食べる前にパパに見てもらいました。何度みたことやら。ご主人様によろしくお伝えください。こんなメールを友達のお母さんに送りました。私たち親は本番が見られませんでした。その日は女の子バレーの発表会。おっふぇンバッファメドレーでした。お母さん第12回福祉環境コーネター二時間びっちりとマークシートしてきました。結果は八月の20日少々お待ちください。ネットによる採点は予備校の答えなので確信がもてませんが、すぐに答えがアップされるいい時代になったものです。私も、おっちょこちょいでまんまと引っ掛けに乗っておりました。くやしーーー。

山形の大錦 (2204.7)
このさくらんぼの肉が厚くって、ものすごくおいしかった。

暇になると怪我をするわたし( 2004.7.8)
試験も終わって伸び放題の庭の草を抜いてみたら、なんと人差し指の中側の血管が切れました。内出血です。ドカンと黒く血管が破裂したのが皮膚の下に見えます。医者にも行かずに素人マッサージをしています。意外と不便です。もうそろそろ1週間ですが、ちょっとまだ気になります。やっぱり健康第一ですね。この年になるとどっかこっか詰まるものです。切れたのが頭でなくって良かったです。重いものを持つのは気をつけましょうアコが引けないのはやっぱりつらいです。しかしこの暑さでクーラーを掛けなくては練習もできませんね。アコもおちおちと車で運べなくなりました。

お土産( 2004.7.15)
頭を洗ったら、タニアピンの花が湯舟に落ちました。末娘が学校からの帰り道に持ってきた花です。机の上においてあったのを、そうそうと言って髪に挿してくれたのです。長男は死んで干からびた蛇を学校帰りに拾ってきました。二つに分けてあるので、聞いたら友達と分けっこしたけど最後にイランといったのでもらってきたという。すぐさま貯金箱に入れていました。もう誰も触らないでしょう。

ロマンチュチュ (2004.7.4)
今年も発表会に出ます。今度はロマンチュチュといって長いスカートを着られるようです。楽しみです。

それが、、、 (2004.7.4)
3級ではなしに、2級を申し込みました。ぐっと教科書がぶ厚くってどうしようの気持ちです。知らないことが多いのでやりがいはありますが、テスト対策の頭ではなくなってきているのでみっちりしごかなくてはいけません。

琢斗の発表会(2004.6.6)
雨の中豊橋に行ってきました。今回は“いつも何度でも”です。やっぱり練習で弱い所を間違えました。皆さんの上手になったねといわれでご満悦でした。写真がいいお顔で取れていると思います。

250字でまとめろ(2004.6.7)
殺人と自殺が多いのは文化不毛だからです。どうして学校に行くのかという根本をいわないで知識の詰め込み入試用の勉強をするからいけないのです。芸術や書写、音楽、をないがしろにしてきた付けです。それらは我慢後頃が無くては作品が完成しません。我慢して、伝承をするというものが文化です。佐世保の土地も、書写の時間が無いところがあるそうです。その関連性を役人はもっと知るべきです。文化が親の仕事を伝承することを尊重します。それで生業が、日本が、続くのです。生きる糧を伝承でもつのです。ドイツのように職人は職人の専門学校に誇りを持って通うというのが国を富ませる実利的な方法だと思います。日本人が商人の時代は終わったと思います。短絡的にものごとを移動することで設けないで、物を売るときには独自の付加価値をつけて豊かにして次に人に渡す。そんな時代が来て欲しいものです。私は大人になって、そうゆうことをするために役に立つ授業を受けていたかったです。もちろんいろいろな人の上にたつ知識いっぱいの人が必要なことも十分承知ですから、今のような学校も必要です。今の学校が全部専門学校になれというわけではありません。だた、それらの学校が誇りや自信を持って進学するためには周りの人も、その大変さを理解するために日本古来の文化、書写やそろばんをもっと再認識する必要があると思います。こらえ性を作るのが、人間尊重強いては自殺を食い止めるのではないでしょうか。

1600字でまとめろ (2004.6.7)
 「あんたは死ぬな」一生懸命生んだのだから死んでもらっては困る。これがどの母親でも思う子供にかけてやりたい一言だと思う。どうにせよ、産むというのは死ぬくらいつらいこと。痛い。かわいい子供に会えるとの一心でその痛みをこらえて生む。本当は自分に似てかわいくないのかもしれない。でも、親にとっては自分に似ているからかわいいのだ。自分が死んでも、そんなような子孫が残る楽しみがあるから生むのだ。二人の親がいて、二人の子供が生まれれば人類キープ。それ以上だと繁栄。以下のときにはその子の努力で二人以上のパワーを持ってもらうこと。それが生んでもらった子供の使命だ。使命感を持って、生き抜いて欲しい。お前さんたちは母の痛みと父の育てる苦しみをもらっているのだ。今片親の人はなお親に感謝すべきだ。ましてや子の無い親も有ろう。欲しくても無い。それを子供たちは思おう。君たちは未来の多い子供なのだ。「あなたの名前を大切にしよう。」そして、付けてもらった名前を愛そう。何日も悩んだにちがいないあなたの名前は家族の愛の証だ。なぜ一人一人違う名前なのか。どうして、誰がその名前に響いたのか。それで周りの大人が、どう反応して決定したのか。自分を取り巻く先輩たちの悩みを有り難いとは思わないかい。赤ちゃんと寝起きしたことがあるかい。臭いぜ。よくちびるぜ。うるさいぜ。よくなくぜ。でもね、必死感を感じると思う。生きようともがいているのだ。それが、ちょっとばかし自分でトイレに行くようになって、自分で好きなものを食べるようになるともう忘れちゃうんだな。その恩ってものをね。お乳ばかりを飲んでいた赤子がどうやって物を食うようになったのか。やってごらん。そりゃあ大変さ。離乳食だぜ。わざわざつぶしてから口に入れてやる。すると、吐き出すんだぜ。何度も何度も繰り返して、何度も何度もお尻を拭いてそんなことに付き合ってくれた人のことを忘れるなよ。一人で大人になったわけじゃないんだぜ。大人は、してやったことを忘れて恩きせがましくしないから、口に出さないけれど、言わないと分からない時代だから私はこの一言をすべての子供にかけてやりたい。「あんたは死ぬな」そして、子供を作れ。自分の子供を。自分の楽しみを味合わせてみろ。苦しみも、何とか生きる楽しみになるのだ。だから「あんたは死ぬな」あなたが5歳でも、10歳でも、20歳になっても私は言うであろう。「あんたは死ぬな」

なんか眠いワン(2004.6.9)
勉強する時間を作ると、それまで急いでことを済ませていたので疲れてきて眠いワン。困っちゃう。後一月無いのにね。

家庭内で交換ノートをつけることにしました。(2004.6)
三重県美術館のエミールノルデを見てきました。本当にいい色が出ていました。ものすごくいい美術館です。まず常設展の作品の選者がいいのです。企画展もよく選んで有ります。近いところにあっけらかんと参った感じを受けました。そこから感動をまわそうと始まりました。あんまりノートは人気無いみたいですが、連絡ノートとしてはいいようです。7月4日まで展覧会はやっています。

 母子手帳。( 2004.6)
4年生に成る息子。算数の作表の練習で、今までの身長体重を教えろと突然言う。それで母子手帳をすぐに出してやったら、書いてないところがあると文句を言う。そんなもん当たり前で、それよりも、いろいろ書いてあるのでほめてほしいくらいだ。それを文句たらたらだから頭にきた。今までのいろいろととってあったものを出してきて並べてやった。こんなにそれぞれを分けて取ってあったのに感謝しろい。ナフタリンを入れて、一人ずつダンボール入れたった。もうあけたるもんか。と、頭に来たから名古屋弁である。

琢斗の発表会 (2004.6.6)
豊橋で千と千尋の神隠し‘いつも何度でも’を弾きます。宮崎音楽二回目です。大丈夫かな。左の和音が幅広く動かさなくてはいけません。今回はカスケードの帽子をかぶって弾きます。

姉妹のおしゃれ(2004.5)
「このくらい髪が長くなったから、そろそろパーマをかけようか。」と姉が母に言う。それを聞いた妹が、私はシャンプーをした後に三つ編みをして寝るのだとせがむ。朝になってほどいてみたら不満げ。お母さんみたいにふわっとなる様にしてという。ウェーブはどうやら彼女の思惑と違うらしい。こまっしゃくれたものだ。

給食試食会 (2004.5.27)
一年生の給食試食会に行ったよ。食べているところも見に行ったよ。兄ちゃんの放送を聞いたよ。なゆた君と校内放送で言われたよ。なゆたはお替わりもしたよ。「大池のお母さん」「なゆちゃんのかあさん」と20人くらいの子が呼んでくれたよ。お母さんは嬉しかったよ。

お母さんありがとう。 (2004.5)
まだお礼をゆうわけにはいかないんですが、お母さんありがとう。私がここに嫁に来て、何度もそう思ったことは有ったけれど、このときばかりは主人ともどもありがとうを言いたいです。お母さんありがとう。あなたのやり方は間違っていなかったのですね。今答えが出ましたよ。7月になったら言いましょう。母さんありがとう。

 


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