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2001年3月 ママ+子3人で花フェスタ記念公園へ行く(3月20日)
ひやひやの本番(3月18日) リハーサル壇上のお母さんに、なゆた「ママー」と叫ぶ。 2曲目になると、客席を3人うろうろし始める。壇上から降りてきたら、統制の人に本番は誰か付き添いが来るのですかと聞かれ、CD録音に妨げにならないよう考えてくださいと言われた。本番は大丈夫だろうと、席についていたが、始まった直後、なゆたが跳ね上げ椅子から落ちて泣き出した。抱っこした私は会場から飛び出た。1部の中田幸子さんのお話は結局何も聞くことができなかった。ロビーモニターの声もなゆたの泣き声にかき消された。 休憩のあとの2部、始まる前に、前の席のおばさんが振り向いた。「ボク〜!椅子をけらないでね〜!頭が痛くなるからね〜!」と。いよいよ合唱団が入れ替わり立ち替わりする。子供合唱団が出てくると、ららるは立ち上がって自分もからだをゆすってニコニコ笑って見ていた。何とか場がもてていた。 私たちが壇上に上がる。場内飲食禁止だが、なゆただけ風船ガムを与えておく。ほかの二人は何度も「ずるいなあ」と訴えた。「雪の降る町を」を歌う。3人の後ろのおばさんが、見るに見かねて、「お母さんよ」と小声で言っているのが聞こえる。見ないようにしていたが、琢斗と目線を合わせる。ちっとも曲に集中できない。もう少しすると、客席の椅子を登っているなゆたのおしりが見えた。ああもうだめだと思った。非常に疲れた本番であった。 でも、歌を歌わせてもらっている、こうした私をとても幸せに感じた。 あとで琢斗にどうだったと聞くと「上手だった」と褒めてくれたし、車を降りたときは「お母さんもがんばったね」とねぎらってくれた。子供にお母さんのがんばる姿を見せたいという本来の目的が達成された。 夜の3人の入浴中、脱衣所で衣服を整える私の耳に、ららるが陣頭をとって、「あああああ〜」と発声練習を合唱しているのがとても面白かった。子供はなんでも一度で覚えるものだ。
久美子、中田喜直を歌う会本番間近(3月11日)
青岑、中日書道会ボーリング大会で20位(3月11日) 書道会の会員交流ボーリング大会に初めて参加。普段のアベレージは110くらいだから、ほとんど期待していなかった。最初からストライクが出て、なにやら好調な雲行きを予感。3ゲームで420出たので、自分としてはなかなかのもの。45人中20位の成績でした。最後のくじ引きで「副理事長賞」をゲット。ラッキーな一日でした。 景品でもらってきた包装紙がキティちゃんだったから、ららるにあけてもらった。ららるは墨液を手にして、さんざん一人で悩んだあげく、「やってみよっかな〜」となにげなしに字を書く決断をした。
ららる、『ナイチンゲール』を読む(3月10日) 寝る前に本を読んでくれと、やたらせがむようになったので、できるだけ読んでやる日を増やしていた。ららるのクラスの友達は、大分字が書けるらしい。私は書けない。と泣きべそをかいていた日もあった。昨日のこと、寝る前にこれを読んでと持ってきた『ナイチンゲール』を指差しながら母親が読み始めると、小声でわかるものからついて言うので一人で読ませてみるとたいてい読めていた。ものすごく驚いた。ららるには、一文字も教えたことはない。保育園でお手紙書きごっこがあるので、読むだけは友達の名前からできるようになったらしい。先生に感謝したい。読めなかったのは「を」で、「は」は「へ」に読んで、「ば」が「ぼ」になって、ららるの心がわかるようでした。
なゆた、文字らしき手紙を書く(3月)
琢斗、保育園を惜しみつつ満喫(3月) やけに朝早く起きて出かける琢斗。あと残り少ないから、早く準備ができれば「琢斗だけ連れて行ってあげるね」という約束で、「1日おきだね」と自分で決めて早く出かける琢斗です。延長の日は、ジグソーパズルを心おきなくしてくるようで、早いおむかえの日は、どこの友達の家に遊びに行くか大きな楽しみのようです。 |