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書のひろば

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2005年 夏

なゆの本番(2005.7.)
 ピアノの発表会があるようだ。曲目は人形の夢と目覚めです。本当はエリーゼのためにが弾けるのだが、足がペダルに届かないので先生が無理だとおっしゃいました。残念ですが、何しろ二年生。ピアノ暦1年ですからね。

アコの発表会(2005.7.)
 完成度に今ひとつなのですが、夏に岡崎のシビックホールで定期演奏会に出してもらえます。本人が新しいアコを使いたいというのでまたまた中型用ベルトをヤマハに注文してきつめになるように穴をあけて、背中が広がらないように右左渡るベルト工夫をして、先生の許可がしぶしぶ出たので赤37鍵72ベースアコから青41鍵フルベースアコに進級します。しかし、赤のほうが大きな音が出せるような気がします。たぶんじゃばらが強く引けないんじゃないかな。

ごきぶりの話(2005.6.17)
ごきぶりの話となると枚挙に暇がない。まず質問。なんでごきぶりはコックローチをすると家具の隙間に入ってゆくのか。知っている人がいたらメールほしい。さて、ここの所お風呂の湯を張ってさあ入ろうというとフルサイズのゴキチャンが現れてひと悶着があるのが3日ぐらいあった。まあ1ぴき2ひきでおおさわぎだった。おかしいな。小さいのがいるのは家でわいちゃったかなあと心配したものの、これはどっかから年越した大物が飛んで来たのかなあと思っていた。ごきぶりの成長についてつまびらかではないのだが、多分越冬したのがいるのか、それとも種類が違うのか。何しろ急に大物が出だした。其れが今日はまず5匹。湯を張りに行った娘が脱衣所に1匹いるのを見つけて大騒ぎ。薬を吹きかけたら下着ダンスの隙間に入っていってしまったので其のうち出てくるだろうとほおっておいたら脱衣所の逆の靴脱ぎ場でいると長男が叫ぶ。いやいや、それはどっかに地下道があって、ワープでもしていったかと話しながらそっちに回って叩きのめす。本当は私はごきぶりをたたくのが上手ではない。ちょっといい気分だ。しかしそれは単なる始まりだった。風呂のドアを開けた娘が左手の死角の壁に見たと叫ぶ。いた。逆手ではたく。また成功。ところが浴槽を除くと其の中に発見。たたく。すくう。土間にほかる。しかし其の1秒後あけたドアの後ろにいるという。ちょっと勇気がいる。反対のドアから息子が覗く。見えないという。私は反対がわに回る。ものすごくタイミンクよく娘がドアを閉める。やっぱりいた。たたく。すくう。土間に出す。ふー。何だかやっつけるのがうまく行き過ぎる。今までは大体私がたたくと、びびりが有るので外れて横の床をたたくことになる。すると逆送してきて私が逃げるというのが今までの歴史だ。今日は、ちょっと違う。家族の団結が今日の身方かナ。反対側から浴室に入ってきた息子が今度は石鹸スタンドの横にいるのを見つける。みんなフルサイズの茶色ぴかぴか。参る。モウいいだろうと思ったら、先ほどの隙間に入った子が出てきて上を見ている。さあ一振り。土間行き。そこで私は出かけなくてはならならなかった。娘は風呂に入らないと泣く。姉さんがなだめて一緒に入ろうと誘ってくれたので私は出かけることができた。帰ってくると、ハエたたきがさっきと違うところに有る。触ったようだ。車のかぎをおくとなんとそこには上を向いてあがいているやつがいた。たたく。土間行き。なんだ続きがあったのか。外で夜の洗濯をする。今日はプールに入った最初の日だからそれを簡単に洗って軒に干す。これだけはしないといけない。あれれ。風呂の外壁の暗闇の中に3・4匹談合しているやつら。そろそろとスプレーを持ってかける。飛び散る。離散ということ。かさかさの合唱。明日にはみんな上を向いていることだろう。さて何匹でしょう。この殺生。もちろん叩きながら南無阿弥陀仏は唱えるものの心に示しがつかない。何も悪いことをしないのに。気持ちが悪いというだけで殺されている。わぉー。彼の好物はなにだ。教えてくれるなら外においてやるからそこでくつろいでもらいたいものだ。今日のやつらはたぶん家庭学習が足りない。逆切れがない。それでこんな私にやられてしまった。それなら考え方を変えよう。かくれんぼと思ったらもっと楽しいのかもしれない。見つかったらじっと動かないのはそんな気分なのかもしれないとずっと思ってきた。こっちのでかたを様子見ているようなあの沈黙。モウ書くのはやめよう。次回は一段落別に私のごきぶりとの交流の歴史を書くとしよう。最後に、最近のヒット商品を書く。あくまでもほう酸団子。其れも、手作りの新しいもの。何もうちに帰ってそこの巣を全滅させるようなこ難しいのではなくて、地域の自治会で作って一袋いくらで売っているようなそんなのが効くと思う。

二階の窓は四枚戸(2005.6)
来るべき次のテーマは布団干しだ。あなたならどうする。と歌いたくなるぐらいに難問だ。二階に寝る人口は5人で、敷布団は5枚ある。アトピーの子はいない。だからみんなの布団を干したい。窓と窓の間にも手すりをつけて布団を間に干せるようにしたい。しかし、いいアルミ屋がない。

ごきぶりマジック(2005.6)
ごきぶりを通して家族愛が深くなり、団結するという物語を書いたら共感を呼ぶのだろうか。最近出ないね。という会話のあとに、下の娘がひとりで風呂に入ろうとして、奇声が出た。さて、持って走るのは蝿たたきだ。そろそろ買い換えないと、ピンクが妖しい迷彩色にそまりつつあると気になっていたところ。むすこがわくわくしているのが分かる。何もかもほってキンチョールを探し回っている音がする。さて、今日もあの風呂いすの中に入っていってしまったから、今日こそはと、上の穴から長男が噴射をした。さて、出てきたのは多少ふらついた盛りのついたゴキチャン。立てかけた床マットの平均台の上を右往左往している。しかしそこで息子が叫ぶ。これはさっきのと違う。すこし小さい。そんなことないからと私はしとめてほかる。まだいるという彼の言葉を制してぐるっと見回すが、それと思われるものは見つからなかった。それから子供たちは入浴を済ませ、寝付く。3時間後の私の入浴タイム。見渡したところ、かさかさと音もしないし、黒い物体もいないようなので何事もなくふたをあけたら、どこからともなくゴキチャンが飛んで出て浴槽にダイブした。急降下だ。飛んできた勢いで羽が水を掻いている。暫くの潜水の後、おもむろに壁面につかまって、ぬれた羽を乾かしている。これからが彼の見せ場のようだ。しかしなかなかそこから動かない。まるで私が見ていなかったかのように知らぬ存ぜぬで逃げ失せようとしているのか。こちらの気持ちを量るかのような間合いが続く。そうこうしているうちに私のテクニックを超えるごきぶり歩きが展開される予測がしたので私はそっと脱衣所にキンチョールをとりにいってかけた。しかし、ことは思わないほうに進んだ。かれは水の上に浮いてしまったのだ。いつものように走り回るという体力がなかったようだ。ふと私は息子の先ほどの言葉を思い出した。こいつはあのときの一匹目か。一度噴射をうけた弱ったやつなのか。息子に感心の気持ちが湧いてきた。彼の目は確かだったのだ。椅子の下でごきぶりは入れ替わっていたのだ。浮いているごきぶりはまるでスターワオーズに出てくる黒い甲冑のお父さんのようだった。すそ広がりのお手上げ状態で浮いている。困った。私は裸で、まだ風呂に入りたい。其の湯には何時になく透明で魅力があったが、ゴキチャンと一緒に入浴はしたくない。どうしたらいいのか考えられないので助っ人の主人を呼んだ。実はまだ彼も風呂に入っていない。彼は冷静だった。この湯は油が浮いているので入れない。そりゃそうだ噴射したからアルコールもあろう。それでゴキチャンをすくってもらって、叩いてもらった。さらばだ。私は結局湯を張りながらシャワーになった。妙に息子の成長を頼もしく思いながらご機嫌になってしまった。さてこの話を何時しよう。なぜにごきぶりは嫌われるのか。その色。その妙な軽さ。その臭い。その態度。われわれの食べ物にたかると、病気を呼びそうな気がするからか。やつがもし白かったら愛されるだろうか。かさかさ触られた感じはちょうちょだってカブトだって、それぞれだが、なんら変わらない。本当は何も悪気のない生き物かもしれないのに何故見つかっただけで殺されなくてはならないのだろう。ごきぶりの気持ちを考えると、割に合わない。

メキシカンハットダンス(2005.7.3.)
琢斗君の発表会です。岡崎のシビックホールという綺麗なところ。曲はメキシカンハットダンス。現代名はエルソンブレロ。楽譜をもらったときはぜんぜんイメージがわかなかった。この曲は弾いてみてだんだんと楽しいと彼はいう。練習が楽しいらしい。勉強の合間を縫って日に5回だか弾いたら丸を打つ日が続いた。帽子は民俗音楽の権威者キャォ教授に聞いてイメージを沸かし、ばあちゃんの万博のメキシコ館でかぶった写真を見てのママの裁縫もの。シャツはそのときに買ってきてもらったメキシコ館のもの。当日は間違えはしましたが、戸惑うことなくこなしていました。彼のうれしかったのは合同演奏に参加できたことと、二次会に参加してお人のアコを使って弾かせてもらえたことです。下の子達もアコ予備軍として参加させてもらえたので楽しかったようです。帰りの高速も寝ることもなかく、かえってからは興奮した報告がずっとつづきました。

要約筆記(2005.7.16)
視聴覚障害者の人に伝達する技術を学ぼうという講座に参加。考えたことを書きます。 英語のビデオを見ているとキャプションといって英字幕がつくことがあります。音声多重の二ヶ国語目に字幕の出るシステムになっていて、デコーダーをかけると字がでます。次に中国に行くと発音が地方によって違うために漢字のテロップが普通に流れます。このようにただ単に難聴対策でなくて字幕の必要なことがあります。ですから今の時代はユニバーサルという言葉があるように目的意識のない垣根のない字幕への捉え方があってもいいと思います。 また、筆記というと通訳をする人が自分の覚えのために書く略語のことを思います。今回の要約筆記では逆にそういうものを用いないで年寄りでも分かるようにポイントをまとめて書く。という観点を必要とします。逆にいうならば誰でもかけるということです。聾唖者や補聴器を使う人を対象としないまでも、万人に通じるという観点からするとこれもまたユニバーサル思考のものです。必要事項を簡潔に書くということは学習の基本ですし、ボランチィアと言う範疇ではなくて、小学生の時分から学んでしかるべきもの。これからの老人過剰時代には人生の途中から知覚を失うこともあるのだという認識を当たり前にしたいと思った。バリアフリーという言葉もそうゆう理解を前提にすることから生まれていると思う。 中途難聴者は話ができるものだから一見分からない。そんな障害を知らないことで、そういう人々を酷く傷つけてしまっている社会を間違っていると思った。それで、申し訳ないのだが、困っている人は逃げないで主張してほしい。そしたら傷つけることをしない社会が自然にくると思う。加害者は意識しないで人を傷つけている。残念ながら私も知らないからした行為で過去に他の人を傷つけてしまったことがたくさんあるはずだ。 この間勉強した福祉のことにつけても、今回の、目に見えない障害invisible handicapped は行政にもまだまだ無視されている重い問題だと思った。現在の日本文化は見えたことしかわかってくれない。これを子どもに教えるときの注意点。横書きでないと補足を助手の人が書き足すことができないので縦書きは不可。早く-頭の切り替えを早く早い情報がほしい。正しく-間違ったことはゆうまでもなく、大切なことを書き落とさない。読みやすく-漢字の書き順が違うと笑われる。      文末は。で終わること。マークを使うと分かりやすい。英語は年寄りには分からないのでカタカナで。小さく書くと見にくいので大きく書く努力を。助詞は単語に引っ付けて行を変えない。泣き別れというそうだ。声をかけることができないので、書いたら、肩を叩くなどのスキンシップを必要とする。口話といって話をする人の口動きで何をいっているか分かる人もいるので正面からゆっくりその人に向き合うこと。OHPでスクリーンに書く時には偏光レンズ35%カットを利用。

2005.7
導入の仕方。「三十年前の私はこんな風にしかテレビを見られませんでした。周りで家族が笑っていても、自分だけは面白くありませんでした。皆さんもそんな音のないテレビを見てみてください。」ドラえもんのVTR声無し「さて、何人の人がこの話を分かったでしょうか、では笑ってみましょう。」ドラえもんのVTR声無し字幕あり皆さん向けにもう一度見てもらいましょう。ドラえもんのVTR声あり字幕あり「普通の人のように見えますが、私は3歳で出た高熱のため中学生になってから急に耳が聞こえなくなってきだして、17歳くらいでほとんど聞こえなくなりました。小さいころに話ができるようになっていたので自分は話せますが、自分の声が聞こえないのでものすごく大声でいました。こうして今は、人工内耳という補聴器をつけて、大体は聞こえるようになったものの十分聞き取ることはできません。皆さんはそういう人がいることを知っていますか。早くから年寄り耳になってしまったようなものです。さて、みんな。それって楽しいかな。そんな友達がそばにいたらどうするかな。おじいちゃんおばあちゃんとどう話しているのかな。」「中途障害者の私が口話でわかったフリをしていたのにやはり汲み取り間違えがあって、それを隠すのをやめたのは子供ができて、その命を守れないと思ったから。しまった、そうだったのかでは遅い。」「400万かけて磁気伝導ループをつけた。初めて子供の声でお母さんと聞こえたとき安いと思った。」私はそう語る彼女を知って、本当に安いと思う。自分の息子の声をどれだけ聞きたかったのかと思うと、目頭が熱くなった。

手をあげないなゆた(2005.6)
授業参観に行った。みんなはいはいと手をあげているのにちっとも手をあげない。聞いてみると分からんという。確実性が無いと試しでも手をあげないのがその子の性格だ。

なゆの初発表会(2005.7.18)
予定外の発表会に朝から美容院。全体写真を撮るようである。ドレスは前から何かあるかと買っておいたのが使える。あるものを上手に生かすチャンスがきた。本人さんは七回間違えたといっていますが、いたってうまくとまらないで流していました。

スポ少合宿(2005.7.23-24)
初めて母集団として参加した。下の子も家においておかれないので参加。当たり前のように人数参加費だったからつらかったけれども、子供たちはたのしかったようだ。ものすごく疲れた。バスがゆれたので気持ち悪くて、子供のことを考えられなくなる手前だった。でも楽しかった。プロのチャーハンがことのほかおいしかった。お世話になったかたがた有難うございました。

くちゃくちゃ用紙の(2005.7)
もし息子がくちゃくちゃのテストを見せてくれたら、どうだろう。多分、70点か60点かもしかしたら30点かもしれないと親は思うだろう。出かけたばかりの息子が自転車のグリップを包んで持って来た紙はまた一段としわくちゃだった。「忘れ物でもしたの。」いつものように声をかける私。「違う。見て!!」自転車にまたがったまま紙を差し出す。もちろん広げないと見られない。そうか、合格か。満点が150点で三個。落第が一個。赤の罫線。しかしその赤の暗算をほかで充分にカバーして、合格。それを見せようと、ひとまず帰ってきた息子の嗚呼うれしいことよ。それからまたそろばんに出かけた。ご苦労様。

後を追う自転車の(2005.8.)
塾の送り迎えを自転車でするようになった。踏み切りがあるし、国道を越すのかな。それでついてゆく。通る道を決めてあるので私が後になって走る。振り向き振り向き様子を窺って息子は走る。嗚呼。私には息子がいるんだなあと思った瞬間だった。

今年の海、日焼け度は(2005.8.お盆)
今年は初の水晶が浜。自分たちの車で行くというテーマ。白い浜が綺麗だったし、曇りがちのいい天気にみえた。しかし両足むくみレベル。お産以上。向こう脛押したら深さ5ミリはいくか。かばんのお守りをしていた間に帽子で顔を覆って一瞬寝込んだのがあだ。どうやらパラソルの下は日なただったらしい。Tシャツの部分はオッケー。守られていた。・・・・ものの、私のしいていた敷きものはサンターン用だったらしい。それがやばい。その日の夕方は足があかくほてっているね。ですんでいたのに、あついねに変わって、喉が変に渇いて、体がポカリを欲していると分かるくらい。次にパンパンに腿が張ってきた。冷やさないとやばい。うちに帰ってから水泡は3個だけと確認。たいしたことは無いと思うものの、しかし2000年のあの古い薬を探して飲んだ。とにかくシーブリーズでつないでいる。座るときに表面の皮が突っ張っているのが分かる。主人は耳が痛いらしい。残念なことに、比較的薄いと気づき始めた頭頂も、しっかり狙われて焼けているようだ。赤くなっている。反省お盆中の海はその後に病院が休みなのがネックだ。もう年なのだから焼くつもりはないから、行く前には肌をいたわっておかないとしみになる。蚊に指されていてもいけないし顔もそっていかないほうがいい。水着にTシャツは当たり前のこと、軽いズボンかなんかで下半身の対策も次回から検討したい。

からすの話(2005.7.)
庭の一番高いところにからすがすを作った。15000円出したら駆除してくれた。しかし、今度は反対側の家の駐車場の木に巣をかけた。それで私がのこぎり二刀流で上って枝ごと打ち払った。そんなに近くまでいかれないから3メートルぐらい下の余計に太いところを切った。ひとつののこではシケって切れないので二本持って上がったのはやはり正解だった。めりめりめりと音を立てて枝が倒れた。暫くしたら家の玄関先の電柱に巣をかけた。中部電気保管協会が来たので分かった。それも、「金物を使っていないから絶縁の危険性がないのでそのままにしておく」とのこと。それが、3か月くらい立って子供を生んだ頃にまた来て駆除しかけていた。見ていると飛べない子供が足を引っ掛けて逆さずりになった。そしたら、今度は「動保護法があるから駆除できない。」ということで帰った。


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