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書のひろば

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2003年 夏

夏の宿題( 2003.7.28)

去年は面白かったなあ。二人ともが硬筆だったから、お勝手の机で二人並んで一筆ごとに、呼吸を止めて書いていたよね。今年は上の子が3年だからがぜん筆の宿題が増えてパニックだぞー。しかし君は大池琢斗だからやらなくてはいけません。

みぎわさんとダイナソー(2003.7.23.24.25)

前日にお台場のパナソニックで恐竜を写生しようという2時の企画に申し込んでそれから6時まで遊んできました。充分に遊べるところです。しばらくそこのHPにうちの様子が見られるページがありますので載せます。

http://www.dinosaurfactory.jp

ID=RXENGD
PASSWORD=5670

私の描いたフロロサウルスという恐竜は歯の下に予備の歯が百近く隠れているようです。その後大道芸プロのアコーディオン奏者

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/9507/main.html

みぎわさんを追っかけてカグラザカのほうづき市に急ぎました。カッパを着せて小雨なのでやっていないかもという不安の中、坂を上りました。ららるが財布を出して投げ銭したのが印象的でした。その後夕食ラーメンで暖を取りました。次の日は三鷹のスタジオジブリのランチ。猫バス3回乗りです。

http://www.ghibli-museum.jp/welcome.html

そのあとは好例のサルゲッチュウでした。つぎの日は特別企画展の天気展と、またもやサルゲッチュウでした。

タクトの合宿二回目(2003.7.19.20)

ものすごく疲れた様子で、おばあちゃんたちを扶桑に迎えに行く往復を3列目シートで寝ていました。その後も二階で寝ていて、さっき少し食べてマタ寝るようです。川遊びはできなかったけれど、鱒つかみとかして、楽しかったようです。百年公園は恐竜が見られたので、また行きたいと言っていました。女の子たちはそれぞれの友達が泊りに来て盛り上がりました。その後おばあちゃんと狂言の野村万 齋を見てきました。よい週末でした。今回の御泊りのポイントは餃子作りの夕食と小学校と保育園のペアのカワハギ煮つけ食べ競走、分厚いパンの朝食とそばランチでした。 お風呂では四人並んでごしごしやっていましたよ。家族だけよりも、活気があって規則ただしい時間でした。

処女舞台(2003.7.13)

なゆたとララルの初めての発表会がありました。犬山の南部公民館。市民芸能祭の最後の出し物です。ものすごくちゃんとやれました。見てください。美人でしたよ。次はもっと広い舞台の9月です。

万博に関するスローガン

かく Carve and dash Go straight and wave. Aichi art forum exhibition 2005 Chubu Nippon Calligraphy Association

Art Living Amenity 生活空間をより美しく快適に!!

やはりレオタードには弱い(2003.6.20)

おとうさんの話ではありません。女の子のことです。バレーのレッスンをあれほど止めたがっていた娘たちが、今日の衣装合わせで、パニエのついたレオタードを目の前にしたら、もう秋の発表会も出るというのです。ほら見てやってください。ポーズまでとってるでしょ。本番は7月13日です。ご覧になりたい方はメールで御問合せください。へへへ、、、

サイレントルームを買うよりは、(2003.6.16)

ご近所さんが救急車で運ばれて、帰ってみえたから良かったのですが、休んでみえるようなので、その、、、練習がしずらいのです。其れに仕事にみえる人がいるのに、ずっと弾いてばかり入られないのです。う〜ん。弾く時間をやっとこさつくっていたところにこのアクシデント。ストレスがたまりました。そこでこの間のタクトの練習日にゲットした車の中での移動練習とやらをやってみました。先ず持って乗り込むまでが一苦労。いつも持 ち歩く琢斗サイズは37鍵。41鍵はさすがに重い。ガツンとぶつけてひやりひやり。それに車の中で入れ物から出すのにがつんと一苦労。又車で移動する時にがつんとしないようにするのにも一苦労。苦労はつきません。その上練習する時に見ていた鏡が無いので、思った以上に弾けません。ああ浅はかかと思われました。塾の迎え待ちの時間でしたが、外への音漏れはほとんど無いようでした。助手席を前倒しにして、ちょうどその背中に譜面が乗りますので、気を良くして、ちょっとはやる気がしてきましたが、、自分の出す音にくらくらしないわけではありませんでした。夏の暑くなる前だったらエンジンを止めてからクーラーの効いている間だったらいけそうです。ただアコチャンを車の中に入れっぱなしにできないのが残念です。もし、しようと思われた方に申し上げますが、アコチャンは熱に弱いそうです。炎天下でのインロックは厳禁だそうです。ジャスコの駐車場みたいなところだったら屋根付で暑くなくっていいのかも。明るいしね。夜の練習でしたらペンライトをお忘れなく。そっか、うちの車庫の中ですればいいのか。夜なら車庫の電気をつければ見えるかな。時間とパワーが取れたらやってみよう。ちょっと陰湿かなあ。サイレントルームを買うよりは走るサイレントルームでいいかもね。家も狭くならないしね。本番前にはカラオケボックスという知恵もえました。なるほどね。

大切な人を送って、(2003.6.10)

私の周りにいる年寄りに肩入れをするわけではないのだが、私の守り神となるその数人、いや数十人かもしれない恩師や、心のよりどころとなる神々の、その心を私の中に取り込んで、礎として生きてゆくのが、これからの私の過ごし方かと少し分かった。子どもではない私の、体の中の力となって下さい。私の歴史の中の人たち。

いってらっしゃい伊藤介二先生(2003.6.10)

私はその日何をしていたんだろうか。愕然としながらカレンダーを見る。その日はめずらしく学校を休むほど長女が熱を出して、手当てをしていた。うちの子達には東京のおじいちゃんで通っている介二先生だ。森義先生の紹介でフローリッシングを習ってかれこれ10年の余。もっと長かったような気がする。ずっと入朱にかこつけてラブレターを送ってきた。昨年の夏にお台場の船上から携帯で電話したのが生の声の最後。どうしても東京にいるのだから会いたい、と連絡をしたのだが、「またお互いにいい時にあいましょう。」と言い含められたので、この夏休みには是非にとチケットを取った日のこの訃報。こころから合点がゆかない。辛口がいいのだ。私はほめられたくない。それで伸びてきたつもり。その辛口が甘くなってきたので嫌だった。先の師の森義先生もそうだったから、変な気がしてきていた。ほめて欲しくない!私は文句をいわれたかった。私がそうである以上に師に要求されたかった。先生、私は筆をとらない日には、それが心苦しくって、怠けている時にはそのつど先生に問いかけてきました。心の師としてずっとコンタクトをしてきました。 こうなってしまったこれからは、問いかけてゆくのでしょう。これでいいのか。これでいいのかと。天国でもさぞ忙しいかと思います。旧友たちはきっと入会を喜んで引っ張りだこかもしれません。が、下界にいる私たちみんなの声も聞いていてください。どうぞどうぞ。 私たち洋書道メンバーの心の師、介二先生。いってらっしゃい。

書き込みより(2003.5.26)

【978】 真ん中の子供は何とか熱は下がりました。 昨日はありがとうございました。息子も皆さんにほめられて気をよくしています。自信がついたのかな。残念なことに常連さんの顔が舞台になかったようでした。寂しかったです。私思ったのですが、先生も舞台に立つというのはすばらしいことです。よくあるピアノの発表会では先生は伴奏こそすれ、お手本演奏がありません。私先生方の演奏が聞けるのはアコに対するイメージが感じられてとてもよいことだと思いました。特に今回のギンバ様と牧野先生のそれは聞いていて先生方についている幸せを思いました。何でも、年代を超えてアコ大好きという気持ちが伝わってくるいい演奏会でした。ありがとうございました。皆さんはいかが思われましたか。それからキャンパスの感想を誰か教えて下さい。行かれなかったものですから、、、ららるが熱を出して、お稽古中のおばあちゃんに頼んで出かけましたので合間合間に電話をしていました。うまく弾けたら打ち上げにも誘ってもらったので連れて行ってやろうかと思いましたが、急いで帰ってきました。3人いるとみんなの体調がよくないといけませんね。今回の演奏会で、思ったことには、子供達それぞれに何を残してやれるかということです。参加者にもう10年目になるという学生さんがいました。親御さんのお顔が見たいと思いました。たぶん客席のあの夫婦かしら。私もいつでも私がいなくなったときに、やらせてもらってよかったと思うようなものを持たせてやりたいとおもいました。また、主婦のプロの牧野先生が帰り際に何度もお大事にといって下さったのが印象的でした。きっとこれを機に家庭の反対が噴出してはいけないという配慮かしらと深く考えたりもしました。

 タクトの演奏。 (2003.5.25)

 二回目の彼の発表会は豊橋でした。ビデオを撮ったのですが、なんと電池ぎれで、本当は二番まで弾きましたが一番しか 撮れませんでした。90秒くらいです。すぐに報告しようと悪戦苦闘しているのですが、どうもうまくホームページに載せられません。デジタルビデオをアップするのは難しいのでしょうかね。以前デジタルカメラの動画はうまくいったのですが。今回は音声だけと、映像とファイルが分かれてしまうのです。先日音楽を聴きに出かけた久保さんの影響を受けているので、連絡を取って聞いてもらえるように努力中です。意外と堂々と弾けました。秋には久保さんのCDにはいっている魔女の宅急便の、風の丘をひくつもりのようです。毎日聞いているので簡単にできると思っているのかもしれません。ちゃっかり彼女から楽譜のコピーをもう入手しています。コードがのっているので何とかはなりそうと本人は言っているのですが、大変なことになりそうです。

補助輪取れました。 (2003.5.6)

お勝手をしていると、「お母さんお母さん。」とニイチャンに任せてあそばせていたなゆたが飛び込んできた。どうやら補助輪が取れた喜びを伝えたかったのでしょう。本当に三人目は人の気持ちを引く天才です。ニマーっとして見に行ったのはいうまでもありません。おばあちゃんが帰ってきた後も呼び出して、おばちゃんが見えたときも呼び出して、本当にまめなものです。その後まもなくして逆上がりもできるようになりました。


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