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2月28日(火)性教育の重要性を感じている件
なんとなく私のライフワークというか、
単なるイチ被害者(?)としてトラウマを抱えているだけなんですけど、
セクハラとかストーカーをどうしたら防げるのかというのが
ここ数年の重要なテーマです。
こういう系の話って冷静な判断を失ってはいけないので
たまに周りの人にセクハラとかストーカーについてどう思うか聞いてみるのですが、
先日ちょっと新しい視点をいただきました。
その人は外国での生活が長いのですが、
フランスでは、家庭で日常的に愛と性の話をするので、
セクハラが起こりにくいんだそうです。
それに対してアメリカや日本では、そういう話をあまり家庭でしないので
性的ないやがらせや暴力が問題になりがち、と。
・・本当かなぁー???
それが本当ならフランス移住したいです。
(そういえば、一時期、フランスの同性婚「パックス」についても調査してたよな、私)
具体的な統計に基づいた指摘ではないので間違っているかもしれませんが、
その話を聞いたときに、「でも確かに性教育ってひとつの大事なファクターだな」と思いました。
そんなことをぼんやり思っているところ、
塾講師のアルバイトで、
「絶対まともな性教育が必要だよ」と感じる出来事がありました。
小4のときから授業中に突然「セックス!セックス!セックス!!」などと絶叫する女子がいるのですが、
この1年でどんどん悪化。
先週は、授業中にふつうにみんなの前で「塩酸は酸性?アルカリ性?」と質問したところ、
男女の行為を手で表現してげらげら笑ってました。
おぞましい光景でした。
私、そんなのをみたのは、ジョディ・フォスター主演の映画「告発の行方」以来ですよ。
レイプされたあとの主人公に、男たちが手でそれを表現してゲラゲラ笑うんですね。
小学校5年生の女子が、そういうことを覚えて、意味もわかっていて、
オトナに向けてやって、相手がドン引きするのを楽しんでいるんです。
彼女が九九の5の段を言えないことは、この際あきらめましょう。
性の問題をバカにして、いたずらに面白がるのは、
自分が生まれてきたことそのものを汚す行為だと思うんですよね。
その結果生まれてきたのがお前だけど、大丈夫??
と問おうかな、といつも思いますが、
そういう子のお母さんもやっぱり問題児なので、
余計なことはいわないことにしています。
また、そういう子供なので、道を歩いているだけで
近所の風俗店の店員にからかわれると言ってました。
5の段も言えず(よりによって5の段だからね。たぶん1の段の次に簡単だからね)、
いたずらに商品化された性情報におどらされている彼女が
10代で望まない妊娠をしないよう、願っています。
ほかの子供たちも、自分が生まれてきたことと商品化された性は結びつかないようで、
それはそれで当然でしょうが、
おぞましく下品な行為をやってみせてくれます。
アダルトサイトなんかもがんがん見てるんだろうな、と思います。
今は、商品化された性の情報が子供たちに入ってくるのはとめられないと思うんですよね。
そして、別に見るなというつもりもないです。
無菌室で育てたいと思ってるわけじゃありません。
だから、判断できる正しい知識が必要だと思うんです。
10歳にもなったら、どうやって自分が生まれてきたか、
本来のものはどうなのか、商品はどうなのか、
教えるべきだと思います。
目の前の相手のことが好きにしろ嫌いにしろ、
どういう態度で接すればいいのか、頭で考えてから行動する人になってほしいです。
本能と理性をコントロールすることの必要性を子供のうちから理解してほしい。
好きだったら本能のままにいけると思ってる野獣が1匹でも減らしたいです。
2月25日(土)今ってそういう世の中だよね。の件
断捨離がらみでひとこと。
本を処分するにあたり、近所のBOOKOFFの店舗に引き取りを依頼したら、
どんなに早くても5月19日、って言われた。
今って何月??
どうして5月??
持ち込んだときに「お引取り承ります」っていうチラシをくれるから電話したのに。
店員は「5月しか無理」しか言わない。
今が引越しシーズンで、忙しいのはわかる。
わかるけども、3ヶ月も待つなんて、まったく機能していないじゃないか。
「なんなんだよ??!(怒)」と電話を置き、
ほかの店舗を調べなくては、とネットでBOOKOFFを調べ始めたら、
依頼した当日にクロネコヤマトが引き取りにきてくれるサービスが掲載されていた。
各店舗で引き取りに来るのではなくて、BOOKOFFの集中センターみたいなところに
まとめて持ってってくれる。
集荷はクロネコゆえに、ネットで依頼した当日中に来てくれる。
なんだよ!!!???
こんなすてきなやり方があるから、
各店舗では引き取れない状態になってるってことでしょ??
これを店舗に電話したときに教えろっていうんだよ。
いまどきのアルバイト店員に全体像を把握せよなんて
期待するほうが無理なのはわかっている。
でもさ、やっぱさ、世の中の方向性として、
「5月しかできません」で終わっちゃいかんと思うのだよねー。
店舗の引き取りは5月までできないのですが、全国規模でやってる別の方法があります、となぜいえないか。
というか、そっちのやり方があるから、店舗単位での引き取りを
極端に減らしているということなのだろうよ。
とはいえ、私にもそれなりに情報収集力があって、別の方法を見つけられるから、
それなりにいいんだと思う。
だんだんババァになって、いろんな情報にアクセスできなくなっていくと
バカ店員ばっかりだと、何かと面倒だろなー。ふぅ。
2月24日(金)というわけで、断捨離してみた件
だんしゃり本を読んでやる気になりました。
まずは手を付けやすいところから、ということで、本とCDを捨てることにした。
捨てるというか、BOOKOFFに引き取ってもらう。
私はコレクター欲はあまりない。捨てるのが「もったいない」と思っているので、
リユーズしてもらえるのであればあまり心は痛まない。
というわけで、過去のおっかけの日々を精算した。
CDで2枚持ってるものは1枚にした。
保存用と聴く用のうち、保存用は要らないってことで。
・・・そっからですよ、そっから。・・道のり長いな。
2枚を1枚にしても、そんなに減らないので、残すアーティストを決めて
それ以外は全部BOOKOFFに送ることにした。
KEMURIと、レピッシュと、BLUEMAN GROUPと、氷室京介、福山雅治のみ!!
POTSHOTはベスト版1組だけ残すことに。
ぎゃー。がんばった。
これ以外のアーティストで聞きたいものはHDDなりUSBなりに入れることに。
本は、基本的にとっておかない派なので、部屋にある本全部。
そんなわけで、CD約50枚、本も70冊ほど。
高校生のときから大事にもってる堂本光一君の生写真も破棄。
いつもはBOOKOFFに自分で持っていくのだが、さすがに量が多いから、
引き取りを依頼。
ダンボール2つ引き取ってもらったけど、別に部屋が片付いた感はない・・。
なぜだー???!!!
・・・わかってるよ、わかってる。
つまり、はみ出していたものが少し減っただけなのだ。
あの断捨離雑誌にあるような、ガランガランの部屋にはならない。ち。
言い訳だけど、私は4畳半に暮らしているので、ある程度の限界はあるかな、と思う。
実家だけど、靴もブーツも、シャンプーなどの風呂場周りのものも、熱帯魚の水槽も、
自分の部屋にある。
陶芸で作った食器も全部自分の部屋にある。
本は置かないとはいえ、勉強のテキストや資料はあるし、
塾講師ゆえ「予習シリーズ」もあるし、動物園の資料もある。
この中で、どれだけガラガラの部屋にできるか。挑戦は続く!
2月22日(木)会社が今日もいやな件
昨日、研修のタイトルを変えろと主張する社員に突然遭遇して
ちょっときょどった話を書いたのですが、
本日も、また文化のギャップで苦しいので書かせてください。
私の会社では、お客様の依頼でポスターを作ることがあります。
デザイン会社でも印刷会社でもないのですが、
私の会社が支援して導入したシステムについて、
顧客の会社の中で「こういうシステム始めました!」と案内する必要があるので、
そのポスターを作るんです。
その際、写真を入れることが多いのですが、
現行、印刷やさんに有料で提供してもらっている写真を使っています。
ところが、本日、ある社員に指示されたところでは
「ここのサイトは著作権フリーだから、このサイトに落ちてる写真使って。」
ネットで探した写真を貼ってポスター作って、お金もらって、お客さんのオフィスに貼るのかー。
うーん。
著作権フリーなので、著作権法上の問題はないと思います。
思いますが、だからといって、うちの会社がお金をもらって客に提供するポスターが
一般的なネットに落ちてるものでいいのか、といわれれば微妙だな、と思います。
若い女性のやわらかな笑顔の写真なので、
パチンコやさんが同じ写真を使うかもしれません。
アダルトビデオ店が同じ写真を使うかもしれません。
それはついてない偶然として片付けるにしても、
今会社で使っている写真を止めて、新しくネットで落としたものを使う、とするなら
社内の、なんらかの共有認識が必要ではないかと思うのです。
業者も変えるわけですから。
しかし、営業担当者数人にきいたところでは
「は??いったい何の問題があるの??安いんでしょ?いいじゃん」
「相手は著作権放棄してるんでしょ。何が問題なの??」
そうかー。
安くてラクで、違法じゃないなら、何の問題のないじゃん、といわれると
「そういうセンスなんだよね、ここは」と納得するのみです。
唯一わかってくれたのは、NPO法人の理事をやってるおねえさんが
「超ありえない!!!絶対そんなことしない!!」と言ってくれました。
理由は「安い仕事しかやってないと思われるのがいや、
そういう下品さはいや」ということでした。
まぁ、つまり「品位」の問題みたいな。
2〜3人わかってくれる人がいるならそれでいいってことか。
2月20日(火)新入社員3年の魂百まで、の件
そろそろ会社がいやになってきました。
ちょうど5ヶ月。早。・・私にしてはイヤになるのは遅かったほうですね。
入社したその当日に「間違えた・・」と思ったこともありますのでね。
今の会社で何がやりづらいかって、
みんな別の会社からきた中途採用なのに、
みんな自分の「常識」を他人も同じ「常識」でやってると思っていることです。
ありがちー。
3つ子の魂百まで、といいますが、新入社員3年の魂百まで、と思います。
なぜ人は最初に入った会社のルールを転職後も有効だと感じてしまうのでしょうか。
かつての会社のルールがそんなに万能なら、その会社辞めんじゃねーよ。
思い起こせば転職のたびに「おめーの常識は私の常識じゃねーよ」と思ってきました。
私はよくも悪くもすでに4社目。
いや、途中のアルバイトも含めると、数えられないほどの会社を体験中です。
一部上場から、場末のお掃除やさんまで、正社員からアルバイトまで、
どこにも常識なんか存在しないと思ってるので、
その会社ごとのルールに従うしかないし、すべてが「慣れ」の問題です。
ですが、そのことに気付かず「俺さまの常識」を押し付けてくる人もいて。
瑣末な問題ですけども、書かせていただいていいですか。
あ、読み飛ばしてくださいね。単なる愚痴ですので。
今度研修やるんですけど(というか、この5か月、9割が研修の仕事なんですけど)
講師から研修のタイトルが送られてきました。
それって、講師のセンスというか、講師の言いたいことなので、
いままで勝手にタイトルを変えることはありませんでした。
社内の担当者が変えて、講師が言いたいことと違っちゃったら困るからです。
確かに頭の悪い講師もいるので(この人の悪口はすでにサリバンとみつさんに愚痴った)
かならずしも素敵なタイトルではありません。
直したい気持ちはわかりますが、むしろやっちゃまずいことのような気がするのです。
しょぼいタイトルも含めてその講師の仕事だと思ってます。
が、先日ある社員から指摘を受けたところでは、
「このタイトルじゃ何のことか分からない人のほうが多いかも・・。
タイトルは、「内容が容易に想起でき」「かつユーザーの気持ちをフックするもの」が鉄則。」
この2行だけが社内メールでピッ!と送られてくるわけです。
いや、いいたいことはわかりますよ。
そりゃそうでしょうよ、それが理想でしょうよ。
そもそもバカ講師が1週間も遅れて出してきやがった研修内容について
タイトルから直してたんじゃ時間がたりねーんだよ!!!
そんで、私に気持ちをフックするようなものが作れると思ってんのか。
(言って来たおじさんは元広告屋。素人の私が出したものにダメだしをしたいのだ)
そんなわけで、お客さまにわかりやすくタイトルを変えるべきか、
バカ講師の顔をたててタイトルは維持すべきか、と悩んだ挙句、
研究案内の「下記のとおり研修を実施します」のうしろに、
10行くらい用語説明をつけました。
案内のレターに延々用語解説っていうものねぇ・・。
別の人がみたらまたダメだしされるんだろうな。
というわけで、文化の違いに翻弄されています。
2月14日(水)断捨離にびっくりした件
連日断捨離の話で恐縮です!
そうそう、断捨離の本でいちばんびっくりした実例は、
「使わないボールペンや鉛筆は捨てる」であった。
私、小学校1年生の入学祝いに買ってもらった文具一式、
ほとんど全部持ってるんだよ。
鉛筆削り、はさみ、ホチキスは現役でバリバリ使ってる。
ま、使ってるものを捨てる必要はないので、かまわないんですけど、
鉛筆とか「使える」から、捨てちゃいけないと思ってたんだよね。
使おうと思えば使えるものを捨てるなんて「ものを大切に」精神から超はずれてるよ。
このへんから「あぁ、学校教育により洗脳されていたのか」と気付いたんだけども。
使えても、使わないものは捨てろ、ということで、捨てる基準が始めてわかった。
それと、もうひとつ発見だったのは、
1分しか時間がないなら財布の中のレシートを捨てろ、と。
掃除って、30分くらいないとできないものだと思ってた。
断捨離なんて、時間かけてやるものだと思ってた。
違うのね。毎日毎日いろんなところからいろんなものが
私の暮らしに入ってきてるわけだから、
1秒あったら、1秒で捨てられるものを捨てろ、と。
まー言われてみればそうだわ。そうしなきゃ貯まる一方だわ。
断捨離雑誌の中で「家にある筆記具は2〜3本あれば十分でしょう」と書いてあって
ガラガラのひきだし(電話台かなにかの)をみたとき
「そりゃそうだよねーーーーーーーーーーーー!!!!」と絶叫したのでした。
持っててもしょうがないよ、28年使わなかったものだもの。
2月13日(火)断捨離ってそういうことだったのか
先日会社の休憩室で同僚のひとりが断捨離の雑誌
(ムックっていうの?そのことしか書いてない雑誌)をみていて、
流れでその雑誌を借りた。
部屋にあるものをどんどん捨てて身軽になろう、心もさっぱり!
みたいな掃除術ということは知っていたが、
あえて本まで買って読んだことはない。
断捨離したら病気が治った、やせた、お金が貯まった、彼氏ができた・・・って
黄色の虎財布かよ。
そっち方面はあまり深く関わりたくないという気持ちもあった。
あ、そういえば、風水も微妙と思っているんだけど
中小企業の経営者トークとして風水のひとつも知らないとなーと思い、
先日「風水で毎日ハッピー!」みたいな本を見たら、
トイレは換気よく、とか、寝室は天井が高いほうがいい、キッチンは清潔に、とか
別に風水にいわれるまでもなく当たり前のことしか書いてなかったので
「見せ方」だけの問題かな、とも思う。
つまり、断捨離も、掃除して部屋がきれいだと、気の持ちようが
ちがうのであろう。
そんなかんじで読み始めたんだが、
けっこう発想の転換が気持ちいいな、と思った。
何がすごいかって、洗脳が解けたのだ。
今日まで受けてきた教育に基づき、無意識に思い込んでいるルールが消えた。
断捨離がこれだけ流行ったということは、
たぶん多くの人がそういう教育を受けていると思うんだが、
「モノは大切にしなさい」「整理しなさい」って言われて育ってると思う。
これは「捨てる」ということを否定しているわけでもないのだろうが、
いやしかし、「捨てることはもったいない」という発想が背景にある。
牛乳を含んだ臭い雑巾についてさえ、「捨てよ」とは言われなかった。
きれいに洗って(限界あるんだが)、干して、また臭くて、
触りたくないからおいておく・・という景色を見たのは一度や二度ではない。
学校にある共用のものを勝手に捨てるわけにはいかないとはいえ、
「整理整頓!!!」と叩き込む度合いに比べると、
「要らないものは捨てよ」という教育はあまりなされていないように思う。
少なくとも私が受けてきた教育では。
小学校のときからおぼろげにそんなかんじだったけど、
中学・高校にいたっては、その傾向がより顕著になった。
今から20年以上前なのに「捨てればごみ、活かせば資源」という、
生徒によって書かれたポスターがいたるところに貼ってあった。
学校の自動販売機のブリックスのパックは
全員飲み終えたら洗ってリサイクルしてたし(あいちゃんがリサイクル委員長であった)、
制服は着られなくなったら、集めて、学校内で交換会をやって、低学年の生徒に回るようになってた。
チャリティバザーも1年に1回くらいはあったと思う。
海ガメがビニール袋を食べて死んでる話もよく聞いた。
1年に何回か、雑巾を縫う授業があって、
反抗期の私が「使い捨てのほうが清潔では・・・?」と言ったら、
普段はやさしいのぶえ先生にこっぴどく怒られた。
つまり、「捨てることは悪!!!」という教育が徹底していた。
今から20年以上も前に消費者運動みたいなのを
ガツガツやってたあの学校は新しかったと思うが、
良妻賢母方面の学校ではなかったせいか、
掃除そのものに対する教育はなかったと思う。
隻葉や白百合ではトイレ掃除について、
シスターに「便器をなめても大丈夫なほどきれいにしなさい!!」と鬼教育があると
オトナになってから聞き、
「捨てるな」と言われただけで、掃除を習わなかったのは、
大失敗だったなぁ・・としみじみ思う。
ま、そんなわけで、教育のせいにするわけではないのだが、
(事実同じ中高のメンバーの中でも、モノの少ないすっきりした生活をしている人はいるはずだ)
私の人生のほとんどにおいて、家でも学校でも「もったいない!」「大事にしなさい」「整理整頓」といわれ、
心の奥深くに叩き込まれているので、
「片付かないから捨ててしまえ」というのは
敗北というか、自分に負けた瞬間であり、悪魔の所業だと思ってるのだ。
「人生ってつらいから死んじゃえばいいや」って自殺するようなものさ。
・・あ、ごめん、ちょっと言いすぎだけど。だいぶ違うけど。
まぁ、そんなわけで、「捨てればゴミ、活かせば資源」、
つまり「使おうと思えば使える」ものを捨てるのが爆発的に苦手だ。
そんな私の洗脳を解くのが断捨離の本であった。
捨てていいのだ。
いや、捨てることは正しいことであり、やるべきことなのだ。
いままで、捨てちゃいけないと洗脳されていたことが間違いだったのだ。
そうか、そうだったのか!!!
2月10日(金)Ice Castle
私的に新しい第一歩。
六本木のスケートリンクに行って来ました。
みなさまご存知のとおり、わたくし、普通じゃないレベルの運動神経の鈍さです。
もちろん、スケートなんかできません。
思えば、二十歳くらいのとき、代々木のスケートリンクに行ったことがあります。
そのときはデートでした。
何がどうだったのかさっぱり覚えていませんが、
とにかく「こんなもん、一生やるものか」と思いました。
最悪でした。苦痛以外のナニモノでもありませんでした。
それ以来、すなわち15年ほど、まったくやっていません。
ところが、先日六本木のビルボードに行ったとき、
ちょっとスケートをやってみたい、という衝動に駆られました。
ビルボード行ったことがある方はご存知かと思いますが、
ビルボードはビルの4階にあって、そのステージの背景が全面ガラス張りなんです。
カーテンを閉めていれば普通のライブハウスのステージですが、
あけるとミュージシャンの背後にババーンと六本木の夜景。
さすが、ミッドタウン、やることが無駄にエロいです。
こういう六本木テイストが、ロスジェネにはちょっとかゆいんですが、
カーテンが開いて、バーーーーンと広がった景色のど真ん中にあるスケートリンクは
魅力的に見えました。
その日(ライブを見た日)は、かなり激しく雨が降っていたので、
屋外スケートリンクで滑ってる人はいませんでした。
リンク自体閉鎖だったのかもしれません。
人がいなかったからか、雨だったからか、
上から俯瞰するスケートリンクという新しい視点だったからか、
夜な夜なジョニー(ウィアー)とステファン(ランビエル)の甘ったるいYOUTUBEを見ているからか、
理由はいろいろありそうですが、とにかくふと「スケートやってみたい・・・」と。
元来ミーハーですし、最近は歳をとったことだし、
今まで以上に流行にはのっていきたいと思っています。
ハスにかまえていると、たんなる意固地ババァになってしまうのでね。
そこで、ちゃんとスケートすべれる男子に声をかけ、
「スケートできないんだけど、ほとんどやったこともないんだけど、
指導してもらえないだろうか」と依頼。
こういうのって、みなさんわりと快く受け入れてくださいますよね。
ありがたいことです。
そんで、いざ出陣。実質1時間しかいなかったんですけど、楽しかったです。
完全に顔は固まっていましたし、すべるというより、ただ立ってるかんじで、とてもブザマ。
全身に力が入っていて、ものっすごい疲れましたけど、
「フフフ、こんなことにも挑戦しちゃう私ってば、えらい!!」と
なぜか勝手に自分で自分をほめたい気持ちになりました。
無意識のうちに「絶対無理」と思い込んでることってあるんですよね。
過去のささやかな失敗が原因で。
でも、人生はトライ&エラーだよ、と。
「やりたくない」とか「私には無理だね」と思い込んでるものをひとつひとつ
解消していきたいと思います。
ICE CASTLE(←70年代スポ根ラブストーリー映画)を目指してがんばりたいとおもいます。
2月6日(火)ひさびさ傍聴の件
行ってきたよ、ひさびさに傍聴に。
就職したら傍聴できないと思ってたから
今日行けてすごいうれしかったー。
(就職したくない理由のひとつに「傍聴できなくなる」が入っていたというまさかの事実)
待ち時間なく見れる「新件」を探したところ、
「自動車運転過失傷害」の事件がありました。
(新件というのは、今日が最初の裁判の日。
途中からだと話が見えないので、新件がいいです)
自動車事故は、ごくごく普通の人がうっかり不注意で罪を犯すという点で
ものすごくヒトゴトではありません。
かつてサリバン先生も「気の毒度合いが半端ない」と言ってました。
そんなわけで、その法廷に行きました。
思っていたよりはるかに衝撃的な事件だったので、
書かせてください。すごい言いたい!!
まず、被告人は50代の女性。
被害者は7歳の女の子。
現場は荒川区。
被告人が車に乗ってて、左折する際、一旦停止して、歩行者ひとりを見送って、
発信したところ、全然視界に入ってないところに青信号横断中の女児がいて、
轢いてしまったという事故でした。
うぅーーー気の毒すぎる・・・・
決して危険な運転をしていたわけではないのです。
車を少しでも運転する人なら、「ありうる!!」と同情せざるをえません。
しかし、ダメダメポイントとしては
任意保険に加入していなかったそうです。
だめだよー!そこは!ちゃんと入ってて!
任意保険に入ってなかったからでしょうか。
検察官はチクチク、すごくいじわるなかんじでした。
なぜかふてくされて、あごを引いて、被告人をものすごいにらみつけてます。
私個人の感覚としては、弁護士は熱くなってもいいけど、
検察官は裁判長とおなじくらい、感情を一切出さずにクールにやっていただきたい。
あ、すみません、完全に個人的趣味の話でした。ごめんなさい。
事故の事実を確認している際、被告人が
「子供のお迎えで急いでいたので・・」と言いました。
子供?
この人、50代だよね?
子供っていくつ?
大学生のお迎えに、急いでいくかなぁ??
私のそんな疑問は無視して、交通事故の状況が説明され、
女児の負ったケガについて言及されていました。
2週間の入院、そして4ヶ月に及ぶ通院。
頭皮が皮膚ごとめくれ、顔にも生涯消えない傷が残ったとのこと。
治療中、傷からガーゼをはがすときは痛みに泣き叫び、
今年の夏はプールに行くこともできず、
人生で初めての不条理なできごとを受け止めきれないとのこと。
うぅ、かわいそうに・・・。
でもちょっと・・・、被害者の母親の手紙の中で
「うちの娘は顔がかわいいと言われており、
将来はテレビに出たいと言っていました。
その夢が今回の事故によって引き裂かれました」
というあたりに、かるーく反感を持ったことをお許しください。
女の子だし、顔に傷が残ったということは、もうそれだけで十分ひどいことで、
「うちの子かわいい」とか「将来はテレビに」とか要らなかったよね、たぶん。まいっか。
その後、話の中で、被告人は、高齢者の介護ヘルパーの仕事をしていたことがわかりました。
事故後は自分に自信を失い、一旦辞職したとのこと。
太ったおおきな女性ですが、言葉遣いは非常にていねいです。
あんな緊張する場面で、あれだけの言語センス。
けっこう高い教育を受けている人なのではないかと感じました。
被害者のことを「娘さん」とか、名前に「ちゃん」付けではなく、
わりとふつうに「お嬢様」って言ってました。
審理が進む中、私がさっき気になった、被告人の「子供」の話が出てきました。
子供は4人いて、一緒に住んでいるのは1人だけ。
その子供のお迎えに行く途中でした。
そのお子さんには障害があると。
あぁ、なるほど。超納得。
高次脳機能障害と脳脊髄液減少症。
脳脊髄液減少症はまだ治療方法が確立しておらず、
保険も適用されないため、治療費は自己負担だそうです。
うわぁあ・・・不幸だ・・・。
障害児を抱えながら、その治療費捻出のために介護ヘルパーをやって、
そんな生活なので、車の任意保険料が払えなくなってしまったと。
あぁ・・・同情の余地ありすぎ。
そんで、その子供をお迎えに行く途中で、子供を轢いてしまったとは!!
なんてことでしょうか。
この時点で、「つらすぎる・・」と思っていたのですが、
もっとショウゲキの一言が。
そのお子さんの生涯は先天的なものですか?
いいえ、6年前に交通事故に遭いました。
えーーーーーーーーーーーーーーーーーw( ̄Д ̄;)w
待って待って!!
自分の子供が交通事故で後遺症があって、
それで今度は自分が子供を轢いちゃったの!?
なんなの、その交通事故の連鎖は???
自分の子供の事故は6年前。
あのさ、私35歳だけど、
今まで一度も轢かれたことないし、轢いた事もないのね。
たった6年の間にそんなこと起こるか?!?
神様っていないのか、やっぱり!
もしこんな設定のドラマあったら「ないわー、それー」って
ちょっと引くと思うんだよね。
そのくらい、ありえない展開でした。
そして、検察官が個人的恨みを感じるようなにらみつけた表情で
唐突に被告人に聞きました。
「あなた、被害者の家族を傷つけるようなこと、言いませんでしたか?」
いや、言わないだろ!(←なぜか被告人の気持ち)
だって、自分だって被害者をリアルに体験中なんだよ??
しかも、物腰とか言葉遣いとかは、丁寧で誠実な被告人だし、
逆上とかしない限り、「傷つける発言」ってないと思うんだけどなー。
なんだろう???
けっこう唐突な展開だったので、聞いてる私がびっくりしました。
被告人もびっくりして2秒くらい固まった後、
「そんなこと絶対言わないです。言うつもりもありませんし・・
でも、何か、私の言い方で傷つかれたということでしょうか・・?」
と、見事に質問に質問で返していました。
検察官「『なんでもかんでも私に請求されても、
障害児を抱えているので支払えるものには限度がある』と、
被害者の家族に言いませんでしたか??」
別にここ、私が答えるところじゃないけど、
「なんでもかんでも請求されたら困る」って、
それ、当たり前の話じゃないか??
治療費払って、それとは別に120万円払って、
今後、残った傷の治療費も払っていくと言っていて、
示談交渉や損害賠償金額については、ケガの様子が決まってからにしよう、と話していて、
それ以上に何か払えって言われたら
「いやいや、なんでもかんでも払うわけには・・」って言うよ、私も。
私が心の中で勝手に回答していたら、
被告人が話し出しました。
「あぁ・・・。その件ですか・・・。
あの、被害者のお父様がお嬢様が入院している間に付き添いをされていて、
その間の休業補償は私の責任だということはわかっていますが、
お嬢様の入院中にお父様が失業されたということで、
退院後に働けない分も補償してほしい、とおっしゃいましたので、
それは少し・・・・」
えーーーーーーーーーーーーーw( ̄Д ̄;)w ←再。
被害者の父ちゃん、失業??
娘の入院に付き添ってる間に?
それ、交通事故のせいじゃないだろ。
てゆーか、どういう仕事してんだよ。
つーか、会社を訴えろ、会社を。
このおばちゃんからもう1円も取れないから。
どうでもいいけど、うちのぬるすぎる会社なんか、
産休前の妊娠してる社員が「体調悪い」という理由で2週間休んでるし、
別の部署の社員はマジギレして「もう絶対明日から来ません!!」って
1ヶ月くらい休んでるけど、「体調不良」扱いだよ。
給料は払ってないけど、クビにもしない。もちろんだよ!
だって仕事中に傍聴してる社員がいるんだからね!!(何の自慢か)
子供が交通事故で2週間入院したという緊急事態において
数日休んだくらいでクビにするなよ、会社!
ていうか、それ、たぶん父ちゃんの仕事っぷりに問d・・・(以下自粛)。
そして、それは確かに100%、「そんなの払えません」って言うね、私も。
なんなら「私じゃなくて、会社訴えろ」って言うね。
まぁ、どうにもこうにも・・交通事故現場が荒川区で、
そのご近所さんたちの事故なんだが、
貧乏が貧乏を呼んでる気がして、
絶望的な気持ちになりました。
というわけで、長すぎる話、すみませんでした。
ひとりで傍聴してたから、いちいち言いたくて。
2月1日(水)小説「シャイニング」
今年寒すぎるよね。
あまりに寒すぎて、なんか、ぶっちぎりに冬の小説を読みたいと思った。

「シャイニング」byスティーブン・キング
映画しか見たことがない。
読み始めてびっくりしたんだけど、
お父さん(=映画ではジャック・ニコルソン)が狂っていく過程が
映画と小説ではずいぶん違うんだね。
映画だと雪山に閉じ込められてるからおかしくなった、っていう印象だったんだけど、
(映画を見たのが昔過ぎて、
またジャック・ニコルソンの笑顔でストーリーなど全部忘れてしまったので
間違っているかもしれないけど)
小説を読んでいると、ごくごく普通の日常の悩みが満載で、
その悩みゆえに、壊れていくのね。
仕事、家族との関係、経済的な夢の実現、お酒に逃げちゃうこと、暴力をふるってしまうこと・・
つまり、別に雪山行かなくても狂いうるわけですよ。
「あーあるある、一回成功した経験があると、その後の失敗が余計つらいよねー」とか
弱い自分に気付きつつ、そこを認めたくないから、強く出て、その結果、あとで
自己嫌悪に陥って、酒飲んで忘れようとして、忘れられなくて、また暴力をふるい・・
よくぞ、そんな細かい人間の心の動き、しかも負の動きを、厳密に詳細にとらえたもんだよ・・と
軽くあきれるほどです。
誰でも身に覚えがあるような精神的弱さをチクリチクリと指摘されるのが痛すぎ。
配偶者との関係がいまいち言葉で表現できない展開でズレていったりもする。
結局のところ、家族だからこそ傷つけあってしまうことってある。
その辺がやけにリアルで、すごく怖かった。
「俺はもっとできるはず!!」と思いながら
生活のためにいやな仕事もしなきゃいけない人は
ぜひお読みください!!・・・それって私だけど。
沁みます。すごく沁みます。
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