近代哲学つまみぐい

論理哲学論考
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

緒言

1 世界は成り立っていることがらの総てだ。 〔1.1-1.2
2 成り立っていることがら、事実は諸事態の存立だ。 〔2.01-2.06 2.1-2.2
3 事実の論理的像は思考だ。 〔3.001 3.01-3.05 3.1-3.5
4 思考は有意味な文だ。 〔4.001-4.003 4.01-4.06 4.1-4.5
5 ひとつの文は特定の諸基本的文の真理関数だ。
(基本的文はそれ自体の真理関数だ。) 〔5.01-5.02 5.1-5.6
6 真理関数の一般的形式はこうだ: [p-bar, xi-bar, N(xi-bar)]。
これが文の一般的形式だ。 〔6.001-6.002 6.01-6.03 6.1-6.5
7 語り得ないことがらについては、ひとは黙らなければならない。
      
〔附録: 番号順全篇

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訳者より

 ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考の本文のはじめに次のような註を附している。
各文の番号としての小数は、当の文の論理的重要度、私の叙述においてその文に置かれているアクセントを示唆する。文 n.1、n.2、n.3 等々は No. n の文への註であり、n.m1、n.m2 等々は No. n.m の文への註、以下同様。
これに従って原文の一部とオグデンによる英訳全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(www.kfs.org/~jonathan/witt)があるが、それを真似て日本語版をつくってみた。(なお、原文全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(tractatus.hochholzer.info)もある。)
 翻訳に際しては、edition suhrkamp の Tractatus logico-philosophicus 改訂版を底本として、件のオグデン訳に加え、色々ある日本語訳のうち、特に、坂井秀寿訳(法政大学出版局)、奥雅博訳(ウィトゲンシュタイン全集1、大修館書店)、野矢茂樹訳(岩波文庫)をおおいに参考にしたが、しかし、いまひとつ要領を得ないまま暫定的に訳した箇所が幾つか残ってしまっている。(その主なところを挙げておけば、No. 3.24 の第三パラグラフ、No. 4.0141No. 4.026 の第二パラグラフ、No. 5.02 の第二パラグラフ、No. 5.5262 の括弧の中、No. 5.553No. 5.62 の括弧の中、No. 6.342 の第二パラグラフ。)また、思わぬ誤りも在るかも知れない。そのあたりは、読者の批判に俟って、随時あらためていきたいと思っている。
 なお、一言しておく必要があるのは、「Sinn」と「Bedeutung」の訳語についてだろう。これらはもともとフレーゲの術語であり、日本語でフレーゲを論じる際には、「Sinn」を「意義」、「Bedeutung」を「意味」と訳すのが今日では標準となっているようだが、しかし、ここでそれに倣うのは全く得策ではないと思われたので、敢えて坂井訳を踏襲して、「Sinn」を「意味」、「Bedeutung」を「意義」とした。 フレーゲとの関連で読む場合にはその点に注意してほしい。

2006年秋  大熊康彦


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