論理哲学論考 1-7
      
5 ひとつの文は特定の諸基本的文の真理関数だ。
(基本的文はそれ自体の真理関数だ。)
〔5.0 という番号をもつ文は存在しない。〕
5.01 当の基本的文のそれぞれがその文の真理アーギュメントだ。
5.02 関数のアーギュメントを名称のインデクスと混同するのはもっともなことだ。私は、アーギュメントによってもインデクスによっても、それらを含む記号の意義〔die Bedeutung〕を認識するのだから。
例えば、ラッセルの「+c 」において、「c 」は当の記号全体がカーディナル数のための加法記号であることを指示するインデクスだ。だが、この表示は恣意的な合意に基いており、ひとは「+c 」ではなくて何らかの単純記号を採ることもできただろう。一方、「〜p 」において、「p 」はインデクスではなくアーギュメントだ。「〜p 」の意味〔Sinn〕は、「p 」の意味が先に理解されることが無ければ、理解され得ないだろうから。(ユーリウス・カエサルという名称において「ユーリウス」はインデクスだ。インデクスは恒に、我々がその名称に当のインデクスを附ける対象の何らかの記述の一部だ。例えば、ユーリウス一族のそのカエサルDer Cäsar aus dem Geschlechte der Julier〕。)
アーギュメントとインデクスの混同は、私の思い違いでなければ、文と関数の意義についてのフレーゲの理論の基礎を成している。フレーゲにとって、論理の文は名称であり、そのアーギュメントは当の名称のインデクスだった。