論理哲学論考 1-7 4.01-4.06
      
4.02 そのことは、我々が文記号の意味〔Sinn〕を、それが説明されたことが無くても、理解することから判る。
4.021 文は現実の像だ。文を理解するとき、私はそれによって表わされている状況を知るのだから。そして、私は当の文を、その意味が説明されたことが無くても、理解する。
4.022 文はその意味を示す
文は、それが真なときには〔現実は〕どうなっているのか、を示す。そして、そうなっていること述べる
4.023 現実は文によって肯定か否定で捉えられているはずだ。
そのためには、現実は当の文によって完全に記述される必要がある。
文は何らかの事態の記述だ。
対象の記述が当の対象をその外的諸属性に随って記述するように、文は現実をその内的諸属性に随って記述する。
文は或る論理的な足場の援けによって何らかの世界を構成する。だから、ひとは文に、それが真なときには論理的なことがらの総てはどうなっているのか、を見て取ることもできる。ひとは偽な文から諸結論を引き出すことができる。
4.024 ひとつの文を理解するとは、それが真なときには何が成り立っているのか、を把握することを意味する。
(ひとは、だから、その文を、それが真であるかどうかを把握すること無く、理解することができる。)
その諸成分を理解するとき、ひとは当の文を理解する。
4.025 或る言語の別の或る言語への翻訳は、ひとが一方の個々のを他方のに翻訳するというように為されるのではなくて、ただ文の諸成分だけが翻訳される。
(そして、辞書は、名詞だけでなく、動詞や形容詞や接続詞等々も翻訳するのであり、それらを総て同様に扱う。)
4.026 単純記号全般(単語全般)の意義〔die Bedeutungen〕は、我々がそれらを理解するためには、説明される必要がある。
一方、文全般によって我々はコミュニケートする。
4.027 文が我々に新たな意味を伝え得ることは、当の文の本質のうちに在る。


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