芦川淳平の浪曲研究所

第三章 浪曲が語るもの


  ●浪曲の専売特許赤穂義士伝
 浪曲の現在の舞台のスタイルは、明治四十年ごろ、浪曲の黄金時代を築いた桃中軒雲右衛門によって始められた。それまでは浄瑠璃同様、演台を前におき、座り高座に曲師と並んで演じていたものを、雲右衛門が壮士の演説スタイルを取り入れ、立ち高座でテーブルを前にするスタイルを考案した。テーブル掛けは裾にゆくほど左右に広がり、あたかも富士山をかたどったように見える。

 また、それまで浪曲で語られる物語の多くは、講談などを元にしたものが多かったが、東の雲右衛門と西の吉田奈良丸(二代目)は、当時のジャーナリストや思想家、政治活動家の後援を受け、文士の手によるオリジナル脚本をはじめて手がけることになった。それまでとうって変わって格調高い歌詞と思想に裏づけられた主張のある内容に浪花節の芸術的価値が一挙に高められた。その演目が「赤穂義士銘々伝」のシリーズだった。

 雲右衛門、吉田奈良丸に触発され、京山小円をはじめ多くの浪曲師が、義士伝を中心にオリジナル脚本の整備を進め、浪花節全体の水準が高まり人気も他の娯楽を圧倒し始めたのである。

 時代は、日露戦争の直後で、経済が疲弊する反面、国民のナショナリズムは高まり、国威の発揚に武士道鼓吹と銘打った義士伝は熱狂的に歓迎された。この流れはやがて大正に入って、明治天皇に殉じた「乃木将軍伝」に受け継がれてゆく。

 これらをもって、浪曲は「軍国主義思想のプロパガンダ」と一面的な批判を受けることがあるが、それは大きな間違いで、浪曲は、常に庶民の視点に立って、その喜怒哀楽を描くことを通して健全な社会や国家を見つめてきた。その視点こそが、労働者階級の市民に共感をもって歓迎されてきた理由でもある。


 ●義理と人情は庶民の世界観

 浪花節の代名詞に使われる「義理と人情の世界」。これを単に安っぽいお涙頂戴だとか、アウトローの世界のことだと理解してはいけない。

 「義理」とは正しい道(justice)という意味で、社会規範、道徳を表す。「人情」とは英語のhumanityに相当するある種の愛情、好き嫌いに基づく感情のことだ。人間は基本的には自分の好き嫌いを行動の第一の基準にする。しかしその行動が別の人間に影響を及ぼす場合、個人の欲望に従った判断が相手の欲望と合致するとは限らない。

 例えば自分が好きでも相手が嫌っていたら見合いは成立しない。第三者があればさらに話は複雑になる。自分と相手は好き合っていても、相手には既に決まった夫がいる。それでもなおかつ両者の人情にしたがって行動すれば第三者の夫を傷つける。人情にしたがった行動は不倫であり、その字の通り正しい道ではないという社会のルールがある。これが即ち義理だ。

 実社会がもっと複雑なのはいうまでもないが、人間社会は、個人の欲望や感情即ち人情とそのぶつかり合いで生ずる不合理を調節する社会規範である義理の葛藤で営まれている。感情の開放である人情は本能であり、道徳の束縛である義理は理性なのだ。

 社会規範が明文化されたものが法律だが、法は必ずしも全ての人間の価値判断を指し示すわけではなく、かつその指示が実生活において万能でもない。法に背いても果たさねばならぬ義務が生ずる場合も社会にはままあるわけで、それが人間として正しい道であるかどうかが問われるわけだ。そこに実社会の中で培われてきた庶民の倫理観がある。

 「浪花節的」と言う言葉は、こうした倫理観に基づいた意思決定が杓子定規な理詰めの規則より、情理共に立つ人間的に正しい道であると言う世界観を指して言うべきで、道理よりも情を優先する非論理的な行動様式と理解することは大いなる誤解に満ちている。

 浪曲がうたいあげるドラマは、この庶民の倫理観に基づいて、様々な社会生活のシーンにおける個人の感情と社会や制度との葛藤を描く。そこでは社会は、人間関係はこうあるのが正しい、と主張すると同時に、現実社会がそうではないということに批判を込めて、こうあって欲しいもの、という願望を託してもいる。その意味で、まさに浪曲は「義理と人情の世界」を図式化して描く芸能なのである。


 ●演者と演目はワンパック

 「旅ゆけば・・・」は、虎造の「次郎長伝」、「妻は夫をいたわりつ・・」は、綾太郎の「壷坂」、「利根の川風袂に入れて・・・」は、玉川勝太郎の「天保水滸伝」、「佐渡へ佐渡へと草木もなびく・・・」は、寿々木米若の「佐渡情話」。

 いずれも出だしを聞いただけでファンならずとも演目がわかるスタンダードナンバーだが、浪曲の代表的なヒット演目(外題)は、このように、それを口演する浪曲師の名前とセットで存在する。

 全部で二百だか三百だかの決まったネタをあらゆる演者が、取っかえ引っかえ演ずる落語の脚本は、落語界の共有財産といった感があるが、浪曲のヒット作はそれで人気を勝ち得た浪曲師の専売品となって、他人が断わりなく演ずることはタブーとなっている。

 これは単に著作権意識に基づくものだけでなく、創造と個性を尊ぶ浪曲の本質的な特質でもある。もちろん原典は講談や浄瑠璃などにある場合が多いのだから、同じストーリーを複数の浪曲家がそれぞれ演ずる場合はままある。その場合でも脚本は原則として別物なのである。そして何よりもその曲節は、一人一人の浪曲師が思い思いに節付けし、表現の演出も異なるから、それぞれがオリジナルな作品になるのである。

 従って、ストーリは同じでも、虎造の次郎長伝と勝太郎の次郎長伝は別物であり、逆に勝太郎の天保水滸伝と虎造の天保水滸伝も全く別の作品になる。そして大衆は、次郎長伝は虎造の物、水滸伝は勝太郎の物に軍配を上げ、それぞれがそれぞれを十八番として確立していったわけだ。

 通常これらのヒット作品は門人や系列の後継者に優先的に受け継がれる。その中から人気の名跡も又襲名されてゆく。

 名前やネタを受け継いだとしても本来浪曲芸は、個々人がオリジナルな芸の創造と確立を目指すのを本分としており、同じものをそのままやっていても「名人に二代なし」「師の半芸にも及ばず」を教訓としている。

 但し、その家の芸風が引き継がれ伝えられてゆく中で洗練されてゆくという側面も否定できず、現代の浪曲家はオリジナリティと伝統の両面の兼ね合いが求められているのも現実である。