芦川淳平の浪曲研究所

第一章浪花節の基礎知識


 ●浪曲はミュージック
 浪曲は、落語・漫才・講談などと並んで「演芸」の一ジャンルとして扱われる。しかしこれは大衆芸能としての上演形態の共通性に基づいている分け方で、芸能自体の本質は、話芸である落語・講談・漫才と浪曲には大きな違いがある。
 浪曲は、「曲」と付く通り、音楽の一ジャンルなのだ。日本の音楽、即ち邦楽の中の声楽の二つの大きな流れ、小唄・端唄などの唄いものに対して語りもの、洋楽的分類に当てはめると叙情歌に対する叙事歌の一種だ。鎌倉時代の平曲(平家琵琶)、室町時代の謡曲(能楽)、江戸時代の浄瑠璃と続いて、明治時代に完成された日本四大叙事曲の一つと言われている。
 浪曲の節の部分は、音楽的に言えばアリア(詠唱)であり、詞の部分(啖呵)はレチタティボ(叙唱)であるというのが、原則的な姿で、純然たる会話・話し言葉が加わることにより叙事曲としての原則は崩れ、いわゆる語り物芸能として雑芸化する。謡曲・平曲・浄瑠璃同様初期の浪曲はその原則にしたがっていたが、その内容や構成の演出に様々な芸能を自由に取り入れ、オペラ・ミュージカルのごとき演劇性と講談、落語のごとき話芸の性格とを加味した複合芸術となったのである。

 ●ルーツは宗教音楽
 浪曲の先祖調べをすると、その検証は難しく、実際のところ、いつどのように成立したかという点が実証されているわけではない。
 諸説あるなかで説得力のある定説として、一つには仏教の教えを広めるために僧侶が語った唱導文学が音曲化し、寺院を出て芸能化した説経節を一つの源流と見ることが出来る。説経節は江戸時代には浄瑠璃の三味線を伴奏楽器に取り入れ説経浄瑠璃、歌浄瑠璃という形が生まれ、やがて江戸末期、文化文政時代に関西で浮かれ節という浪曲の前身に至る。
 この草創期の立役者として、浪花伊助、京山恭安斎といった名前が伝説的に伝えられている。
 もう一つ、神仏を祀るときに奏上する詞、祭文に端を発し音曲化し芸能化した祭文節の流れがある。法螺貝と錫杖をもってする祭文節は、やがて三味線を取り入れ歌祭文となり、たとえば心中事件などを物語風に語って聞かせるニュース芸能の役割を果たすようになる。これが幕末、チョンガレ、チョボクレといわれる都市の大道芸に変化した。一方祭文節のうち三味線を取り入れなかった山伏祭文は、幕末、歌説経や説経浄瑠璃を取り入れデロレン祭文という流行芸を生む。関東の浪曲はこのチョンガレやチョボクレがルーツだと言われているが、これらを語った門付け芸人たちのうち関西から流れてきたものが語っていたのは浮かれ節であり、これがそれまでのチョンガレとやや趣を異にしていたことから、幕末から明治初年、難波節と名づけられるようになった。
 明冶に入って、芸人の取締令が発布され、当時ヒラキ(社寺の境内など人寄り場に設けられたヨシズ張りの仮設小屋)などで口演していた彼らも鑑札の下附を受けるため、組合を設立する。このときに東京でつけられた名称が浪花節組合で、浪曲の前名「浪花節」が正式に命名され、また認知された。
 大阪ではまだしばらく「浮かれ節」と称し続けるが、やがて東西の交流が始まり、その人気が全国的になるにつれ、いつとはなしに浪花節で統一される。
 ちなみに現在の浪曲と浪花節は全く同じもののことで、大正半ばごろから浪曲という名称が一部で使われ出し、昭和に入って次第に一般化した。

 ●天衣無縫の自由芸能
 浪曲は、多くの日本の芸能のような家元制度がなく、歴史的に見ても、大衆に人気を博した芸人が実力者と認められてきた。したがってこうあらねばならないという束縛が、他芸に比べて極めて少ない自由奔放な芸能なのである。その最たる例が、当初から日本の芸能としてはまれな女性に門戸が開かれ、しかも男女全く同列に扱われ、同じ公演に出演し覇を競ってきたということだろう。
 浪曲では、名人に回帰するという日本の伝統芸能の原則と異なり、伝統よりも創造が重んじられてきた。いかに先人と違った語り口や演出を編み出すか、といった個性が重視されたのである。
 浪曲であることの最小限の原則、つまり浪曲の定義は、「物語の完結をもって一曲とする曲と詞を組み合わせて構成された歌曲」ということだ。多くは伴奏に三味線を使うが、これは絶対条件ではなく、ギター、ピアノ、オーケストラと様々に取り入れている。

 ●浪曲の舞台の定番スタイル
 口演スタイルは、まず語り手(浪曲師)は一人で中央の演台を前に和服姿で語る。男性は紋付き袴、女性は袴を付けるもの付けないもの両方ある。伴奏者(曲師)は原則として舞台上手に隠れて伴奏する。
 舞台は中央の口演者の背面に金屏風、上手下手にはやや前方に屏風を立てる。中央の演台の下手側横に演台より一段高い湯呑み台、演者の背面には背の高い椅子、両袖の屏風前にも小さな台をそれぞれしつらえ、以上五点すべてにその演者の様々な絵柄の布地(テーブル掛け)を掛ける。
 これは相撲取りの化粧回し同様贔屓から贈られるもので、演台に掛けるテーブル掛けの下部に贈り主の名前が記され、湯呑み台に口演者の名前が書かれることが多い。布地は主に羽二重や塩瀬が用いられ、一セット最低五十万円ぐらいからあつらえる。