任意売却 私はこうして家を失いました

任意売却の依頼

もう10年以上前の話。
知り合いの弁護士から、任意売却を頼みたいと依頼がありました。

任意売却を依頼するお客様の連絡先を教えて頂き、
連絡を取った上で、直接お会いする事にしました。

物件の状況も見たいので、お客様宅へお伺いする事にしました。

その際、スーツなどを着てゆくと、近所の目があるので、
作業をする時に着る作業着を着て、クルマは会社のトラックで行き、
如何にも工事業者が何かの修理に来たように装ってお邪魔しました。

物件は築10年の分譲住宅で、小型犬を室内で飼って居ましたが、
コンデションは悪く無く、クリーニング程度で済みそうでした。
居間に通して頂いて、早速お話をお伺いしました。

ご主人様
「実は、リストラでしばらく失業しておりまして、
今は再就職ができたのですが、収入が一気に下がりまして、
家内もパートで働いているのですが、子供が大学生でカネが掛かる事もあって、
住宅ローンを支払えなくなってしまったのです。
子供には精一杯の事をしてやりたいので、退学しろとは到底言えず、
家を諦める事にしたんです。」

家の事をあきらめて、お子さんの事を大切に想っていらしゃる。
親心ですね。
きっとお子さんは、
そんな親御さんの気持ちを十分理解していると思います。


「なるほど、今はすでに住宅ローンの支払いを止めているんですね?
税金の滞納はありますか?」

ご主人様
「税金の滞納はありません。」


「そうですか、債務は住宅ローンだけなのですね。」

ご主人様
「はい、そうです。」


「現在、この家は差し押さえをされているのですね。」

ご主人様
「はい。」


「競売決定はされていますか?何かその手の通知が届いていますか?」」

ご主人様
「いえ、届いていません。」


「分かりました。借りた銀行から、この件で何か書類が届いていますか?」

ご主人様
「はい、届いています。」

ご主人が借入先の銀行から届いた書類一式を見せてもらいました。
財務残高を見ると、当然ですが、この家を売る値段よりも高い残高でした。
売却価格は、債権者である銀行と交渉する必要がありそうです。


「この書類、コピーを取りたいので、お借りさせて頂けませんか?
 後日お返しいたしますから。」

ご主人様
「どうぞ、お持ちください。」

私とご主人のやりとりを聞いていた奥様が、力を落とした様子で一言おっしゃいました。

奥様
「私たちには、贅沢だったんですね.........。」


「いえ、そんな事は無いと思いますよ。購入された時は収入もあって、
支払いも出来ていた訳で、
急激に社会が変わって、それに巻き込まれたのですから、お二人に罪は無いと思いますよ。」

奥様
「そうでしょうか。そう言って頂くと少し気持ちが楽になります。」

ご主人
「まさかこんな事になるとは、思ってもみませんでした.......。」

当時ITバブル崩壊がきっかけで、金融不安がおきていました。
日本中にリストラの嵐が吹き荒れていて、
多くの人が職を失い、路頭に迷う人まで居たぐらいでした。
こんな日本になるなんて、誰が予想できたでしょう。

マイホームを失う多くの方は、
自分が悪かったと攻める傾向がありますが、
最初から支払えなくなる事を想定してマイホームを購入する人はいません。
ご自身に問題がある訳ではなく、
急変した世の中に翻弄されただけなのです。


「確かにこの度は、家を処分しなければならない事になってしまいましたが、
家を処分する事で、これまでの悪い物を全てここに置いて、
再出発をする事なんじゃないでしょうか?
今が最悪の状態なのであって、これ以上悪くなる事はありません。
弁護士の先生も債務整理をしてくださるし、
これからは上を向いて行くという事ですよ。」

奥様
「そうですよね。今が一番どん底なんですよね。
この後は、どん底からあがって行くんですよね。」


「そうですよ。お子さんたちの為にも、ひとつひとつ片付けて行きましょう。
私共は、そのお手伝いをさせて頂きますから。」

ご主人様
「お願いします。」

幸いお二人とも仕事をしており、
債務を整理すれば生活に困る事はありません。
お子さんもあと2年で学校を卒業しますから、
夫婦ふたりだけならもっと生活は楽になります。

私、
「所で、これから家を売却するのですが、
今回は任意売却といって、一般の方が家を売るのと変わりません。
ただひとつ違うのは、家の値段より残っている債務の方が多いという事です。
そこは私共が銀行と話をします。
ご主人様と奥様が銀行と話をする事はありません。
それから、売却すると言う事は、この家は商品になる訳で、
これから見学される方がいらっしゃいますから、
いつ見学者が来ても良い様に
家の中はきれいにしておいてください。」

ご主人様
「分かりました。」


「それから、以前は債権者の銀行が引っ越し費用を十分にみてくれましたが、
最近は厳しくなって売却に値引き交渉が入ると、
引っ越し費用を20万円とか30万円しか見てくれませんから、
引っ越しをするまでに、5万円でも10万円でも貯めておいてください。」

ご主人様
「分かりました。」


「その他の細かな事はおいおいお話をして参ります。今日が再出発の一日目だと思ってください。」

ご主人様
「ありがとうございます。」

その後、専任媒介契約を取り交わし、
間取りを取らせて頂き、
近所に分からない様に写真を撮って事務所に引き上げました。


債権者との交渉

翌日、債権者の債権回収の担当者に電話を入れました。


「〇〇市の〇〇さんの件でお電話差し上げました。ご本人から任意売却を依頼されています。」

担当者
「そうですか。分かりました。」

銀行によっては、任意売却を認めない事もあるので、ほっとしました。
任意売却を認めないのは、競売の方が高く売却できる事があり、
回収できる金額も多くなるからです。
このケースの時は、任意売却をあっさり認めてくれたのでした。


「任意売却にあたって、そちらの書式が何かありますか?」

担当者
「いや、特別にはありません。」


「そうですか。では、売却金額は、こちらの査定表の様な物を提出して交渉する様ですか?」

担当者
「そうですね。売却価格をまずは出して頂き、それを検討したいと思いますので。」

こうして任意売却を認めてもらい、一安心です。
競売になると、引っ越し費用などは基本的に見てくれません。
落札した人が好意で引っ越し費用を負担してくれる事がありますが、
それはあくまでも好意で、義務ではありません。
競売に付されると、明け渡すのも大変なのです。

この当時、任意売却の場合、債権者の銀行は、
債権者に20万円から50万円程度の引っ越し費用を見てくれていたので、
引っ越し代や、次の転居先へ掛かる費用を賄う事ができたのです。

法務局へ行って物件の謄本を取り、市役所へ行って、
法的な事をひと通り調べて査定を出してみました。
査定は、債務額より500万円程度低い金額が出ました。
ちょっと厳しいかも知れませんが、何とか交渉するしかありません。

査定書だけでは無く、
周辺の不動産の動きを書き記した上申書も併せて銀行の担当者に送り、
何とか稟議を通してもらう様に頼みました。

それから3日程して、銀行の担当者から電話がありました。

担当者
「先日の査定金額でOKが出ましたので、よろしくお願いいたします。」

「ありがとうございます。早速販売活動に入ります。」

よかった。一発で許可が下りました。
正直言って、このケースの場合、売却価格がそれほど高く無いので、
500万円の損切りは厳しいかなと思っていたのです。
債権者の損は500万円に留まらず、
債務者の引っ越し費用と登記費用、
そして債務者が仲介業者に支払う仲介手数料も
事実上債権者の銀行が負担しなければならず、
このケースの場合、その経費は100万円を超えますから、
銀行の損切りは600万円を越える事になるからです。

なので債権者の銀行から、
時には厳しい事を言われる事があるのです。
不動産には相場がありますから、
厳しい金額を銀行から言われると、売れなくなってしまうのです。
ましてや短期決戦の任意売却は、厳しい事を言われると売却できず、
競売に落ちてしまう事もあるからです。

厳しい金額を言われた時は、1ヶ月程やってみて、
再度銀行と交渉して、売値を下げてもらうのです。
しかし1ヶ月は、無駄に時間を潰してしまう事になるのです。

お客様へ銀行から許可が下りた事、これから販売に掛かる事を連絡して、
早速販売図面の作成に取り掛かりました。


売却

任意売却は時間が勝負です。

まごまごしていると競売に付されてしまいますから、
3か月以内の売却・決済を目指します。

自社だけの広告では、時間が掛かるので、
現場の地元の業者を中心に、販売図面を配布しました。

仲介手数料が売主側からしか頂けない片手になってしまいますが、
そんな事は言って居られません。
とにかく全力で、一日も早く売却する事に専念します。

広告を配布すると、
地元の不動産業者からポツポツ問い合わせがありました。

債権者の銀行には、週末が明ける毎に、
販売状況を自主的に報告しておきます。
こうしておくと、後日売値が高くて売れない時に、
銀行に値下げ交渉がしやすくなりますし、
債権者の信頼を得て置けば、
今後交渉事が発生した場合、
比較的話がスムーズにできるのです。

1ヶ月程すると、不動産業者からお客様を案内したいと連絡がありました。
不動産業者には、物件は任意売却である旨を伝え、
案内の際は、近所に気を使ってもらう様に依頼し、
案内する当日は、私も立ち会う事にしました。

売主のお客様には、次の週末にお客様が見学に来られるので、
綺麗に掃除しておいてもらう様に依頼しました。
そして、普段通り何事も無い様に振舞って頂くように依頼しました。

見学にいらっしゃったのは、
同じ町内に住む30代のご夫婦と幼稚園ぐらいのお子さんふたりのご家族でした。
お客様を連れて来た不動産会社の若い営業マンは、お客様のフォローをするでもなく、
ただ見学しているお客様の後ろを金魚のフンの様に黙って付いているだけです。

これでは見学者の感度はあがりません。
そこですかさず、私が営業トークのフォローを入れる事にしました。
私は、見学者様の視線の先を注視して、
興味を持った箇所を説明して感度を引き上げました。
最初に2階の居室を一通り見てもらって、
1階に降りて、リビングとキッチンで更に営業トークを展開します。

見学者の奥様は、対面キッチンとリビングには興味深々で、
私はここぞとばかり営業トークを展開します。
見学者様を連れて来た若い営業マンは、
見学者様と一緒に、私の営業トークを聞いて感心しています。
心の中で
「お前の仕事だろ!」
と思いながらも、何とか決めてもらうために、見学者様の心のひだを感じながら、
それに合わせてトークを展開してゆきます。

最後の方は大いに盛り上がって、
私が見学者様から契約の結論を引き出しました。
見学者様がお帰りの際は、連れて来た若い営業マンは私に
「ありがとうございました。助かりました。」
と礼を言って引き揚げて行きました。

その日の内に件の見学者様から50万円の値引き条件で
「買付申し込み書」が届きました。


売却価格の交渉

見学者様から「買付申し込み」を頂いても、喜んでいられません。
売却にあっては、もうひとつ許可をもらっておくべき先があります。
それは債権者の銀行です。
果たして50万円の値引きを認めてくれるかどうか。

翌日、債権者の銀行担当者に連絡を入れ
50万円の値引き条件がついた「買付申込書」を同時にファックスで送りました。


「50万円の値引きで申し込みを頂きました。これで何とかよろしくお願いいたします。」

担当者
「50万円ですか。もしかしたらきびしいかも知れません。」


「でも同じ町内で、もう300万円高い金額で新築がありますから、
そこと比較対象にされたら、勝ち目はありませんよ。
競売になったとしても、その影響は出るかも知れません。」

担当者
「分かりました。早速稟議に上げます。」

実際に今回の現場の販売価格より300万円高い建売が同じ町内にあったのですが、
先々週に売れていたのでした。


「差し出がましい様なのですが、債務者の方は資金的に厳しくて、
 引っ越し費用をみてもらいたいのですが、50万円程度見てもらえませんか?」

担当者
「分かりました、それも含めて稟議を上げます。」


「どのぐらいでご返事を頂けますか?」

担当者
「2~3日で結論が出ると思います。


「なんとかよろしくお願いいたします。」

それから2日後、債権者の銀行から連絡があり、許可が下りました。
引っ越し費用は50万円は認めてもらえませんでしたが、40万円を認めて頂きました。
20~30万円程度しか、引っ越し費用を認めてもらえないと思っていましたから、
40万円は御の字です。

 


契約

契約にあっては、任意売却物件とあって、重要事項の説明書と契約の特約条項の下書きは、
全てこちらで作成して、客付け業者である若い営業担当に送りました。

一般の売却の場合、瑕疵担保責任を3か月程度付ける事がありますが、
任意売却物件である故、売主は瑕疵担保があっても保証ができません。
なので、任意売却の場合は、瑕疵担保をつけません。
その辺りの事を、客付け営業担当者に説明しておきました。

そしてもうひとつ、任意売却ならではの特別な条件があります。
それは、決済の1ヶ月後に引渡しをするという事。
通常の場合、決済と物件の明け渡しは同時です。
すなわち売主は、決済当日は、家を空っぽにして、
代金を受け取ると同時に、鍵を買主に渡し、家を明け渡します。

所が任意売却の場合、売買代金を引っ越しの費用にしますから、
決済当日はまだ物件に住んで居る状態なのです。
買主からしてみたら、代金を支払ったにも関わらず、
1ヶ月程度は売主が住んで居る状態になるのです。
その辺りの事をしっかり買主様に説明して、
了承してもらう様に話をしました。

それから、任意売却なので、
司法書士はこちらの指定の司法書士を利用してもらう事を伝えました。
任意売却の場合、抵当権の抹消が大きなポイントとなります。
債権者の銀行が認めていれば問題は無いのですが、
何があるか分かりません。
なので、気心知れた司法書士にいつも依頼しているのです。

契約は客付け業者の事務所で行いました。
売主のお客様には、予め書類の説明を済ませておきましたので、
署名捺印をするだけで手続きは終わりました。

手付金が50万円あったのですが、
任意売却の場合は、買主から売主に手付金を渡しません。
それは、売主は多額の債務者で、
他の債権者から預かった手付金を差し押さえられてしまう可能性がある事、
また、売主の債務者が債権者に手付金を支払わず、使ってしまい、
取引が不成立になってしまい、
買主に手付金を返還できなくなってしまう事からです。

なので、手付金は客付け業者が売主に預かり証を交付して預かり、
最終決裁の時に支払う事にするのです。

買主の住宅ローンの事前審査は降りているとの事で一安心です。

後は無事に明け渡しができるかどうかです。
売主は多額の負債を抱えていて、所持金が少ない事が多々あります。
また失業して居たりすると、転居先を確保するのが大変なのです。


「ところで、2か月後には家を明け渡さなければなりませんが、転居先の宛てはあるのですか?」

ご主人様
「今不動産屋をあたっている居る所で、まだ決まっていません。」
このケースの場合、ある程度の引っ越し費用もあるし、仕事にも就いているので、
それ程心配はありませんが、時間の問題があるので急がなければなりません。


決済と移転先

契約から約1か月後、
買主様の住宅ローンが無事実行され、残金決済が行われました。
決済には売主と買主、債権者の銀行担当者と司法書士。
それに売主、買主双方の仲介業者が、住宅ローンが実行される銀行に集まりました。
決済そのものは順調に手続きが進み、残金の清算をもって決済は終わりました。
ひと安心ですが、心配ごともありました。

心配事は的中しました。
明け渡しまで1ヶ月、、まだ転居先が決まっていないというのです。


「明け渡しができないと、ペナルティを受ける事になりますよ。」

ご主人様
「済みません。いくつか物件を見たのですが、娘が気に入らないと言うので。」


「そんな事を言っている場合ではありません。
約束を守れない時は、物件価格の20%の違約を負う事になるのですよ?
再出発どころでは無くなりますよ。

ちょっと厳しいかなと思いましたが、このぐらい言わないと動かないと思われたので、
あえて厳しく言わせてもらいました。

ご主人様
「分かりました。なんとかします。」

ご主人様が「何とかします。」とおっしゃいましたが、正直気が気ではありませんでした。
二週間後、様子伺いで電話をしてみました。


「その後、転居先は決まりましたか?」

ご主人様
「はい、使っていない親戚の家に引っ越す事になりました。」

よかった。「それなら早く言ってくれよ。」と思わず言いたくなりましたがぐっと飲み込んで、


「よかった。引渡し日前までには引っ越してください。」

ご主人様
「はい、その予定でいます。」

正直、ほっとしました。万が一遅れた時の対処を考え始めていました。

行き先の無い人の為に、いくつかアテのある物件があります。
しかしそこは、掃除はしてありますが、古くてお世辞にも綺麗と言える様な物件ではないのです。
でもいざとなったら、背に腹は代えられません。
押し込んでしまうまでです。
しかし今回は、それをしなくても済みそうです。


私はこうして家を失いました

引渡し日になりました。
引渡しは物件で行う事になっていました。
約束の時間の少し前に行くと、ご主人様と奥様がすでにいらっしゃっていました。
室内はすっかりカラになって、掃除がされいました。

何も無くなったリビングには、
穏やかな表情をされたご主人様と奥様がいらっしゃいました。

奥様
「物が無くなると広いのね。ここに住んだ10年間は夢だったのかしら。」

ご主人様
「確かに夢の様でもあったけれど、最後は苦しい想いをした。
私はこうして家を失う事になったけれども、
何よりも家族はみんな無事で居るし、これで再出発ができるのだから、
今回の件は、
長い人生の中では、きっと意味のある事だったに違いないと思うよ。」

ご主人様の
「きっと意味のある事だったにちがいない。」
の一言は、私の心に重く響きました。
残りの債務は、弁護士に依頼して処理をされるのだそうです。

確かにマイホームを持った事で、大変な経験をされましたが、
それを後ろ向きに考えず、前向きに考えるご主人様は立派だと思います。
もし自分が同じ立場だったら、同じ様に考えられるか自信がありません。

しばらくすると買主様がお越しになり、設備の説明をして鍵を引渡し、
家は新たな家族の手に渡ったのでした。

現場から帰る車中で私は、
ご主人様一家のご多幸を祈らずにいられませんでした。

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2018年04月22日