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E.L. カニグズバーグ 『エリコの丘から』を透して
『エリコの丘から』 ― 幹、および枝や葉のこと
岩波版 『エリコの丘から』は、根っこから大きく違っていたので、タルーラのことを優先しましたが、気に掛かることは他にもたくさんあります。(*注1)
もしも日本語が解ったら、原作者のカニグズバーグは、きっともっと悲しむだろうな.
. . 日本語が読めなくてよかった。でも、少しでも読めたら、ここまで酷いことにはならなかったよね ?
. . . あれこれ思っては、切ない気持ちです。
さて、ここでは、幹や枝の部分から、幾つか選んでお伝えします。
透明人間
あれは、十一歳のときのことだった。 ・・・ わたしは透明人間だった。(P.5)
物語のはじまり、第2行目から、いきなり幻滅、というよりも、ショックでした。
I was invisible. 「姿が見えない」「人からは見えない」、透明な状態だったことを、「透明人間」という単語で固定してしまうなんて。子どもたちの想像力を刺激する大切な言葉なのに.
. . 。
これは、作家に対してあまりにも失礼です。ジーンマリーに「透明人間だった」と言わせたかったら、カニグズバーグは、I
was an invisible girl. と表現したと思います。
「クローン人間」 (P.6〜) Clone
この語も、インヴィジブル同様、ただ「クローン」でいいように思います。
このクローンとは、ジーンマリーが嫌っている「人と同じことをして群れたがる級友たち」のことです。繰り返し出てくる言葉だし、しっかりとした解説もあるので、牛や羊のことでないことはすぐに解ります。
マルコム
「どうしろって言うんだよ。」
「どうやったらわかるんだよ。」(P.42)
マルコムが、出会ったばかりのタルーラに、こんなに偉そうに話すはずはありません。
彼は、同級生のジーンマリーに対してさえ、
「どうして、そんなことするの?」(P.16)
と言い、人にぶつかった時にも、
いつもの習慣で「失礼。」と言う (P. 54)
・・・he bumped a gentleman's elbow, and out of habit he said "Excuse
me," . . . (P.33)
そんな子です。いつか科学者になって自分が発見したものに、亡くなった母親の名前をつけることを夢みている少年です。大喧嘩でもしない限り、マルコムがタルーラに乱暴な口のきき方をすることは考えられません。それに、儒教の国、韓国から来た子なのですから、年長者を敬うことも教わっていると思います。
口癖 1
「おりこう」という言葉が好きなのは、『800番への旅』の登場人物たち同じです。何でもかんでも「おりこう」にするのは、止めてほしい.
. . 。 岩波版タルーラが「おりこう」なんて言うと、ロジータが言うのよりさらに変です。
「スポットはおりこうさんなんだよ。それに・・・ハイウエーパトロールもおりこうさん。」(P.80)
"Spot is such a good dog at... God bless him, and God bless the highway
patrol for doing their job so well. " (P. 50)
「トランジスターを使ってるなんて、おりこうなんだろうね。」(P.146)
"I guess it is very clever of them to have transistors."
口癖 2
「あげた」や「くれた」という表現が多いことも、『800番への旅』と同様です。
中から、特に残念なところを二つ。
・・・(タルーラほどの優秀な女優なら、ビジネスことなど知らなくていい)とわたしは言ってあげた。映画を観て泣いたもん、と話した。どの映画、ときかれたので、答えてあげた。
(P.214)
I told her then・・・ I told her that I had cried at her movie. She asked
which one, and I told her.
「言ってあげた」「答えてあげた」だなんて. . . 。
ジーンマリーは、将来女優になりたいと考えています。ずっと、映画や演技のことをタルーラと話したいと思ってきました。これは、ジーンマリーの方から始めた会話です。彼女にとって、とても幸せな時間です。
今日は一月六日、十二日節の前夜祭だ。マルコムに電話をして教えてあげた。
It was January 6, Twelfth-Night. I called Malcolm and told him.
これは、物語のほんとうに最後の場面. . . 。
ジーンマリーは、その日が、ある記念日だったことに気づき、それをマルコムに伝えたいと思いました。
ジーンマリーは、想い出や淋しさを、マルコムと分かち合いたかったんです。
親友の声が聴きたかった。彼に会いたかった。一緒にいてほしかった。だから、電話をしました。そんなとき、「教えてあげた」なんて言いません。
一月六日。今夜は十二夜だ。私はマルコムに電話をして、そう伝えた。
ジーンマリーの電話を受けて、マルコムは彼女の家にやって来ます。
二人は、台所のテーブルに掛けて、ローソクをともして、話をします。
『エリコの丘から』は、ジーンマリーとマルコムが、小鳥の死骸を埋めることから始まります。死んだ動物を見つけては、二人でお墓を作っていく。
. . . そして、物語の終わりは、上のような感じ. . . 。ほんの少し、フランス映画の
『禁じられた遊び』(Jeux interdits)みたいだと思いました。
そう思うと、『謎の娘キャロライン』の少女ヒラリーが、『禁じられた遊び』を見て、泣き出すシーンや、その兄ウィンストンの様子も心に蘇ってきます。
ひっそりと繰り返される、遠い原風景のような静かな対旋律 . . . 。
カニグズバーグをアンネ・フランクと呼びたかった理由が、ここにもあります。
『エリコの丘から』. . . 。
往年の女優タルーラをはじめ、小鳥や蝶のお墓、ダルメシアンのスポット、煙草とマッチ、ロングアイランドという地名、作中の人形劇、いんちきな神父、レジーナの宝石、韓国人のファミリー、ブルージーンズ、
. . . ほんとうに様々な情景や、多くの登場人物たちの言葉や面影が、きらきら降り積もって、美しい丘を築きあげているのでした。
付記: 「他にもたくさん」の例として
まず、誰のセリフなのか不明な箇所が幾つか。それに、10年後に定着しているかどうか知れない言葉(ちょー、むかつく、まじ、etc.)も。
また、相手が持っているものを「それ」ではなく「これ」と指示し、「アヒル農場」か「アヒル飼育場」と思われる
"duck farms" を、「アヒル農園」と言い. . . といった間違いやわかりにくい表現が、数多く見られます。具体例。
そして、原作の基本的な解釈や訳語の問題だけでなく、全体的に稚拙な文が目立ちます。
たとえば、
1. わたしがマルコムを見たら、むこうもわたしを見ていた。するとマルコムは、観客に顔をむけて舌をつきだした。(P.49)
2. 何があったのか、わたしたちが話すのをうれしそうにきいているタルーラを見ていたら、わたしは知りたくなって質問した。(P.71)
このような文章が、岩波少年文庫の目指しているものだとは思いません。
その奥付には「新版の発足に際して」として、「歳月を経てなおその価値を減ぜず、国境を越えて人びとの生きる糧になってきた書物.
. . 」 「美しい現代の日本語で書かれた. . . 」 「読みやすいすぐれた著作.
. . 」といった言葉が並んでいるのですから。
岩波書店のWebサイト、会社案内の中の『岩波の志』にも、「言葉を研ぎすますことがいまほど必要な時代はありません。すぐれた知的財産を次の世代へ手渡して.
. . 」と書かれています。
そうした言葉を信頼し、カニグズバーグ作品を改訂してもらえることも信じたいと思います。
とくに『エリコの丘から』は(できたら 『800番への旅』、『ティーパーティーの謎』
も)、再翻訳がなされることを心から願います。
付記 : おまけ
「エンパイヤ地所移動住宅駐車場」(P.6〜) (the Empire Estates Mobile Homes
Park)
主人公ジーンマリーの住む地区のことですが、これでは地所ごと移動するみたいです。駐車場(parking
lot?)というのも、住所としてはちょっとなぁ。「エンパイヤ地所移動住宅駐車場」と、何度も出てくるので気になりました。
エンパイア・エステイトはその地域か不動産会社の名称で、ニューヨークのシンボル、エンパイア・ステイト・ビルを連想させる言葉だろうと思います。
なので、「エンパイア・エステイト移動住宅団地」とか? また、ジーンマリーがハウストレーラー(移動住宅)に住んでいるのは了解事項ゆえ、2回目以降は、正式に言うとき以外は、「エンパイア・エステイト団地」でいいかと.
. . 。
マルコムとわたしは、鍵っ子だ。学校に初めて行ったその日に、マルコムがそうだってことは気が付いていたんだ(だって、クローン人間には、鍵っ子はいないからね。)
(P.12)
Malcolm and I were both latchkey children. I had noticed that he was the
very first day of school. (Clones were never latchkeys.) (P.7)
これって変です。
ジーンマリーが、マルコムも鍵っ子だと知っていたことと、彼女の嫌いなクローンたちには鍵っ子がいないということは、まったく別の話ですから。
強いて言うなら、「クローンではない、だから、鍵っ子である」のではなく、「鍵っ子である、だから、クローンではない」になるようなことのわけで.
. . 。
ここは、
マルコムと私は、どちらも鍵っ子だった。そのことには、学校へ行った最初の日に気づいた。(クローンたちに、鍵っ子は一人もいなかった。)
(Y)
と、分けて考えるべきだと思います。
口癖 3
そういえば、岩波版『エリコの丘から』のタルーラも、『800番への旅』のマックスの父親ウッディと同じで、「 〜 かい?」が口癖です。
「そんなこと、だれが言ってるのかい?」(P.109)
「どうなったのかい?」(P.146)
「さあ、だれから、始めたいかい?」(P.140)
「二つだけ、ってどういうことかい?」(P.249) etc.
以上、「他にもたくさん」の例でした。