Tallulah says, "If you must complain in public, either be amusing or outrageous."
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2. キャラクター七変化


** 言葉づかい、バラバラ事件


  主人公の少年マックスの父親ウッディ(ウッドロウ・スタブス)は、実直なお人好しで、私は彼のことが大好きです。ただ、ウッディは、日本語があんまり得意ではないみたい. . . 。

   彼の話し方は、たとえば、こんな感じです。

  *「たっぷり味わえるんだぜ。」 *「暮らしているぜ」(P.6)  *「荷物を取りに行こうぜ」(P.17) *「人間は、車よりもずっとまえからラクダに乗ってるんだぜ。馬よりも、だぜ。」*「宣伝にもなったんだぜ。」 *「味が楽しめるぜ。」(P.33-34) *「会いにきたんだぜ。」(P.37)

  と、"ぜ" を連発。でも、それも全210ページ中最初の37ページだけ。その後、彼は、この種の「ぜ」を一切使いません。なぜか途中で話し方を変えています。
  この傾向は、会話の最中にも見られ、 「機織りやってる若い女がやってきたっけな。おれが来てるってわかって、町の西のはずれにまでわざわざ会いにきたんだぜ。」とワイルドに決めたすぐ後に、「機織りの女の人がいて、その人が・・・」という具合。

  一番不可解なのは、初対面の女性たちに、「ダラスに着いたら、中東航空のブースに寄って、顔見せてくれよな。」と言うにもかかわらず、自分の息子には「すっごくおなかすいてるかい?」  そして、家畜のラクダ、アーメッドには 「おりこう(good boy)」 などと話しかけること。

  そういえば、ウッディには、「乗りごこちは、どうだったかい?」「さあ、だれが最初に乗るのかい?」と、やたらに「かい?」をつける癖もあります。




  「おりこう」という言葉は、登場人物の皆が気に入っているらしく、タコスの屋台を経営している、気取らない性格のロジータは、「よっしゃ」とか「あいよ」とか「偉いね」と答える代わりに、
* 「おりこうさん (Good) 」と言い(P.111) 、
  マックスの友だちの女の子、サブリナも、
* 「おりこうさん (smart) にもいろんな種類があるだろうけど」(P.154) と話します。
 
  「心配すんな、マックス。」と、窮地に立たされたマックスを助けてくれる少年マヌエロ(生活力のある、たくましい働き者の少年)さえも、
* 「母ちゃんに返しておくよ。アーメッドはおりこうにしてたし (Ahmed was a good boy today, ) 夜の世話はもう全部してあるからってウッディーに伝えておくれ。」(P.115) と言うほどです。

  サブリナはともかくとして、ウッディ、ロジータ、マヌエロの三人は、間違っても「おりこう」という言葉を使いそうにない人たち。
  が、それは百歩譲って、それでもなお、" マックスは、ロジータから「おりこうさん」と言われて、大人の慇懃無礼と感じないのだろうか?" という疑問が残ります。
  私の周りのマックスくらいの年頃の子どもたちは、「おりこう」と言われても、誰一人喜びません。
  「おりこう」とは、彼らが使うときには、「指示された事柄はそつなくこなせても、試行錯誤しながら何かを作り出すようなことができない」という意味の、そして、大人から言われたときには「幼児扱い」されたと受け取るしかない言葉です。
  世慣れたロジータが、子どものそうした気持ちを理解しないはずはないと思うのですが. . . 。




  主人公マックスの言葉づかいについては、最も気になることを一つだけ。

  マックスは、両親のことを「お父さん」「お母さん」と呼ぶし、お昼頃、お弁当、おなか、おでこ、おこづかい、という言い方をします。なので当然ですが、金銭のことも、「お」をつけて「お金」。

  * 1.  お金は一セントもかかってなかった。(P.62)
  * 2. オクラホマ州見本市でお父さんが稼ぐお金は、・・・ (P.95)
  * 3. マヌエーロからお金のことを何かきいているかどうか、・・・(P.117)
  * 4. 人助けだと思ってやったことで、お金をもらおうなんて思ってないよ。 (P.122)

 けれど、そのマックスが、あるとき突然、「カネ」って言うんです。

  * 5. 「金のこと、なんか口にしなかったかな、と思っただけだよ。」 (P.124)

  会話の相手は 4. と同じく父親で、とくに反抗的になっているとか、背伸びして大人ぶっているというわけではないので、「カネ」という理由が見あたりません。
  たかが「お」なのですけれど. . . 。
  でも、この場面で「お」をつけてくれないと、" マックスは、「お弁当」や「おこづかい」という言葉の方を、無理して言っているのかな?  普段のふるまいの方が演技なのかな? " と、訝しく感じます。
  ここもやはり校正や印刷のミスなのかな、とは思うのですが. . . 。





**  これじゃまるで. . .


* 「こんちは、マックス。」母ちゃんはそう言ってから、どうしたんだい、とぼくにきいてきたのでぼくは話をした。それに、原因はなんなのか、ぼくが思っていることも話した。(P.104)

She said, "Hi, Max," and asked me what was the matter, and I told her, and I also told her what I thought caused it.

  「ぼくにきいてきたのでぼくは話をした」だなんて、マックスったら、なんだか赤ちゃんみたい. . . 。
 

*「こんちは、マックス。」ロジータは挨拶をしてから、どうしたのか、ときいた。ぼくは、事情を説明し、その原因だと思うことについても話した。

― 注: 岩波訳で、マックスが母ちゃんと呼んでいるのは、タコス屋のロジータのこと。



* するとルーシー・ブリッテンはコーヒーポットを持ちあげてこう言った。「いかがです、みなさん? 勇気を出されたら。」 ふたりともうなずいて、二杯目をもらった。(P.133)

Then Ruthie Britten lifted her coffeepot and said, "How about it, boys? Feeling brave?" They both nodded and took seconds. (P.87)

  相手が二人なのに「みなさん」って言うかな?
  ここはルーシーが、いかに聡明な女性であるかを示すエピソードの一節ですが、これでは逆効果です。
「お二人とも」や「どちらも」、日本語にはそれなりの言葉があります。boysは、省略しても、「さぁ」なんかでも、いいかも。



* 四人の子どもたちは、みんなそっくりだった。・・・ お父さんがその子たちをひとりずつ紹介してくれたので、見分けがつくなんてすごいや、とぼくはお父さんをほめずにはいられなかった。(P.97)

I had to congratulate Father for being able to tell them apart when he introduced them to me one at a time. (P.63)

  これでは、マックスが「声に出して」褒めたみたいに読めますが、「見分けがつかない」というようなことを、本人たちの前で言うはずはないので、このcongratulate は、be proud of. . . すごいと思う、誇りに思う、ということじゃないかしら?



*ここみたいな小さい町だと、全米のニュースと地元のゴシップだけしか新聞に出ない場合があるから。(P.41)

Sometimes these small towns put only the national news and the local gossip in their papers. (P.27)

  ここは、どこ?  アメリカだよね? ^^  もちろんサブリナが、「国内の大きなニュース」って言いたいのだろうと想像はできるけど、「全米の」では、全米津々浦々って感じです。

*ここみたいに小さな町だと、新聞には全国版のニュースや地元のゴシップしか載らないことがあるから。(Y)





* 「複写は、集めてないの、一枚も。複写と規格はずれじゃあ、ことばのうえで矛盾してるでしょ。」(P.143)

"I never collect duplicates. Definitely no. Duplicates and freaks are a contradiction of terms." (P.94)

  あれ? ことばの上で?   じゃあ、何の上なら(下でもいいけど)、矛盾しないのかな?
  ここはただ、「辻褄が合わない」か「(ことばが)矛盾してる」にすべきだと思います。

  ついでに、少し説明すると、ここでサブリナが「集めてない」と言っているのは、新聞の切り抜きの「もう一枚」のことです。 
  ある朝マックスは、サブリナが探しているフリーク(奇形・変種)に関する新しい記事を見つけます。で、それを切り抜いて恋する相手にプレゼントしようとします。けれどサブリナは、すでに同じ記事の切り抜きを持ってるから、二つはいらない、とムゲに断っちゃう. . . 。
  サブリナは、「写しや控えがあるものとフリークとでは、存在として相反する、両立しない」と考えているようです。彼女にとって、フリークはユニーク。世界に一つだけのもの. . . 。
 なので、「控えは集めないの、絶対に。だって、同じ物があるのとフリークって、言葉からして矛盾してるでしょ。」 という感じでしょうか。 




  どうか、もう少し丁寧に日本語に換えてほしい。でないと、カニグズバーグの物語は成立しません。

  主人公のマックスとサブリナにとって、言葉は切実なものです。二人は言葉を探します。考えるため、気持ちを伝えるために、いつだって適切な言葉を選ぼうとしています。他人の言葉づかいにまで、やれ「文法が違う」だの「それじゃ意味が逆」だの、厳しくなってしまうくらいに. . . 。
  そんなマックスとサブリナの言葉が曖昧では、どんなに精緻なプロットも、説得力を失ってしまいます。




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やみぃの屋根裏部屋
Yummy's Attic




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