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E.L. カニグズバーグ 『エリコの丘から』 TB編
タルーラ 写真館へ

華麗なる タルーラ・バンクヘッド  ―  Hello, Dahlings!  


タルラ・バンクヘッド / ヒッチコック 『「救命艇』
*Tallulah as Connie in Hitchcock's Lifeboat


  女優、タルーラ・バンクヘッドについて、私は、ヒッチコックの映画 『救命艇』 Lifeboat(1944)の新聞記者コニーの人、としか知りませんでした。 でも、今回 いろいろ調べていくうちに、彼女に夢中になっていきました。「なんて魅力的な人だったのだろうか。」と. . . 。

  タルーラ・バンクヘッドは、子ども用の百科事典にも、

She brought to the role the wit, sophisticated aplomb, and uninhibited behavior that made her a 'legend'.

と 載っているほどに、そのウイットと洗練された雰囲気、遠慮のない奔放なふるまいで有名でした。


  legend ― レジェンド。伝説的な人物. . . 。
  そう、彼女は、没後35年が経っても、数々の逸話を簡単に入手できるようなスターだったのです。


*  タルーラ・バンクヘッドは、酒と友を愛した。ウィンドウズと名づけた自邸に友人を集め、連夜パーティーを開いた。ジンやバーボンを水がわりに飲み、煙草は日に百本以上、一時期はコカインも常用。最期の言葉は「バーボンをちょうだい」だったと言われている。

  幾多の恋愛や、突飛な行動で、常にスキャンダル誌を賑わした。その物怖じしない態度や辛辣さでも名高く、「毒舌の女王」「モンスター」などと呼ばれた。
  誰とでも別け隔てなく(舞台や映画のプロデューサーなどとも)平然と喧嘩をし、誰とでも別け隔てなく(人種や性別、地位や年齢などに関わりなく)親密になった。---


  酒、タバコ、麻薬、スキャンダル、贅沢、気まぐれ、毒舌. . . 。
  そのような言葉で語られることが多いので、バンクヘッドに悪い印象を持つ人もいるようですが、私は、彼女のことを「知性と情熱の人」と呼びたいと思います。


  タルーラ・バンクヘッドは、1902年、アラバマ州の、祖父・伯父・父親が政治家という名家に生まれた、いわゆる典型的なサザンベル(Southern belle:南部のお嬢さん)です。
  小さな頃から、詩の朗読や歌やダンスが得意でした。修道会や神学校付属の女子校へ通わされました。一つ違いの姉が16歳で結婚したときに、彼女は、姉とは違う生き方をしようと決めます。翌年、女優をめざし、家族の猛反対を押し切ってニューヨークへ。ブロードウェイで、数年、頑張りましたが、端役の美少女役しか与えられないので、渡英を決意。1923年から8年間はイギリスの劇場(ウエストエンド)で、大活躍しました。


* 敵対する相手に容赦はなかったが、弱い立場のものには共感した。職のないファンに仕事を紹介し、自ら雇うことさえあった。援助の必要な子どもたちや動物保護団体への支援も惜しまなかった。里親として多くの子どもたちと交流し、彼らの学費を支払った。大統領府に招かれたときに、黒人の友人に招待状がないことに激怒し猛烈に抗議。当日はその友人と共に出席した。

  豪胆で開放的ではあったが礼儀や美しい作法は重んじた。因習に囚われることや「良家の子女」と呼ばれることに反発しながら、同時にその出自や系譜に誇りも感じていた。 仕事に対しては厳しく、常に最高のものを求めた。そのために制作側と激しく争うことも多かった。

  1950年から3年間続いたラジオ番組 『ザ・ビッグ・ショウ』では、毎日曜の晩に、ウイットに富んだトークで全米中を沸かせ人気を博した。
  ウィンストン・チャ−チル英宰相、トル−マン米大統領をはじめ、マーロン・ブランド、ハティ・マクダニエル、グレタ・ガルボ、ビリー・ホリディなどと懇意だった。 etc.


* * *



  タルーラ・バンクヘッドのことを知るにつれ、なぜ、カニグズバーグが、この女性をタルーラとして描きたかったのかわかるような気がしました。


  カニグズバーグは、『エリコの丘から』で、バンクヘッドの麗姿を写しただけではありません。その仕事ぶりや暮らし方などをも、タルーラに投影させています。

  たとえば、物語を彩る謎の一つ、レジーナストーンという失われた宝石の名は、バンクヘッドの代表的な舞台 "The Little Foxes" (子狐たち-1939) のレジーナという役名から取ったもの。ジーンマリーが感激するタルーラ主演の古い映画の題名も " Vixen "(雌ギツネ)で、Fox(キツネ)を連想させます。


  カニグズバーグは、タルーラに次のように言わせています。

* (夕暮れ時に、煙草を数えて) 「14本。これだけあれば、夕食までは持つわ。」
*「月に行くのは嫌だわ。まっぴらよ。話す人が誰もいなんですもの。」
*「庭いじりは、あまりにも面倒な遊びだとわかったから、また皆で、都会へ戻ったの。」etc.

  バンクヘッドが、大変な愛煙家で、人と話すことが何よりも好きで、病気の療養のために田舎に行ってもすぐに退屈しニューヨークへ舞い戻った、など、その「人となり」を知っている人たちには、きっと、おかしくてたまらないセリフでしょう。

  タルーラが、貧しい大道芸人たちと親しくなり世話をやく様子も、バンクヘッドを連想させるかもしれません。
  ジーンマリーが、「タルーラいわく」と、各章の冒頭に書きしるす「語録」も、バンクヘッドの言葉が、粋なジョークやアフォリズムとして、今なお多くの人から愛され引用されていることと関係がありそうです。

  バンクヘッドの煙草は、"Craven A"、結婚は一度でしたが、タルーラの方は、"Herbert Tareyton" を愛飲し、結婚は、ざっと数えても四度(正確には、六度)。――二人の違いを見つけることも、私にはとても楽しい作業でした。


  また、バンクヘッドが飼っていたのはプードルでしたが、タルーラの愛犬 スポット(Spot ぶち、斑点)は、ダルメシアン種です。
  これは、ディズニー映画、『101匹わんちゃん』制作の時に、毛皮の好きなお洒落な悪役 クルエラ・デ・ビル(Cruella de Vil=cruel devil?) のキャラクターが、「小さなタルーラ・バンクヘッドのような感じ。彼女のようなハスキーで低い声に。」と、デザインされたという歴史を踏まえてのことのようです。
  クルエラの "バンクレット風" の声は、ベティ・ルー・ガーソンが演じ、やはり "Hello, dahling." と言っています。(笑)


  もちろん、カニグズバーグ作品の主な読者は、バンクヘッドのことを知らない世代です。知らなくても、ううん、知らない方がいいんですよね。主人公と一緒に冒険をすることが、きっと何よりも大切です。
 
  『エリコの丘から』を好きになった子どもたちは、やがて実在したスターのことを知り、この物語のことを思い出すでしょう。その時には、また少し違った気持ちで、懐かしい古い本を読み返すかもしれません。エリコの「丘」の地中深くには、そうして何度も冒険ができるような仕掛けが、たくさん埋められています。



* * *



  バンクヘッドの屋敷で開かれたパーティーの様子を読みながら、私は、フィツジェラルドの小説『華麗なるギャツビー』の ジェイやデイジーを連想しました。お酒、煙草、ジャズ、粋な会話、美しくも悲しい退廃 . . . 。『エリコの丘から』の舞台も、グレート・ギャツビーと同じ、ロングアイランドなので、たぶん余計に。それで、「タルーラには、"華麗なる" が似合うなぁ . . . 」とぼんやり思っていました。

  その後、バンクヘッドが、ゼルダ・セイア(1900-1948)と、アラバマで幼なじみだったことを知って、とても驚きました。ゼルダは、スコット・フィツジェラルドと結婚し、『華麗なるギャツビー』のデイジーのモデルになったと言われている人です。

  また、『風と共に去りぬ』を書いたマーガレット・ミッチェルも(1900-1949)、タルーラやゼルダと同様、アラバマの隣州ジョージアで、サザンベルとして育った人でした。

  タルーラ・バンクヘッドは、『風と共に去りぬ』の映画化の際、スカーレットを演じるのにぴったりと言われ、スクリーン・テストを受けています。でも、「歳を取りすぎている」と言われました。その時、34歳でした。
  しばらくして、スカーレットの役は英国人のビビアン・リー(1913-67)に決まりました。


  1910年代に、それぞれの街で、思春期を過ごした少女たちのことを思います。
  まだアメリカでも「家柄」が重視されていて、とくに南部では、誰の娘であるかで、結婚相手さえ決まるような時代でした。何一つ不自由なく見える社交界の華たちも、家名や因習やコルセットで縛られていました。
  そうした土地では収まりきらない才能やエネルギーを持ってしまった少女たちは、バンクヘッドのように、家出をするしかなかったのでしょうか. . . 。

タルラ・バンクヘッド -  ライフの表紙
タルーラ・バンクヘッド (1902-1968) 写真館へ



  カニグズバーグが、物語の中でタルーラに語らせた言葉が、今はより心に響きます。

* カメラって、嘘をつくのよ、ダーリン。カメラは、女の中にいる少女のことを、見ようともしないの。少女はずっとそこにいるのに. . . 。
  The camera does lie, darlings. It never sees the girl within the woman, and that girl is always there.

* 私は、'彼のもの'でも、'陽気'でも、'素直'でも、それに、もちろん'女の子'でもなかった。
  I was not his, not jolly, not good, and I certainly was no girl.


  タルーラ・バンクヘッドは、劇的に変わっていく世界の中を、華やかに勇敢に生き抜いた人でした。

  カニグズバーグの『エリコの丘から』は、そんなタルーラへの、そして、そのような時代を生きたすべての女性たちへの、オマージュなのかもしれません。


2003. 11. 01  

タルーラ・バンクヘッド と エレイン・L・カニグズバーグに
深い敬意と感謝をこめて. . . 。



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Tallulah  B. Bankhead said:
(As to why she called everyone "dahling", )
"Because all my life I've been terrible at remembering people's names. I once introduced a friend of mine as Martini. Her name was actually Olive."

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