始めの六地蔵 はじめのろくじぞう
     (東都六地蔵)
寺院 住所 宗派 地蔵尊の状態
第一番 瑞泰寺 文京区向丘二 浄土宗 昭和61年(1986)再建
第二番 専念精舎 文京区千駄木一 浄土宗 当初(1691)より
第三番 浄光寺 荒川区西日暮里三 真言宗 文化10年(1813)再建
第四番 心行寺 (現)府中市紅葉丘二 浄土宗 頭部当初、体は木造再建
第五番 福聚院 (現)台東区上野公園   なし
第六番 正智院 (現)台東区浅草二 聖観音宗  なし
金仏立像八尺なり。慈済菴空無(くうむ)上人勧化(かんげ)の助力(じょりき)をもって建立あり。元禄4年(1691)に開眼供養せり。是を始めの六地蔵という也。そののち宝永年中沙門正元坊、丈六の金仏六躯を建立し、江戸の入口六ヶ所に建(たつ)る。是、後の六地蔵也
                        
          続江戸砂子

心行寺三世空無上人大像六躯を鋳造して六所に安ずる。後居所を改めて慈済庵とよぶ(上野大仏堂の側なり)。(要旨)
                                 
江戸東京歳事記

心行寺は現在府中市にあり、もと池之端にあった第4番地蔵尊を建立した寺である。
資料は主に「武蔵野の地蔵尊」 三吉朋十 有峯書店 にもとづく
続江戸砂子には第五番は空無上人の庵「慈済庵」が所在地としてあったが、その後の資料(「武蔵野の地蔵尊」)などでは「福聚院」になっており、こちらをとった。この変化は何故なのかわからない。「慈済庵」は江戸古地図には見つけられなかった。

六地蔵の配置
番号をクリックすることにより各地蔵尊が見られます
江戸時代の六地蔵配置
現在の六地蔵配置(4番は府中市)
(5番、6番には地蔵は存在せず)
「ぶんきょうの史跡めぐり」(文京区発行)に「東都6地蔵」が掲載されていた。「江戸6地蔵」はよく目にする言葉であるが、東都六地蔵など始めて目にしたのである。そして調べてみると「続江戸砂子」にたどりついた。銅造地蔵尊像としてはこちらのほうが早く作られていることが判った。本来こちらが脚光を浴び、江戸六地蔵は2番手としての位置付けになるはずである。それがそうではないのは現存する地蔵像が再建も入れて4躯しかないからであろう。このホームページを見た方は「始めの六地蔵」として意識に残していただきたく思う。
2003/10