始めの六地蔵第三番
 真言宗  法輪山  浄光寺
  
               じょうこうじ

   
最寄り駅:JR西日暮里駅
浄光寺
開基年代は不詳。豊島佐衛門当所を江戸城出張りの砦とした際、郭内諏訪神社を創立、当寺を別当としたという。家光鷹狩の時当寺を御膳所とし以来歴代将軍が訪ねた。家光腰掛石が現存する。当寺は高台で月雪の眺めが優れているので俗に雪見寺という。
寺宝は紫銅地蔵尊(江戸六地蔵三番目元禄四年慈済庵無空造)
  
全国寺院名鑑
2003/11
第三番地蔵尊
第三番を示す石碑
江戸名所図会  日暮里(ひぐらしのさと)其三  浄光寺、六地蔵、諏訪明神
浄光寺
当社(諏訪明神社)別当は浄光寺と号する。当寺の書院は高い崖の上にあり眼下に千歩の田園を見下ろせ、風色最も幽雅で言うことなし、中でも雪の眺めが最も優れ「雪見寺」とも称している。
地蔵堂
本尊は紫銅造り立像八尺の地蔵尊である。慈済庵無空上人建立で元禄4年に開眼供養した六地蔵の1つである。
  
江戸名所図会 意訳

浄光寺
真言宗浄光寺の本尊は薬師如来。一説には太田道灌の建立といい、また、元亨年間(1321-24)豊島左衛門尉経泰の創建とも伝える。諏訪台の好所を寺域としていたことから眺望が良く、特に雪見に適していたので雪見寺と呼ばれた(江戸名所図会)。元文2年(1737)には徳川吉宗が鷹狩の際に当寺に立ち寄り、同5年には将軍御膳所の指定を受け、以来幕末まで将軍の日暮里筋への鷹狩の際には御膳所をつとめた(風土記稿)。境内に無空が勧化して建立した江戸六地蔵のうち三番に当たる一体がある。
 
日本歴史地名大系
 東京都の地名

JR山手線、京浜東北線は田畑から高い崖の下を走る。西日暮里から日暮里までの間の崖の上が諏訪神社、浄光寺付近であり「日暮の里」と言われた場所である。現地に立ち下を見下ろした景観は現在でも非常に見通しのよいものである。江戸時代は現在の街並みに田畑が広がっていたのであろう。この崖を車で降りることは出来ない。急な階段が神社の鳥居から下に続いている。
諏訪神社
諏訪神社は日暮里・谷中の総鎮守。元亨2年豊島左衛門尉経泰が信州諏訪から勧請し、社殿を造営したと伝え(諏訪神社蔵縁起)、文安年間太田道灌が諏訪神社を含む諏訪台の一帯に江戸城の出城を築いた際に郭内の鎮守としたという。慶安2年(1649)には社領五石を与えられ、同社には別当浄光寺に当てた朱印状と目録が残る。
  
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明治の神仏分離でここも分離させられた。そのため寺社の入口、山門と鳥居の場所は別れたが特に隔たりを感じない。一帯として緑が多く感じる。この延長が「日暮の里」だったのだろう。しかし、寺社の周囲はもう家並みにかこまれている。江戸名所図会でみると寺域には多くの茶屋があったがもちろん現在ではその名残を見つけることは出来ない。
この石段が崖を下っていく
神社本殿
江戸の浄光寺の位置
現在の浄光寺の位置
諏訪神社、浄光寺に行くには西日暮里駅西側から入らなければならない。南行する一方通行の道である。