江戸六地蔵 えどろくじぞう
地蔵菩薩
釈迦の入滅後から弥勒仏が出世するまでの無仏時代に出現し、六道に輪廻して苦しむ衆生を余すところなく教化救済する菩薩。そのために地獄での責苦を救うと考えられ、特に中国・朝鮮・日本の民間で信仰を集めた。一般には「地蔵十輪経」などの諸説に従って頭を丸めた声聞形(しょうもんぎょう・僧形)に作られることが多い。
その姿には立像・坐像・半跏像があり、納依(もうえ)をまとい、左手に宝珠をささげ、右手を施願印とする形式と、左手に宝珠、右手に錫杖をとる形式がある。わが国では奈良時代より造像が行なわれたが、遺例は9世紀(法隆寺金堂像など)からで、前者の姿をとる場合が多い。後者の像容が現われるのは平安中期以降で、のち地蔵菩薩のもつ寿命増益(ぞうやく)の力が強く説かれ、この姿のものを特に延命地蔵とも称する。

        
       仏教大事典  小学館
六地蔵
墓地の入り口、村の入り口など境界に立てる六体の地蔵。地蔵は地獄でも衆生を救うとか。六道能化(のうけ)といって六道のそれぞれに現われて衆生を救うとされた。この考えは日本独自のもので、11世紀の「地蔵菩薩霊験記」に初見し、鎌倉時代の「覚禅鈔」に図形化されている。六地蔵は、地獄(大定智悲地蔵・だいじょうちひじぞう)・餓鬼(大徳清浄・だいとくしょうじょう)・畜生(大光明)・修羅(清浄無垢)・人(大清浄)・天(大堅固)の六道を守る。京都や江戸など都市の入り口の街道に六寺像を配置し、地蔵盆にそれを巡る地蔵めぐりの行事があった。京都の六地蔵は伏見大禅寺・山科四宮徳林庵・鞍馬口寺町上善寺・常盤源光寺・桂地蔵堂・上鳥羽浄善寺。

                                    
仏教大事典  小学館
江戸六地蔵
江戸六地蔵の造立の由緒については、「当国六地蔵造立之意趣」によると、「深川に住む地蔵坊正元が25歳の時に難病を患い、苦しんでいた折に、地蔵菩薩に一心に祈願する父母の姿に心打たれ、自身も一心に祈願し、ご利益が得られたなら多くの地蔵の造立を誓ったところ、不思議な霊験によってたちまち全快したことを感謝し、請願の通り地蔵尊の造立を発願して江戸庶民から寄進を募って造立されたとしています。
作者は鋳物師 神田住 太田駿河守藤原正儀とご本体の背に刻まれている。
真性寺 パンフレット より
第一番 東海道 品川寺 品川区南品川3丁目 1708造立
第二番 甲州街道 太宗寺 新宿区新宿2丁目 1712
第三番 中仙道 真性寺 豊島区巣鴨3丁目 1714
第四番 奥州街道 東禅寺 台東区東浅草2丁目 1710
第五番 水戸街道 霊巌寺 江東区白河1丁目 1717
第六番 千葉街道 永代寺 江東区富岡1丁目 1720
番号をクリックしてください。各寺院の説明が出ます。
    なお、永代寺の地蔵尊は現存しません
江戸六地蔵一覧 (同上資料より)
分間江戸大絵図に記載されている街道
これらの街道のうち、東海道、甲州道=甲州街道、中仙道、奥道=奥州街道、水戸道=水戸街道、下総道=千葉街道に六地蔵が配置された。
なお他の道は、川越道=川越街道、岩附道=日光街道、相州大山近道=青山通り・玉川通り・厚木街道である。

2003/02
街道