始めの六地蔵第五番
                     福聚院
  
                 ふくじゅいん

   
最寄り駅:JR上野駅
福聚院
寛永2年(1625)の寛永寺本坊創建以降、正保-慶安期には福聚院(官命により創建、檀越は上杉吉憲)ほかの計36の子院が建立された。
福聚院は浄円院(徳川吉宗母)位牌所の別当を勤め、裏別当と称された。

  日本歴史地名大系
  東京都の地名

分間江戸大絵図 (1828) 寛永寺境内
福聚院入口
江戸時代の子院群が立ち並ぶ一区画
中央より右の塀の中にある
福聚院
上野公園内にあって両大師と呼ばれる寺。元禄の頃に空無上人が開眼した東都六地蔵のうちの身代わり地蔵がある。
  
武蔵野の地蔵尊
  三吉朋十

上の三吉氏の説明によれば「両大師」と呼ばれる寺というが下の周辺地図にあるとおり「両大師」はべつにあり、「福聚院」は江戸時代「子院」といわれていた寺が集中して残る地域にある単独の寺に思える。
いずれにせよ、「両大師」にも「福聚院」にも現在「江戸六地蔵五番目の地蔵尊」は存在していない。
現在の福聚院周辺
2003/11