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テキスト:*表紙の絵 "TalkTalk" Simon & Schuster (1995/05/01)
*表紙の絵 『トーク・トーク』 カニグズバーグ講演集 (作品集 別巻)
岩波書店: 清水真砂子訳 (2003/01/24 第2刷)


* * *
エレアノール 番外編
― Eleanor of Aquitaine ・ Alienor d'Aquitaine―
GREAT BITCH



偉大なるビッチ


  カニグズバーグの講演集『トーク・トーク』については、
  ・・・ これまでにも、多少は触れてきたんだし〈*cf. 〉、どちらかというと大人向けの一冊でもあるし、もういいや、開閉禁止、封印しちゃおう、と思ってきました。
  けれど、このトーク集には、王妃エレアノールに関する話題(P. 149〜155)も含まれていて、その周辺には誤解の種もいくつかあるようで. . . . .  思案の末に、おまけみたいな「番外編」を作ることにしました。

  カニグズバーグの作品や読者に対する思い、また、その軽やかで楽しいオシャベリの感じがお伝えできたら、幸せです♪



* * *
There was one jarring note in it.


なにかが違う. . .


  今から30年余り昔、カニグズバーグは、ジャン・アヌイの『ベケット』を観に行きました。おもしろい芝居でとても気に入ったのですが、Young Queen(若き妃)と呼ばれる劇中人物には違和感を覚えました。
  なにかが違う. . . 。

  アヌイの『ベケット』は、ヘンリー2世とトーマス・ベケットの愛と確執を描いた1960年の傑作ですが、その中で、王妃と皇后はガミガミ言ってばかり。主役のヘンリー2世の邪魔をするだけの「妻」と「母親」という役どころなので、戯曲作法上やむを得ない部分もあります。カニグズバーグもそれは認めた上で、なお、アンフェアを感じ、不協和音を聴きます。
  「だからといって、名前もないただのYoung Queen?  それに、彼女の立場で、あのような言動は可能だろうか. . . ?」と。
  そして、その王妃のことを調べ始めます。それが、アキテーヌのエレアノールでした。

* 私はこの芝居の作者に、アキテーヌのエレアノールはやり手だったかもしれないけれど、功績は功績として認めようじゃありませんか、そう言いたいと思いました。彼女はなかなかの女性だったのです。

( 『トーク・トーク』 カニグズバーグ講演集 清水真砂子訳 P. 151 )
〈注〉 ↑『誇り高き王妃』の翻訳家とは違います

I wanted to tell the playwright that Eleanor of Aquitaine may have been a bitch, but ―let's give credit where it's due― she was a great one. (P. 95)



  TalkTalk全体が、軽快で気取らない感じなのですが、ここでも、カニグズバーグは、'bitch' というカジュアルな言葉を使っています。
  この bitch は、もちろん「メス犬」や「尻軽女」とは訳せないし、「あばずれ」や「性悪女」でもなくて. . . 。
  でも、せめて「手に負えない人」とか「じゃじゃ馬」くらいにはして、愉快なトークの雰囲気が届けられるといいなと思います。

  それに、もし「やり手」だったら、たいていの場合、黙っていてもその功績は認められるだろうし、そもそも、カニグズバーグが、女性が「やり手」であることを「悪い」ことと見なすはずもなく . . . 。

  が、一応、「やり手」を辞書で。

やりて 【遣り手】
1.  物事を、てきぱきと処理して行く、腕のある人。敏腕家。
2. 女郎屋で、遊女を取り締まり、諸事の切り回しをする老女。 「遣り手ばばあ」

〈 * 岩波国語辞典 第五版 for 一太郎 〉

  まさか、2. の意味では. . . ないですよね?
  うーん。 ここはやはり「じゃじゃ馬」で試してみよう。

・・・ may have been a bitch, but ―let's give credit where it's due
*「じゃじゃ馬だったかもしれないけど、そのあばれ方は正しく評価しましょうよ。」

― she was a great one.
*「彼女は、とびきりのじゃじゃ馬だったんですもの。」



  そう、エレアノールは、a great bitch。 「なかなかの女性」なんかじゃなくて「偉大なるビッチ」だったのです。少なくとも、エレアノールを発掘し、その肖像を一冊の本にし、表紙やたくさんの挿し絵まで描いた作家にとっては. . . 。


  おし、わたしも a great bitch を めざしてがんばろう。^^


* * *




  "TalkTalk" には、元々が話し言葉だったこと、また、主な聴き手が大人だったということもあって、うち解けた感じの表現がいっぱいです。


  以下、1975年ごろの講演の記録から、客席の笑い声が聞こえてきそうな箇所を。

  「あなたは、なぜ、子どもの本を書くのですか?」
  退屈しのぎや社交辞令で、この種の質問をするような人には、相手が喜びそうな返事をすることにしている、とカニグズバーグは語ります。そして、その答えは、――

 1. ・・・ because it's so damn much fun.
  すごーく、めちゃくちゃ面白いから。
 2. ・・・ because I have a very limited vocabulary.
  実は、手持ちの語彙が非常に限られているんです。
 3. ・・・ because my husband won't allow me to write hard-core pornography.
  ハードコアなポルノ小説を書くことは、夫が許しませんの。 etc.

だから、子どものためのお話を書いている、と。 そして、

1.  ・・・that's why I say damn instead of goddamn.
  (贅沢なランチを取りながら、余暇を有意義に過ごしているようなマダムから訊かれた時に) いつも damn を加えるのは、彼女たちが、作家という人種に罰当たりな言葉づかいを期待しているから。でも、同じ書き手でも児童文学の作家には、うっすらとした罰当たりしか許されてないんです。それで、goddamn (くそっ)と言いたいときでも、damn (ちぇっ)と言うようにはしています。

という感じで、返事ごとに、しかるべきおかしな理由も用意されています。


  言うまでもなく、これらは、聴き手と自らの緊張をときほぐすためのジョークで、(落語でいうと枕にあたるのかな?) このあと、作家は、「なぜ子どもの本を書くのか?」― その理由を、代表作の一つ 『ジョコンダ夫人の肖像』〈* cf. 〉 の解説をまじえながら、真摯に率直に語っていきます。・・・ ここでは涙をぬぐう人の姿が見えそう、です。^^




* * *
It did not ring true.


やっぱり、違う. . .


  誇り高きエレアノールのことに戻りますね。
  『トーク・トーク』の続きのページから、誤解をときたいことを少し. . . 。


* 1. ・・・エレアノールは一夫で終わらず、二夫にまみえた女(ひと)でした。 (P. 152)
* 2. ・・・エレアノールはふたりの夫をもち、ふたりの子どもの母親となりました。・・・息子たちの名はご存じでしょう。 (P. 153)

Eleanor of Aquitaine was the woman who was wife not to one king, but to two. (P. 96)
Eleanor of Aquitaine was wife to two kings and mother of two. You know her sons by name. (P. 97)


  どちらの訳文からも、 (king)が抜けています。
  エレアノールは、2人の王の妻となり、10人の子どもの母親となった人です。
  ヘンリーとの間の5人の息子のうち2人が王位につきました。― リチャード1世(獅子心王)とジョン(欠地王)。

  エレアノールの子どもの数が8人減ったところで、さほど困りません。
  2人きりの息子が、2/2の確率で王になれたら、きっと骨肉の争いも幽閉されることもなくて、どんなに良かったかしら. . . と思えて楽しくさえあります。

  けれど、上の文章が、カニグズバーグは「再婚」を特別視している、みたいに読まれるとしたら、悲劇です。
  出てくる二つが二つとも。こちらの2/2は悲しい。そうして揃ったときは、意識的だと見なすのがフツーで. . .  とくに、1. の「二夫にまみえた」は嫌だな。

  「貞女は二夫にまみえず」という発想でしょ?   と言われたら . . .




* * *
A True Proud Taste



もう一人のエレアノール


  次は、先に少し説明を. . . 。

  カニグズバーグは、中世ヨーロッパの人々と、ミドルエイジの子どもたち(米国の出版界用語で8-12歳の児童)には、共通点が多いと考えています。たとえば、矛盾する価値観が共存する、言葉どおりに解釈する、(おとぎ話や迷信など)とても信じやすい、まだ遠近法がない. . . など、相通じるものをたくさん持っていると。
  (アメリカという国は、この'中世'的な時期を抜かし、幼児からいきなり思春期の青年になってしまって残念だとも言っています。)


  そうした共通点の詳しい説明のあとで、エレアノールが紹介され. . .  トークは次のように続きます。

* the Middle Ages =「中世」
* middle-aged children=「ミドルエイジの子ども」,  岩波訳は「中年子ども」



* 私は子どもたちのために、この王妃のことを書きたいと思うようになりました。子どものための歴史小説の多くは若者を主人公にして、その人物を作者が設定した時代に放り込みます。それがうまくいかなかった時は ―ちょうど『ジョニー・トレメイン』の場合のように― 不協和音がします。私はそうなるのはさけたいと思いました。アキテーヌのエレアノールはすでにひとつの時代を、中世、また中年というひとつの時代(the Middle Ages)を、私が作品を届けたいと願う読者と共有していたのです。 (P. 154)


I wanted to write about this queen for children. Most historical novels written for children invent a young character and plop him into the chosen era. Unless it is done well―as it is in Johnny Tremain―one can hear the splash. I didn't want to do that. Eleanor of Aquitaine already had an age―the middle ages―in common with the readers I wished to reach. ("TalkTalk" P. 98)



1.  " うまくいかなかった時は―ちょうど『ジョニー・トレメイン』の場合のように―不協和音がします。"

  あがー。  『ジョニー・トレメイン』〈*1 〉 は、done well.  成功例です。

  第一に、E.L. カニグズバーグが、その理由をきちんと説明もせずに、他の作家の作品を否定することは考えられません。
  第二に、この『トーク・トーク』の中でも、彼女は、『ジョニー・トレメイン』を絶賛し、(6ページに渡って)擁護しています。〈*2

 * 「この作品はニューベリー賞受賞作の中でももっとも優れた作品のひとつです。私自身がニューベリー賞をいただいた時、まず誇りに思ったのは、自分の本が『ジョニー・トレメイン』と同じ書棚に並んで置かれるのだということでした。・・・」(P. 77〜P. 82)

 2.  I didn't want to do that. は、不協和音(失敗)を避けたかった、というよりも、

  子どもたちが共感しやすいようなキャラクターを創作し、どこかの時代にポトンと落とすという「手法」は、使いたくなかった、必要なかった、というニュアンスだと. . . 。「なる」と「する」とは、少し違うし。^^
  たとえばタイムマシンを持ち込んでも、カニグズバーグが不協和音を作ることはないでしょう。けれど、彼女はそれをしませんでした。
  エレアノールと組めば十分だと、知っていたのだと思います。


* 子どもたちのために、この王妃のことを書きたいと思うようになりました。児童向けの歴史小説のほとんどは、年若い登場人物を作り上げ、好きな時代に放り込んでいますが、『ジョニー・トレメイン』のように上手に着水させたものでないかぎり、バシャッという音が聞こえますね。私は、そんなことをしたいとは、思いませんでした。
  アキテーヌのエレアノールは、'中世'という一つの時代を、彼女の物語の将来の読者―ミドルエイジの子どもたち―と、すでに共有していたのです。
― '中世'に、「ミドルエイジ」と振り仮名



  こうして、子どもも動物も出てこない、でも、紛れもなく子どものための
新しい本が生まれました。
  "A Proud Taste for Scarlet and Miniver"
  それは、歴史的事実と創作と、少しだけ空想も混じった、
愛すべきグレート・ビッチの物語でした。



* * *



良質な「子どもの本」は、大人が読んでもたのしい
そうでない本は、子どもたちにもいらない. . .



  "TalkTalk"を読んでいると、カニグズバーグの言葉や文学に対する厳しい愛情が伝わってきます。そのオシャベリも 'damn' 楽しくてステキだけれど、30年間の講演の頻度を考えると、(+TVにも出ないし、解説や書評の仕事もしないし *3)、やっぱり作家なんだと思います。「作品」がすべて。

  それでも、講演を引き受けるのは、本を読むことの楽しさを、伝えたいから. . . 。
  時には、政治的正しさ(politically correct)という考え方から、『赤ずきん』や『ジョニー・トレメイン』のような本が、書き換えられたり、本棚から閉め出されたりすることに、抗議をするため。
  そして多くの場合は、もっとも信頼している大人の読者、町や学校の図書館員たちと親交を結ぶため. . . 。
  きっと今日も多くの子どもたちが、「エレアノールやクローディアが大好き♪」という手紙を作者に書くでしょう。けれど、彼らは自分たちが置かれた環境については話せません。だから、子どもたちと本と、どちらとも親しい大人の声が大切なのです。


  中学生や高校生にも愛読されているという理由から、米国では、カニグズバーグの作品を「ヤングアダルト」という棚に並べる書店が増えているそうです。
  でも、カニグズバーグ自身は、その呼ばれ方が好きではないと言います。
  自分はあくまでも、a writer for children  " 子どもたち" の本の作家だと. . . 。

  . . . because I have a very limited vocabulary.


  エレイン・カニグズバーグは、まさしく児童文学の作家であって. . .  
  エレアノールと同じくらいに 'damn' クールで、深くて、素敵だと思います。

2004. 6. 19
Konigsburgian, やみぃ



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* * *



* 注 1  『ジョニー・トレメイン』 Johnny Tremain

エスター・フォーブス Esther Forbes (1891-1967)の作品。
アメリカの独立戦争を背景に少年ジョニーの冒険が描かれた児童書のクラシック。
1943年 ニュー・ベリー賞受賞。
1957年 ウォルト・ディズニーによって映画化


* 注 2.  カニグズバーグは、『ジョニー・トレメイン』が、他のいくつかの古典とともに、一部の人々から、「人種差別と性差別にいろどられている」という理由で焚書扱いされていることに抗議し、その作品が文学としていかに美しく優れているか、また、小説の中のある人物に保守的かつ差別的な考えを表明させるのと、その小説の作者が差別主義者であるのとは、まったく別の話だということを、具体例を挙げながら(P. 77〜P. 82)、丁寧に根気よく語っています。

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* 注 3.  正確には、解説や書評の仕事は滅多にしない、です。
  F.H. バーネットの、『秘密の花園』と『小公女』に、はしがきを書いていたりします。^^

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*   『ジョコンダ夫人の肖像』 "The Second Mrs. Giaconda"  ― 輝きは、あなたの中に―

  なぜ、彼は、フィレンツェの名もない商人の妻の肖像を描き、持ち続けていたのか?
  名画「モナ・リザ」の大きな謎が、解き明かされています。一人の天才画家と、浮浪少年サライ、ミラノ公妃ベアトリチェ. . . 互いに惹かれあう三人の不思議な関係が、秘密のかぎを握っていました。
  偉大な芸術家であり科学者でもあった「モナ・リザ」の作者を、天才ダ・ヴィンチではなく、レオナルドと呼びたくなります。サライをサライと呼ぶように. . . 。 ベアトリチェの美しい言葉からは、ほんとうの光は、内から放つもの、心に宿すものということが、しっとりと伝わってきます。
  レオナルドのように完璧を求める人には、とくにお薦めの一冊です。

*表紙の絵ジョコンダ夫人の肖像』 松永ふみ子(訳)  岩波書店 1975年

〈* 注〉この作品は、カニグズバーグ作品集 5 にも、『誇り高き王妃』(小島希里 訳) と共に収録されています。
原書はこちらで.  "The Second Mrs. Giaconda" Simon & Schuster 1975

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