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『ティーパーティーの謎』について − その1
翻訳家のさくまゆみこさんの素敵なサイト「バオバブの木と星のうた」。その「読書会」のコーナーで、カニグズバーグの『ティーパーティーの謎』が取り上げられていました。
"子どもの本で言いたい放題 01-4 "
編集者、作家、翻訳家、図書館員など、プロフェッショナルとして児童書に関わっていらっしゃる皆さんのお話です。
この本はどうも読んでらいれなくて、途中で放り投げたくなりましたね。
私も、わりと何でも普段は義務感で読みとおすのに、途中で挫折しちゃった。
ぼくも読みにくくて挫折寸前だった。カニグズバーグは大好きなんで、自分の感性を責めてたんだけど・・・
ニューベリー賞を獲得した作品とはとても思えなかった。
原文は、もっとおもしろいのかもしれないね。
皆さんの感想に、「私だけじゃなかった. . . 」とホッとして、けれど、彼らのような専門家でさえ投げ出したくなるような「子どもの本」のことを思うと、やはり暗澹たる気持ちです。
「読書会」で指摘されていることは、すべて、いちいちその通りだと思います。(注1)
私も、そのうちの幾つかを、原文と比較しながら. . . 。
以下、印は 「子どもの本で言いたい放題」から、
印は 岩波版の邦訳からの引用です。
最初のノアのところで、「実は」「実は」のくりかえしにうんざりしてしまった。ノアの口癖なんだろうけど、もうちょっとなんとかならないかなって. . .
これは、主人公の一人ノア少年が、祖父母に「礼状」を書くよう母親から命じられ、「ぼくにはお礼をいう義理はないよ」と言って、その根拠を並べるシーンですね。
邦訳では、「実はね、・・・しかも実はね、・・・しかも実はね、・・・」と、たしかに
"うんざり" するような話し方です。
が、原文では、"Fact: . . . because fact: . . . further fact:
. . . "と、コロンで区切り、まるで、事実1: 事実2: と箇条書きにでもするように、ノアは自分の立場を語っています。
ここで、邦訳に「"真相"を詳しく話した。」とありますが、彼は、母親とのやりとりを訴訟に見立て
"言い分" を陳述しているのだと思います。 (少し長いので、この部分の引用は別のページに。→
参考ノート1)
ノアが、"fact: " と言うときには、「これは、周知のことだよ」「客観的事実なんだよ」という気持ちが強いので、それを全部、「実は.
. . 」としてしまっては、それこそ真相から離れてしまいます。「実は. . . 」という言葉には、本当のところは、気持ちを打ち明けて言えば、あなたは知らないでしょうけれど、という感じがありますが、ノアの
"fact: " には、そうした含みはありません。
たとえば、
実は、ぼくの活躍ぶりは、かなりのもんだったんですよ、これが。(P.19)
実は、奥さんに逃げられたんだ。(P.20)
ぼくのお父さんは、町でいちばん上手い歯医者だ(実は)。(P.20)
これでは、ノアが、高慢ちきでうわさ話の好きな、すごく嫌なヤツみたいです。(違うよ〜!)
念のために、原文を。
Fact: I did a wonderful job. (P.12)
事実: ぼく、素晴らしい仕事をしたんだ。
Fact: His wife had left him. (P.13)
事実: 奥さんは家を出て行った。
・・・my father, who is the best dentist in town (fact).
ぼくの父は、町でいちばん腕のいい歯科医なんだ。(これも、事実)。
ノアの他にも、奇妙な話し方の登場人物は多く、(注2)
たとえば、自然のすばらしさに感激する人たちは、「みごと。」と繰り返したりします。
「みごと。」と言った人が四人。イーサンはウーもアーも言わなかったし、「みごと。」とも言わなかった。 (P.57)
お父さんは、三度目の「みごと。」を言った。 (P.59)
また、やはり主人公の一人ナディアは、
テレビでトーク番組を三つ観た。一つは、お母さんが恋人といちゃついて困っているという十代の若者たち。あわれ。もう一つは、・・・(P.79)
と、番組の感想をただ「あわれ。」とだけ。 おまけに、「一つは、・・・若者たち。」だって。(泣)
原文では、「みごと。」は、"Fascinating." 大自然に対する畏敬の混じった感嘆です。日本語では、「すばらしい」とか「なんて美しいんだ」とか、せめて「みごとだ」にしてほしいな。
そして、「あわれ。」の方は、They were pathetic. . . 「可哀想だった」です。
また、「(番組の)一つは・・・若者たち。」も、原文は One was about
teenagers・・・で、ナディアは、「〜について、 〜のことだった。」と、正しく言っています。(P.51)
もしかしたら、「みごと。」や「あわれ。」から、枕草子でも連想させたいのかな。でも、清少納言だって、ちゃんと「いとあはれなり」って言ってますよね?
最初の結婚式の模様も、どたばた調で、饒舌な割りにわかりにくい。あそこを抜け出るのにエライ苦労しちゃった。
これも、ノアが物語る第一章です。
実際のノアは、非常に理路整然と話します。でも、日本語の方は、「どたばた調」で「わかりにくい」と言われても仕方がない.
. . 。
たとえば、
(カリグラフィーを教わった時、「今後はボールペンを使わないように」と言われて)
ぼくには、約束できなかった。学校では、安っぽくてお手軽、個性なくものごとをすまさなきゃなんない場面があるからだ。(P.15)
I couldn't promise that. There were times in school when a person had to do things fast, cheap, and without character. (P.9)
「安っぽくてお手軽」は、何を修飾しているんでしょう。「お手軽に」の誤植かなぁ. . . 。
― ぼくには、約束はできなかった。学校では、素早く、安上がりに、そして目立ち過ぎずに、ものごとをしなくちゃいけない時があったから。 (Y)
ノアは、ティリーの言葉 " It (the ballpoint pan) makes the written
word cheap, fast, and totally without character." (P.6) を受けているので、そちらとの繋がりだろうけど、もう少し工夫がほしい.
. . 。
とにかくたくさん書かなきゃなんなかった。招待状一枚一枚の最後に、こう書くからだ。「手ぶらでお顔をおみせください。」ティリーが言うには、センチュリー・ビレッジから出される招待状のほぼすべてのものに、こう書かれているらしい。「それに、結婚式をしてあげるってことが、立派な贈り物なんですもの。」 (P.16)
ここはまったく意味がわかりません。ティリーおばさんもノアも、どうしちゃったのかな?
結婚式の招待状に「手ぶらで」はそぐわないし、「それに」以下は、誰の言葉で、何にどう続いているのか、いきなり「立派な贈り物」って言われても.
. . 。 いちいちが判じ物みたいです。
もちろん「手ぶら」→「贈り物は要らない」ということを推理しようと思えば可能ですが、前もって贈るとか、後日あらためてということもあるし、式に「手ぶら」で参列するからといって、贈り物をしないことにはなりません。
There was a lot of writing to do because at the bottom of each and every one of those invitations, we wrote: Your presence but no presents. Tillie said that practically all the invitations that went out from Century Village said that. "Besides," she said, "I think that making the wedding is enough of a present." (P.10)
原文からは、裕福な老齢者ばかりが住むセンチュリー・ビレッジでは、招待状に「プレゼント無用」と書くことが慣例になっていること、そしてティリーは、それが決まりごとだから従うというだけでなく、実際に、みんなで祝福することが「良いプレゼント」だと考えていることが読み取れます。なので. . .
― 仕事は山のようにあった。招待状の一枚一枚の終わりにこう書いたから。「ぜひご出席ください。贈りものは無用です。」 センチュリー・ビレッジから出されるほとんどすべての招待状にはそう書かれているのだと、ティリーは言った。「それに、みんなで結婚式をしてあげることが、もう何よりの'贈りもの'ですものね。」 (Y)
◇ 「ご出席」にはプレゼンス、「贈りもの」にはプレゼントと、ふりがなを. . . ♪
さて、このシーンの少し後には、次のように続いています。
ぼくは、ネコの足跡がついた招待状に一枚ずつポストイットをつけた。そこに(完璧なカリグラフィーで)こう書いた。「特別な印のついた招待状を、式当日ご持参ください。すてきな贈り物をさしあげます。」贈り物はどうしたらいいかしらとティリーにきかれたので、だいじょうぶ、何かうまいこと思いつくから、と言った。(P.17)
I put a Post-it into each of the invitations that had a cat's paw mark. On the Post-it I wrote (in faultless calligraphy): Bring this specially marked invitation to the wedding and receive a surprise gift. When Tillie asked me what the surprise would be, I told her not to worry, that I would think of something. And. . . (P.11)
前出の、周りの人々から新夫妻に対する「お祝い」と、ここでの主催者側から出席者への「引き物」(賞品)が、ともに「贈り物」になっていてややこしいですが、原文では、二種類の「贈り物」は、present
と surprise giftで、 しっかり書き分けられています。
また、「特別な印のついた招待状」も、受け取った人が、自分に届いたそのカードが「当たり」だとわかるように、Bring
"this" ・・・invitation と書かれています。
― ぼくは、ネコの足跡がついた招待状の一枚ずつにポストイットを貼った。その上に、「この特別な模様のついた招待状をお持ちください。すてきな記念品をさしあげます。」と書いた(申し分のないカリグラフィーでね)。 記念品はどうしたらいいかしら、とティリーが訊いたので、ぼくが何かしら思いつくから心配しないで、と答えた。 (Y)
ふう。私の試訳もなんだかなぁで、ゴメンなさい。原文は、もっとわかりやすく、躍動感にあふれています。合理的な少年が、手作りの楽しさに気づき、人々のために工夫を重ねていく「結婚式の模様」は、温かく爽やかで.
. . 、とにかく「ドタバタ」ではありません。ご明察ください。
今回あらためて、『ティーパーティーの謎』を読み返し、やはり、登場人物の中でノアが一番損をしている、という印象を持ちました。邦訳では、彼は、「安っぽい小利口なうぬぼれ屋」と誤解されかねません.
. . 。
言葉の使い方が多少おかしくても、複雑な背景を持った子たち ― 寡黙で情熱をうちに秘めたイーサン、優しくてエレガントな少年ジュリアン、多感でおちゃめで直情的な少女ナディア
― には、きっと多くの人が好感を抱くだろうと思います。
でも、ノアみたいに、明朗快活な優等生で要領がよく話術も巧み、おまけに家庭も良くて.
. . という子は、物語の主人公としては、もともと少し弱い。それなのに(その上と言うべきか)、です。
もちろんノアは、決していわゆる「いい子ちゃん」ではないし、すべての点で恵まれているところに彼の孤独があったりもするわけで、カニグズバーグはそうした面をもみごとに描いています。そして、最初にノアに語らせます。
作者は、優秀なストーリーテラーである彼に、「読者を物語の中心へいざなう」という仕事を任せています。
ノアがナレーターを務める第一章は、ほんとうに丁寧に訳さなければと思います。
注1: "子どもの本で言いたい放題01-4" で指摘されていることのうち、一つだけ「作品集」の方では直っている箇所があるので、補足しておきます。
それから、「ジャック・スプラットは脂身がだめ、奥さんは赤身がだめ・・・」というの、有名なマザーグースの唄よね。訳は「童話」となってるけど、原文でも「童話」とは書いてないんじゃないかしら。
Grandpa Izzy and Margaret are like Jack-Sprat-could-eat-no-fat and
his wife-could -eat-no-lean. の箇所. . . 。
たしかに、岩波少年文庫の第1刷は「童話」です。ただし、作品集の第8巻に収められた版では、「童謡」に訂正されています。
注2 :不思議な話し方の登場人物が多いのは、『ティーパーティーの謎』に限りません。
『800番への旅』をテキストにしたコーナーの 2. キャラクター七変化 や、 『エリコの丘から』の 4. 幹、および枝や葉のことも参照ください。
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