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参考サイト:*「子どもの本で言いたい放題」< バオバブの木と星のうた
テキスト:The View from Saturday('96年作品)Aladdin Paperbacks ('98年)
*『ティーパーティーの謎』−カニグズバーグ作品集8(岩波書店)

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『ティーパーティーの謎』について − その2


* 身体障害者の先生が出てくるじゃない。この先生像がいまいち見えてこないのよね。やっぱり訳のせいなのかな。

  はい。とても残念ですが、そのようです. . . 。
  オリンスキー先生は、4人の子どもたちに、「彼女のために」と思わせる美質や魅力を(弱さやかたくなさも含めて)、十分に持った女性だと思います。



* 私は、黒板にいたずら書きするハムみたいな子のほうに共感をおぼえるけど。
* ハムという子は、物語の中ではあっさり切り捨てられてるのよね。

  たしかに、日本語版では、そのように読めてしまうかも. . . 。けれど、ハム(ハミルトン)と彼の仲間の行為は「いたずら」の域を越えています。
   
  車椅子のオリンスキーが、自己紹介で「paraplegic(下半身麻痺患者)です」と板書したものを、cripple (かたわ)に書き換えたり、ひどく陰湿. . . 。 (邦訳では、cripple は「不具者」とされています。ちょっと中立を装ったような感じの言葉かな? )
 
  これから読まれる方のために、詳細はさけますが、彼らは、転入生のジュリアンのこともひどく虐めます。散々からかい続けたあげく、ついにはジュリアンを襲って、彼のカバンに黒いマジックで、"I am a ass" と書く。岩波の訳では、「外人」と書いたことになっていますが、原文は、"ass"。 馬鹿かアホか、肛門かケツか. . . とにかく卑語です。

  ハムたちの「嫌がらせ」は、オリンスキーやジュリアンに対する、ほとんど「迫害」のようなものですが、日本語版では、さまざまな事件の緊迫感や残酷さが、(冗談めかされたり、お上品だったりで)弱められている気がします。全体的に緩慢で散漫な感じ. . . 。 そのために、「いたずらっ子が切り捨てられている」というような、逆の印象を与えてしまうのかも知れません。

  それでは、長いリハビリの末にやっと復職したオリンスキーや、米国へ越してきたばかりで友だちもないジュリアンが、ただでさえ不安でいっぱいの時に、いきなり悪意にさらされる、その恐怖や屈辱感、深い哀しみも、十分には届きません。
  その屈辱や哀しみがしっかり描かれないと、ほんとうの友情を希求する彼らの「姿」は見えてこないし、その寛容さや強さも伝わりません。そして、二人に惹かれるノアやナディアやイーサンの存在まで、ぼやけてしまいます。

  多くの伏線が無駄になり、一人一人の像や小さな出来事さえよく見えないのですから、章ごとの繋がりや、物語全体の構成は、言わずもがなで、ほんとうに残念です。




* (マーガレットの服の色が)「青緑でとても派手」というようなことを書いているんだけれど、「青緑」だったら日本ではちっとも派手な色じゃないから、「どうしてなの?」と思ってしまった。きっと原文はturquoiseとなっているのでは?  ターコイズは日本の辞書では確かに「青緑」となっているけれど、けっして「青緑」ではない。トルコ石の青だから、空色や水色に近い色よね。これなら派手といってもおかしくはない。

    これはオリンスキー先生が、元同僚のマーガレットに嫉妬を感じるシーンの導入部ですね。

(オリンスキーは、マーガレット・D・ディアモンドスタインが孫と抱き合うのをじっと見ていた。)
* 新婚ほやほやのディアモンドスタイン夫人が着ているのは、ジョギングスーツだ。青緑色のジョギングスーツ。青緑の。ショッキングピンクや薄黄緑のように、青緑は、ことばでいえば、「超・・・」と同じようなものだとずっと思っていた。ちょっぴりだったらしゃれているけれど、たくさんだとくどいから。 ・・・
(オリンスキーは) 気持ちの抑えがきかなくなって、ふだんのお行儀のよさをくずしそうになっていた。・・・ (P.192)

  The new Mrs. Diamondstein was dressed in a jogging suit. A turquoise jogging suit. Turquoise! She had always regarded the color turquoise, like shocking pink and chartreuse, as the color equivalent of the word ain't: quaint when seldom used but vulgar in great doses. ・・・her mental censors and her customary good manners started shutting down. (P.123)

  お察しのとおり、「青緑」の原語はturquoise(ターコイズ) です。  「薄黄緑」は、chartreuse (シャルトルーズ)。

ターコイズ ターコイズ 青緑 青 緑
シャルトルーズ シャルトルーズ 薄黄緑    薄 黄 緑  

  実際の「青緑」は渋い色だし、「薄黄緑」もシャルトルーズほどには華やかではありません。

  色名は、無理に短い言葉に変えず、カタカナのままで註釈をつけるか、思い切って詳しく ― たとえば「クジャクの羽根の中心のような ・・・色」とか、形容 したらわかりやすいでしょうか。

  その後の「ことば」に例える部分も、難解です。
  「超・・・」という表現は、使用頻度が低ければ、"しゃれている" かしら?   ここは、原文では「ain't」。am [are, is] not などの非標準的用法です。そんなの日本語にはないので、これも単一の語を対応させずに、意味を説明した方が、子どもたちにもイメージしやすいと思います。


  思うに. . .  vulgar (俗悪な、下品な、低級な)という単語を、「くどい」と訳出するのは、ここでは、おしとやか過ぎるような. . . 。
  オリンスキーは、マーガレットのことを、優秀な人だと思っています。彼女のことを好きだし尊敬もしている。けれど、そのマーガレットが、再婚し、家族に囲まれて幸せそうにしているのを見て、我慢ができなくなります。― 彼女の服の趣味はよくない、なんて派手で品のないこと、最低だわ、と。 色彩はそうした気持ちの象徴です。
  それに、自制心の強い女性が、めずらしく心を乱して爆発寸前のときに、「お行儀のよさをくずしそう」などと言われては、気の毒です。


 ― 新婚ほやほやのダイヤモンドスタイン夫人は、ジョギングスーツを着ていた。ターコイズ一色の運動着だ。ターコイズ! トルコ石のまばゆい水色!   オリンスキーは、ターコイズという色を、きわめて濃いピンクやきわめて明るい黄緑と同じ「くだけた言葉づかい」のようなものだと考えてきた。ほんの少しならお洒落だけれど、たくさん使っては下品になる。 ・・・
  気持ちを抑えておくことも、いつもの礼儀正しさを保つことも、できなくなっていった。機能停止。・・・  (Y)


  オリンスキー先生のこの痛いような感情はやがて氷解します。このシーンの危うい感じが伝わっていればいるほど、のちに彼女に訪れる「平和」が、読み手にとっても忘れがたい素敵な経験になると思います。


  ついでに。^^
  Diamondstein は、ディアモンドスタインと訳されていますが、これは、"赤毛がきらきら美しい"ナディアや、彼女の明るく輝く目をした祖父イジーの姓であり、そして、イジーの再婚相手、"派手なお婆ちゃん"マーガレットの姓にもなる名前なので、「ダイヤモンドスタイン」にできたらいいな。本のあちこちに、キラキラちりばめられている宝石. . . 。 なんちゃって。^^




* 4人の子どもの話と1人の大人の話が、それぞれ色の違う糸のようにからまって、ついには美しいタペストリーを織り上げていく・・・そういう構成の物語よね。

* 岩波はせっかくカニグズバーグの秀作は全部出そうとしてくれているのだから、もっとていねいに本をつくってほしいな。お願いしますよ、ほんとに。


  ほんとうに。
  金の糸、銀の糸、色とりどりの美しい糸で、こまやかに織り上げられたタペストリーです。
  日本語でも、どうか色褪せずに、あたたかな手触りのままで. . . 。


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Yummy's Attic


  日本語版の『ティーパーティーの謎』は、気になることがあまりにも多く、何から手をつけていいのか途方に暮れていました。そんな私に、方向を示し、示唆を与えてくださった 「子どもの本で言いたい放題」の、愁童・ねむりねずみ・オカリナ・トチ・裕・ウェンディ・紙魚の皆さんに、心から感謝します。 ― やみぃ


参考ノート1  ―  ノアの陳述:

* どう考えてみても、おじいちゃんとおばあちゃんに礼を返さなくちゃならない義理はどこにもないよ、とぼくはお母さんに言った。それから、真相を詳しく話した。実はね、ぼくは客として泊めてもらったわけじゃない。ぼくは家族の一員だ。しかも実はね、自分で選んで泊まりにいったわけでもない。しかも実はね、お母さんはエピファニーの住宅を世界でいちばん多く売ったということでクルーズ旅行をもらったんだけど、そのせいでぼくはおばあちゃんちに行かされたんだから。お母さんが、夫つまりお父さんとじゃなくて、ぼくとジョイといっしょにクルーズに出かけてたとしたら、とにかくフロリダに行かされることはなかったんだ。しかも実はね、感謝する義理があるのはお母さんであって、ぼくじゃない。しかも実はね、泊まってたあいだすごくてきぱきとあれこれ手伝ってあげたんだから、おじいちゃんとおばあちゃんたちこそ、ぼくに礼状をだしたいと思っているはずなんだ。(P.12)


"with all due respect" は、失礼ながら(ご説はごもっともですが、僭越ながら)言わせていただきます、など. . .  不賛成や批判を切り出すときの表現ではないかと. . . 。
 Fact: は、やっぱり、「実はね」よりも、「事実: ──」って感じだと思います。


〈原文〉
  I told her that, with all due respect, I did not think I owed Grandma and Grandpa a B & B. And then I stated my case. Fact: I was not just a houseguest, I was family, and fact: I had not been their houseguest by choice because fact: She had sent me to them because she had won a cruise for selling more houses in Epiphany than anyone else in the world and if she had shared her cruise with Joey and me instead of with her husband, my father, I would not have been sent to Florida in the first place and fact: She, not me, owed them thanks, and further fact: I had been such a wonderful help while I was there that Grandma and Grandpa would probably want to write me a B & B. (P.5)
  ぼくは、母さんに、お言葉を返すようで申し訳ないけど、おばあちゃんとおじいちゃんにお礼を言うような義理は、ぼくにはないと思う、と言った。それから、ぼくの言い分を明らかにした。
  ― 事実:  ぼくは、ただの泊まり客じゃなかった。家族の一員だ。 さらに、事実:  ぼくが好きこのんで泊まりに行ったわけじゃない。なぜなら、事実:  母さんが、世界中の誰よりも多くエピファニィの住宅を売ってクルーズ旅行を勝ちとったから、ぼくは二人のところへやられたんだ。それに、もしも母さんが、彼女の夫、つまり父さんとではなく、ジョーイやぼくと一緒にクルーズへ出かけていたら、ぼくは、そもそもフロリダへ行くことなんてなかった。だから、事実: 二人に感謝しなければならないのは、母さんであって、ぼくじゃない。それに、さらなる事実: ぼくは、あっちにいるあいだ、それはもう素晴らしく役に立っていたんだから、おばあちゃんとおじいちゃんこそ、ぼくにお礼状を書きたいんじゃないかな。 ― (Y)

ノアは、ここではこのように主張していますが、のちに "祖母父" に宛て、素敵な手紙を書きます。 とてもあたたかな物語. . . 。 ^^


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