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カニグズバーグ作品を透して
< 「A Letter to E.L. KONIGSBURG」より抜粋、意訳 >
カニグズバーグへの手紙
2003年8月12日
(8/13 NYの出版社 Simon & Schuster 宛てに郵送。)
E.L. カニグズバーグ様
こんにちは、ミセス・カニグズバーグ。 (短い自己紹介)
初めてあなたの物語に出逢ったのは11歳のときでした。すぐにジェニファは私の親友になりました。アンネ・フランクが彼女の日記をキティに宛てたように、私はジェニファに宛てて日記を書いたのです。そして、メトロポリタン美術館(*『クローディアの秘密』の舞台)は、探検してみたい場所の一つになりました。ほんとうに素敵な経験でした。
3作目以降のご著書はすべてオリジナルの英語版で読んでいます。
私はあなたの本の中にいつでも「私」を見つけます。私の中にいる子どもの私だけでなく、大人としての私も. . . 。 (中略)
3年前に乳がんと診断されてから、私はバーナデットとエレアノールのことをよく考えます。彼女たちの世界に対する毅然とした態度が私を勇気づけます。タルーラは、いつも私に言います。「人前で不平を言わなければならない時には、おもしろ可笑しくするか、不作法なほど激しくするか、どちらかになさいね」と。私はそうしています。仕事場で、病院で、その必要のあるときには、どこででも。
あなたに感謝のお手紙を書くことを、子どもの頃から夢見てきました。
ミセス・カニグズバーグ、ありがとう。
実は、ご著書の翻訳についてお話したいと思います。私はこのことをお伝えするかどうか数ヶ月迷いました。そして、岩波書店の最近の翻訳が良くないということを、あなたが知っているべきだと判断しました。ご著書の日本語版はまだなお魅力的であり、読者から愛されています。でも、それはオリジナルの素晴らしさによるものです。私は翻訳に対する訂正要請の手紙を出版社に送ることにしました。
このようなお話をすることを残念に思います。どうかあなたの物語を大切に思っていることをご理解くださいね。以下、ことのいきさつと私見を説明します。
この2月、私はご著書の日本語版を3冊買い求めました。姪の誕生日のプレゼントにするつもりでした。彼女がサブリナやイーサンのことを好きになるに違いないと思ったのです。
あとで姪とオシャベリができるようにと、届いた本に目を通してみました。
『ティーパーティーの謎』(岩波少年文庫)を読みながら、私はめまいを感じました。解りにくいものだったのです。何度もオリジナルを読みストーリーを完全に知っている、読書好きの大人の私にさえ。
その解りにくさは、難解な言葉によるものではなく、曖昧でぎこちない言葉や文、まわりくどい構文、そして奇妙な文法によって生じたものです。彼らは、難しい単語を避け、すべてをあまりにも平易にします。あたかも、あなたの物語が日本の子どもたちの読解能力を越えているとでも言わんばかりに。同様に不必要な脚色がされています。そのために、あなたの明瞭な論理が日本語版ではぼやけています。文中には矛盾さえ見受けられます。
さらに、数年後には消えてしまうような流行り言葉も使われています。私はこのことにも反対です。あなたの物語は、世代から世代へと受け継がれるべきものですから。
私は思いました。" 日本の出版界で何が起きているんだろう? . . . 岩波は一流のはずなのに. . . 子どもたちに対する敬意を失ってしまったのかしら? "
すぐに『エリコの丘から』 と『800番への旅』も読んでみました。『ティーパーティーの謎』と同じく、いずれの本も姪には贈りたくないと感じました。
その印象を確かめるために、私は松永ふみ子さんの邦訳を読み直し、今は絶版になっている岡本浜江さんの2冊も入手して読みました。講演集の「トーク・トーク」 (カニグズバーグ作品集 別巻)も取り寄せました。私はこれらすべての本を二度以上、母国語で精読しました。
松永さんの日本語版はとても美しく、岡本さんのものは少し硬いけれど上品です。そして懸念したとおり. . . 私は、新しい邦訳を受け入れるべきではないと結論しました。
あなたの作品は、子どもたち― とくに、論理的に思考し、感受性が強く、言葉の定義を明確にしたがり、矛盾が嫌いで、すべての約束をシリアスに受けとめ、そして、あなたの愛らしい主人公たちのように、自分のことをアウトサイダーだと見なしているかもしれない子どもたち― によって必要とされています。けれど、そうした子どもたちは、最近の日本語版に共感することはできないと思います。
ミセス・カニグズバーグ、恐ろしいことばかり、ごめんなさい。とくに岩波書店の翻訳や編集担当の皆さんがあなたの良いお友だちだとしたら、失礼をお許しください。私はすべての点において彼らを非難するつもりはありません。きっと日本の出版業界自体が大きな問題を抱えているのだろうと思っています。
私は翻訳というのが、非常に繊細な仕事だと承知しています。そしてその良し悪しを見分けることもまたデリケートなことであり、それがしばしば趣味の問題であるということも承知しています。(けれど念のために、添付の書類にいくつかの例を記載しておきます。)
この手紙では、岩波書店の「本」に対する姿勢について二つお話したいと思います。
1. 翻訳者の小島希里さんは、『800番への旅』のあとがきの中で、トリーナ・ローズとウッディについてこう書いています。
あんなに嘘っぽいところのない人たちは、なかなかみつかりそうにない。幼い読者に向かって、どうしたら、こんなことが言えるのでしょう?
もしかしたら、本という「真実を伝えるうそ」のなかだからこそ、
あれほどまで魅力的な人物に遭遇できるのかもしれない。
たとえ、もし不幸にして、子どもたちの周りに「それほどまでに魅力的な人物」がいなかったとしても、彼らは今、トリーナとウッディを獲得しました。心の中でいつでも優しく寄り添ってくれる人たちを。その子たちはやがて「実在する」トリーナやウッディを見つけます。そして彼らのうちの何人かは必ず、トリーナやウッディのような人に成長することでしょう。
2. 「トーク・トーク 」の中で、あなたは、'brisket' について触れていらしゃいました。(政治的公正さ-political correctness- を求める人々によって、古典文学が書き換えられることに反対して)このパラグラフを読んで、私は祖母のおはぎ(日本の伝統的な餅菓子)の味を思い出しました。あなたが、ブリスケット(肉料理)をユダヤの人々が子孫に伝えるべき文化的遺産の一つだとお考えだということが解りました。
グリム兄弟によって書かれた「赤ずきん」が、どんなに政治的に間違っていて、性的で、恐ろしい物語だとしても、それは私の過去の一部であり、子どもたちの過去の一部であり、そして、数年のうちには、孫たちの過去の一部になるべきものだと思っています。後世に伝えたい文化というものがあります。その中で、「赤ずきん」は、私のブリスケット料理の作り方のように大切な、なくてはならないものなのです。
"Little Red Riding Hood," as written by the Brothers Grimm--politically incorrect, sexy, and scary--is part of my past and my children's past and in a few years I expect it to be part of my grandchildren's past. It is as integral to the culture I want to pass down as how I make my brisket. ("TalkTalk" - P. 167)
けれど、この部分の日本語訳を読んだとき、私は息ができませんでした。
以下は、清水真砂子さんの翻訳です。
・・・ そして、やがて生まれてくる孫たちの過去の一部となるはずです。それは私が伝えていきたい文化にとって、どうやって自分が胸をつくるかと同じくらい、大切な、なくてはならないものなのです。(『トーク・トーク』 P. 273)'brisket' が '胸' と訳されています。胸はbreastやchestやbustを意味します。そして、この「胸をつくる」というフレーズは日本語では全く意味をなしません。私たちはそのような表現を持ちません。ですから誰一人としてあなたが何を言いたいのか理解しません。(あ、私たち乳がんの仲間は、ここにも意味を感じ取るかもしれませんけれど。)
とにかく、私はこの誤謬をほんとうに口惜しく思います。
エディターはどこにいますか? プルーフリーダーはどこにいますか?
今の時代、海の上に遠く離れてぽつんとある島の住人だって、あなたのブリスケットが何を意味するか、知りたいとさえ思えば調べることはできるでしょうに。でも、誰にでも間違いはありますね。ですから、それが単なる誤訳であれば、私はさほど気にかけなかったと思います。もしも、彼らが、'胸' の代わりに 'リブ' (rib)を使ってくれたら、私たちは当て推量したり誤解することもできたでしょう。「ああ、そうね、カニグズバーグの作品は、神様の手によって彼女のあばら骨から生まれる! 」とか、「わあ、彼女は編み物をするんだ、きっと家宝みたいに継がれてきた固有のパターンのリブ編みなのね?」と。
けれど、そのフレーズは、無意味なまま残されました。
彼らがそのように失敗したことに、私は深く失望します。
腹立たしい、というよりいっそ悲しい。 ― どれくらいの数の人々が、これらの本の日本語版を出版するプロジェクトに参加していたのだろう。彼らの言葉への愛はどこへ行ったの? 文化を尊重する気はないの? 一体全体、どうなってしまうの? ―
ほんとうに泣き出したい気持ちです。でも涙は流さずにおきます。私には引き受けるべきことが、ええ、当然しなければいけない仕事がありますから。そう、あなたの本を日本の子どもたちにきちんと届けること。
ミセス・カニグズバーグ、私は岩波書店に文書を送ります。あなたの原作に忠実な翻訳を要請します。あなたの作品には最高の質をもった日本語がふさわしい。そしてその原稿は、二カ国語に堪能な複数の優秀な校正者によってチェックされるべきものです。
私は文学や言語の専門家ではないので、出版社は私のことをはねつけるかもしれません。そのような時には、友人やあなたの作品を大切に思う人たちにも頼んで、このキャンペーンに加わってもらおうと思っています。
出版社が、すぐに全体の修正をすることができるかどうかは分かりませんが、少なくとも、いくつかの決定的な間違いは訂正されると思います。私は自分に残された日々をこの計画にくっついて過ごそうと思います。あなたの本を必要としている大勢の子がいます。そして、それは遠い未来の子どもたちにも引き継いでいかなければなりません。
あなたは以前アンネ・フランクについてお話になりましたね。
「彼女は、多くの子どもたちが、子ども時代の面影のマスクを形づくるのを手伝い続けてきたのです。*注1 」 と。
あなたも同じ。 あなたは私たちのアンネ・フランクです。子どもたちが自らの"生"を豊かにしていくのを、ずっと手伝ってくださっています。そしてそれは続きます。これからも、ずっと . . 。
ミセス・カニグズバーグ、もう一度、ほんとうにありがとう。
愛を込めて、シャローム
やみぃ (Yumi Shibuya)
Examples
注1:
「愛のゆくえ」(TalkTalk) のページでは、同じ箇所をもう少し意味の通じそうな試訳にしてみました。
She has helped many children shape the masks of the ghosts of their childhood.
「アンネは、多くの子どもたちをずっと手伝い続けてきたんですもの。 ― その子の幽霊 が大人になっても仮面をつけて棲息していけるように。」
'ghost' の訳が私にはとても難しい、です。 "TalkTalk" の8章ぜんぶをご紹介できるといいのですが.
. . 。 ゴースト ― 「面影」というよりは、子どもの「心」や「存在」そのものだから、精神、たましい、霊、精神的実体とかかな?
でも、'spirit'や'soul' ではなく'ghost'なんです。 確かに在るんだけれど、少しさまよっているような感じ.
. . 。 さんざん考えて、そのまま「幽霊」にしちゃいましたが、皆さんだったら、どんな日本語になさいますか?
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