論理哲学論考 1-7 5.1-5.6 5.11-5.15
      
5.13 或る文の真理性が他の諸文の真理性から帰結することを、我々はそれらの文が成す構造から見て取る。
5.131 或る文の真理性が他の諸文の真理性から帰結するならば、そのことは、それらの文の形式が互いに対して立っている諸関係を通じて自ずと現われる。しかも、我々は、それらの文を結び合わせてひとつの文にすることによって、それらの形式をあらためて当の諸関係に据えるには及ばない。それらの関係は内的であり、当の諸文が存立するや否や、そしてそのことによって、存立する。 〔5.1311
5.132 pq から帰結するならば、私は q から p を推論することができる。q から p を導出することが。
その推論の方法はもっぱら両文から察知され得る。
ただそれらの文自体だけが当の推論を正当化することができる。
推論全般を正当化するとされる――フレーゲとラッセルのもとでのように――「推論法則」などというものは無意味〔sinnlos〕であり、そして無用だろう。
5.133 総ての導出はアプリオリにおこなわれる。
5.134 ひとつの基本的文からは、他のどんな基本的文も導出され得ない。
5.135 何か或る状況の存立から、それとは全く異なる何らかの状況の存立が推論されることなど、到底あり得ない。
5.136 そうした推論を正当化するような因果連鎖なるものは存在しない。 〔5.1361-5.1363