六地蔵第六番
 高野山真言宗  大栄山  永代寺
  
                    えいたいじ

  (現在像は残っていない)
江戸名所図絵 富岡八幡宮
中央下段に「二の鳥居」と「表門」がある。これを入って右側(上図中央)に「六地蔵」がある。この部分は八幡宮の前庭に当たる。
同上その二
上の図の左に続くもの。左中央が「本社」(富岡八幡宮の本殿)である。
同上その三
その二の左に続くもの。中央下段が富岡八幡宮の別当寺「永代寺」。中央全面が庭園のようである。
永代寺

永代寺は寛永4年(1627)に富岡八幡宮別当永代寺として、長盛上人によって永代島に創建されました。当寺の永代島は、隅田川河口にあった60508坪の砂州で、そのうち22193余坪が寺社地でありました。現在の深川公園あたりは永代寺の庭園があったところで、普段は一般の人には公開されておりませんでしたが、毎年3月21日からの7日間は弘法大師の御影供が行なわれ、その間には「山開き」と称し庭園が公開され、藤や牡丹の花美しく、一般市民や文人墨人で大いに賑わい、その様子は江戸名所図絵にも描かれております。
正徳2年(1712)深川地蔵坊正元の勧進によって江戸六地蔵の最後の一体が当寺に造立されました。(明治元年に壊される。)
明治元年(1868)の神仏分離令を契機に行なわれた廃仏毀釈により廃寺となりましたが、明治29年(1869)に、永代寺塔頭であった吉祥院が永代寺の名称を継いで現在に至ります。
         
永代寺縁起
江戸期の永代寺
現在の永代寺の位置
現在の永代寺
永代寺の地蔵尊像は「千葉街道を守護する」と真性寺のパンフレットにあるが、千葉街道とはずいぶん離れている。霊巌寺、永代寺は江戸の東方に向けて守護する地蔵尊として人々の集まるお寺に設置されたのではなかろうか。

話は六地蔵から離れる。現在永代寺の近くに「門前仲町」という地名がある。地下鉄の駅、交差点にも同様の名称があり、通称「もんなか」と呼ばれている繁華街である。これに関し日本地名大系、東京都の地名に次のような記載がある。
「永代寺門前仲町。寛永4年(1627)八幡宮別当永代寺が創建とともに幕府より与えられた拝領地。(中略)明治元年(1868)深川富岡門前仲町と改称」
従って、廃仏毀釈によって永代寺門前仲町は八幡宮の門前仲町になったのである。明治の廃仏毀釈では全国の非常に多くの寺院が廃寺となった。寺が廃寺になり、地名まで変わった例がここにある。

2003/02