HOME > ELK をめぐる冒険 > 薔薇の窓から > 沈黙の向こうへ

参考文献: 『13歳の沈黙』 (岩波書店 2002年9月 第3刷) 原作:"Silent to the Bone " 2000年
"The Outcasts of 19 Schuyler Place" 2004年 2月初版 ペーパーバック版


* * *
薔薇の窓から、沈黙の向こうへ 1



 * 2004年2月8日、友人の A (エース)と、会いました。
彼女は、昨年の暮れから、カニグズバーグ作品の邦訳を6冊も読んでくれたのだそうです。
「英語を読まない人間の感想も役に立つかもしれない、と思って読み始めたら、楽しくて次々 . . . 」と。
5時間ほどのオシャベリの中から、おもに、『13歳の沈黙』("Silent to the Bone ") と、
新作 の"The Outcasts of 19 Schuyler Place" についてお届けします。  ― Y(やみぃ)


e.l. konigsburg

"The Outcasts of 19 Schuyler Place"
ペーパーバック版



A: 今回のことは、やはり日本語の問題だと思う。
  たまたま海外の文学だったから、「翻訳が」ということになっているけれど、日本語として稚拙なんだもの。読んでいて恥ずかしくなったわ。 編集者は何してたのかしら。キャラクター設定や関係性も混濁してるし、そもそも、・・・(略)・・・。
  そうね、OK。邦訳については、岩波書店さんに十全な改訂版を期待しましょう。私だってやぶさかではないのよ。でも、改訂が必要だと認めたものを、売り続けるなんて、間違ってる。・・・ OK。今日は、できるだけ、「原文ではどうなのか」と感じたことを訊くことにする。その前に二つだけ。
  まず、カニグズバーグは素晴らしい。だって、

*  ブランウェルは自転車に乗ると、ズボンのすそがチェーンにはさまってしまう。( P.22)
*  でも、お父さんのティナの愛し方は、ちがうんだ。男の女の愛し方は、父親の息子の愛し方とは、ちがうんだよ。(P. 79 )

といった文章? に苛々しながらも、読み通せるんだもの、原作の力はいかほどかと思うわ。天才的なストーリー・テラー。児童書の棚にだけ置くのは勿体ない。
  で、古い作品は皆にすすめてる。ただ、「子どもの本は平仮名が多いから、読みにくい」っていう人がけっこう多いんだ。大人がいかに視覚に頼って読んでいるか、よね?  「音読と黙読の違い」とも通じそう。これが二つ目ね。漢字を拾って文をかたまりとして読める人には、妨げにならない類の間違いっていうのもあるんだと思う。
  家にある絵本をひっくり返して見直したんだけど、翻訳ものも、総じて日本語がきれい。絵本は、声に出して読まれることを前提に作られているからか、とも思ったり、いろいろ考える良い機会だった。
  あなたは、12世紀へ旅してたのよね?


Y: それが、行く先、1983年になっちゃった。この本が、届いて . . . 。
       ―  "The Outcasts of 19 Schuyler Place"  ―
                (附記: 2004.11.25  『スカイラー通り19番地』 として日本語版が出版されました。金原瑞人訳/ 岩波書店刊)


A:
うわ、きれい。すてきな表紙。 でも、これ、ちょっと反則じゃない? 表紙だけで買っちゃう人、いるわよ。(笑)
  この絵も、カニグズバーグ自身が?


Y: 描いてるの〜!  
  「今回のジャケットは、こうなって欲しいと思った通りにすべてが仕上がって、とても嬉しい」って。  で、「いつもそうなるとは限らない」って. . . 。^^ ジャケット写真大 (19KB)


A: ああ。そうでしょうね。絵心のある人だと余計に。 で、中味も?


Y: 美しい。絵画のよう. . . 音楽のよう. . . ううん、この薔薇の花のよう、かな?  ローズという言葉が、幾重もの意味を持っているし。とにかく「美しい」という以外ないような物語。代表作になると思う。


A: ヴィンテージ・カニグズバーグ?


Y: うん。本を抱きしめたくなっちゃう。ほんとうに嬉しい。
  どの作品も好きだから、「どれが一番いいか? 」って訊かれる度に困っていたんだけど、これからは、「たとえば、19番地」って言おうかと思うくらい。

〈 あらすじ 〉
1983年の夏、両親の旅行中に、サマー・キャンプに参加した12歳のマーガレット・ローズ・ケインは、同室になった少女たちからひどい嫌がらせを受け、・・・(中略)・・・。
やがて、マーガレットの願いどおり、大叔父のアレックスが彼女を救い出しにやって来る。
大好きなモリスとアレックスの兄弟のもとで、残りの休みを過ごせることになったマーガレットは大喜び。大叔父たちの屋敷の裏庭には、二人が40年以上かけて作り続けている三つの「塔」があり、マーガレットはその仕事を手伝うことを楽しみにしていた。
けれど、その夏、スカイラー通り19番地の三つの塔は、地域の再開発の名のもとに、取り壊されようとしていたのだった。
マーガレットは、かけがえのない大切なものを守ることを決心し、・・・(後略)。

というようなお話で、「塔」が歌うの♪


A: ふーむ。普通に言うと、三つの塔は、美しいもの、歴史、芸術、時間、想い出などの象徴であり、ってとこかしら。(笑)  読みたいな。 また風変わりな人々が登場するの?  まずは、叔父さんたちかな?


Y: そう。モリスとアレックスは、マーガレットの母方の祖母の弟なんだけど、この二人が、何とも味のある古くて豊かな人たちで、会話=兄弟げんかが、すごーく可笑しいの。二人の母国、ハンガリーの言葉や風習があちこちに出てくるのも嬉しいし。ヨー・ レッゲルト(おはよう)、ケセネム・セーペン(ありがとう)とか、子どもたちにもいい感じに響くだろうなぁ . . . 。


A: 好きだったものね。テクマクマヤコンとか、カリフラジリスティックエクスピアリドーシャスとか。


Y: こんどのお話にも、嫌なヤツだけど気持ちは分かるぞ、という人も含めて、魅力的な登場人物がいっぱい。
  それとね、マーガレットが恋をするの。その様子が、もう、胸がきゅんとするくらいに、淡いけど鮮明で、「彼の名前を声に出せて嬉しかった」なんて . . . 。 11歳の時に、読みたかったって、本気で思っちゃった。マーガレットの絹糸みたいな想いに、ノートルダム寺院の薔薇窓の描写なんかも重なって、それは、それはきれい. . . 。


A: これは、これは。(笑)  ほかに、心に残ったシーンや言葉は?


Y: 数え切れないけど、まず、rose rose (薔薇色のバラ)という言葉かな。
  色の名前、植物や鳥の名前、地名、数字、すべてに意味があって、それぞれが繋がっていく . . . 。
  アレックス叔父さんが、「無駄に過ごした時間には、たいてい意味があるものですな。」なんて言って、教条主義のおばさんを煙に巻くところが楽しい。
  アーティスト(創作する人)たちの、認められなくても、馬鹿にされても、「ただ作りたいから作る、好きだから、そうしないと生きていけないから」っていう感じも、痛いほどリアルで、素敵だし。

  便利屋(雑用係)のジェイクが、「塔が話しかけてくるんだよ。言葉はエキゾチックだけど、その文字は懐かしい。塔の言ってることが、ぼくにはわかる。」と言って、絵を描きたいって思うの。そのシーンも好き。
  あと、叔父さんが 「(過去は変えられないけれど、) たった一人の選んだことが未来の歴史を変えることもあるさ。その誰かさんが、大人じゃなくて、運転免許やクレジットカードを持っていないとしてもな。」って言って、マーガレットは、その言葉に、ジャンヌ・ダルクとアンネ・フランクを思うの。そして、一大決心をする。私、思わず握りこぶししちゃった。Yes! Yes!


A: また、アンネに逢えて嬉しいんでしょ。(笑)
  薔薇色のバラ . . . 。そういえば、『800番への旅』の歌手のトリーナも、ローズ という姓だった。あ、『13歳の沈黙』のピザ屋の兄ちゃんも、モリスよね!  文字や音で、あまたを連想させる。


Y: 二度目は辞書を引きながら読んだんだけど、なぜだろう、パウル・ツェラン〈* 1〉の 『誰でもない者の薔薇』っていう詩が浮かんできたの。

" ぼくらは かつて 無であり 今なお無であり 将来も 無のままであるだろう
  花咲きながら ― 無の だれでもない者のばら . . . "



A: ハッピー・エンディングなの?


Y: だと思う。やるせなさに希望が混じったようなハッピーだけど、やさしくて深い余韻が残るから. . . 。


A: どの作品も、「そして幸せに暮らしましたとさ」ではないものね。「がんばって、そのままで大きくなるのよ。大人になるのは、素敵だからね」って、声を掛けたくなるような子ばかり。


Y: 『19番地』では、美術館で働くピーターが、マーガレットに同じことを言う〜。(笑)
  「大人になるのは、いいよ。迷路の中を進みながらでも、大人になる価値はある」って。


A: ますます読みたい。『13歳の沈黙』で主人公の男の子たちを応援するマーガレットが、12歳だった頃の物語でしょ。『13歳の沈黙』の続編と考えていいの?


Y: ううん。それぞれ独立した物語だと思う。どちらも見事に完結しているから。だけど、二つを読むと、やさしい気持ちが循環していることが、小さな子どもたちにも、わかるような、仕掛けのような . . . かな?


A: 了解、です。私は、この作家の辛口なところにも魅力を感じるのだけれど、その辺りは?


Y: 満載、です。辛辣なところは思いっきり辛辣だし、物語自体が世の中に対する抗議って感じでもあるし。でも、二人の大叔父さんのゆったりとした言動や、マーガレットの「誇り高き小さな姫様」っていう雰囲気が、作品全体をエレガントにしていると思う。犬のタルトゥーフォ(イタリア語で、「トリュフ」の意)の存在も大きいな。愛嬌があって。

ハラペーニョ They grew in shapes from bell to cornucopia.
スカイラー通り19番地の庭で、モリスおじさんが栽培している唐辛子の一種



Y:   いずれ日本語版になることを考えながら読むと、ハラハラする箇所も多いの。現行訳では、「馬鹿」という言葉さえ使うの自粛されているみたいでしょう。そのせいで、ストーリーが余計に解りにくくなってる . . . 。
  今度のお話にも、たとえば、「彼は、アスペルガー障害 〈Asperger's disorder〉のような自閉症か、脆弱X症候群みたいな知恵遅れ〈mentally retarded〉のように見えた。」とか、「(トラブルに巻き込まれないために)一番楽な方法は、植物と鉱物のあいだくらいの知能指数〈IQ〉の持ち主、というふりをすることだった。」とかあって、Idiot や Stupid も何度も出てくるし。


A: カニグズバーグは、作品に必要だと思えば、どんな言葉だってサクサク使うのよ。ノーマライズできてるから。日本語では今、「等生化」とか言うんだっけ?  とにかく、この作家の文章はサクサク訳してほしい。
  それに、言葉狩りからは何も生まれない。新たな表現を考え出しても、それを汚す意識が消えない限り、ただ言い換えが続くだけでしょ。


Y: 英語でも、"mentally retarded" が差別的と言われて、"mentally handicapped" になって、それもすぐにバツになって、今は、"mentally challenged" 。実は私、「知恵遅れ」より、「知的障害のある」とか「精神遅滞の」って言う方が楽な気がした。けど、カニグズバーグが、"mentally retarded" を使うことを選択している以上、やっぱり気合い入れなくちゃ、と思って。


A: カニグズバーグって、人に対しても言葉に対しても誠実なんだと思う。律儀というか。だから楽しいのよね。不真面目な人がいくら遊んだところで、ウイットやユーモアは生まれない。


Y: うん。『19番地』にも、ユーモアいっぱい。言葉あそびも。
  マーガレットは、We と I の違いに、終始こだわるんだけど、そのことが随所に生かされてて、あと、「反抗する」と「服従しない」の違いの話から、思いつくまま言っていくところとか、すごーく可笑しい。  (P. 46)

anesthetic は、感覚がない― anonymous は、名前がない― anorexia は、食欲がない―
anemia  は、血がない― Anne Boleyn は、首がない ―

"Anne Boleyn(アン・ブリン), without a head."  だなんて、ほんとに可愛いくって . . . 。



A: かわいい?  恐いでしょ、これは。アン・ブリンって、ヘンリー8世に不義の罪をでっちあげられて処刑された王妃よ。斬首よ、斬首!  
  それにしても巧いな。音と意味と。知ってる子は喜ぶに決まってるし、知らない子も、アン・ブリンって誰? って、知りたくなるでしょうね。


Y: 時々ね、カニグズバーグって、WWWみたいだと思う。インターネット以前から、ワールドワイドだなって。リンク、リンク、リンク。言葉によるイメージのさせ方もだけど、このことが気になったら、ここを覗いてみてね、という「扉」がたくさん用意されていて。まるで、「この扉の向こうのものは、私たち人類の共有財産なのよ。」とでも言ってるみたい. . . 。
  今度の作品も、メルヴィルの『書記バートルビー』〈* 2〉という小説が背景の一つになってるの。テニソンの言葉が引用されていたり、クリストのランニング・フェンスや、マイケル・ジャクソンのスリラーも出てくる。


A: 2004年出版の本に、マイケル・ジャクソン?  そう . . . 。 凄いわね、カニグズバーグって . . . 。 で、『バートルビー』か、深いな。
  あら?  じゃあ、『13歳の沈黙』に出てきた本も、あり?

*  ・・・体じゅう麻痺しているのに、左目だけはまばたきすることができるという、あるフランス人が最近「書いた」本だった。ぼくは今でもその題名を覚えているけれど、それはその本がとても変わった題名だったからだ。『飛びこむ鈴と蝶々』。この男性は(ボービーという名だった)、友人にアルファベットを読みあげてもらい、自分が必要な文字になると、左目をまばたいて、この本一冊を書きあげたのだった。 (P.29-30)

  なんちゅう日本語でしょ、は、もう言わない約束でした。で、この『飛びこむ鈴と蝶々』も、実在の本なの?


Y: うん。"The Diving Bell and the Butterfly" という1997年のベストセラー。 邦訳は、『潜水服は蝶の夢を見る』('98)、講談社から。
  著者のジャン=ドミニック・ボービーは、仏のファッション誌 ELLEの編集長だった人で、1996年脳梗塞によるLocked-in症候群で運動機能を完全に失うの。唯一動かせる左瞼で、意思の疎通をはかりながら書きあげた手記が、この本。
  「からだは、巨大な潜水服(diving bell)を着たように動かないけれど、私の心は、夢や想い出の中を、蝶のように飛翔している」という言葉が、タイトルにもなっていて。〈* 3

  ジャンは、ほんとうに強くて、しなやかな心の持ち主だった。「美しい魂」とか「尊厳」とか「癒す」という言葉を、軽々しく使うのはやめよう、って思ったよ。私も、どんなことがあっても、心はジャンのようでありたい . . . 。
  なーんて、カニグズバーグが「扉」にしている本だもの、素敵に決まってるね。
  あー、『バートルビー』も読みたいなぁ。こういう時は、速読のできる人が羨ましい。あたしって時間のロスばかり. . . 。(泣)


A: 「無駄に過ごした時間には、たいてい意味があるものですな。」でしょ?
  ついでに『13歳の沈黙』のこと、もう少し教えて。12歳のマーガレットが27歳になっているのよね。
  バック・トゥ・ザ・フューチャーみたい。(笑)


15年後。次のページ : 沈黙の向こうへ




I thought about Joan of Arc (but not her fate) and Anne Frank (but not her fate either).
As soon as I had a plan, I was ready to change history.


* * *


もとの場所へもとの場所へ


* パウル・ツェラン Paul Celan (1920-1970)
詩人。旧ルーマニア生まれ、ユダヤ系ドイツ人。第二次大戦中、両親を亡くした強制収容所を生き延び、ドイツ語の教師としてパリに定住。'70年春、セーヌ川に入水自殺。 ツェランの本名はAncelで、ペンネームではanとcelを逆にしているそう。詩集に「骨壷の砂」「罌粟と記憶」「ことばの格子」など。

*  メルヴィルの 『書記バートルビー』 (代書人バートルビー)の原文は、その名もBartleby. com で読むことができます。→ Melville, Bartleby, the Scrivener
  マーガレットは、バートルビーのように、"I prefer not to" "I would prefer not to." (できたら、したくないんですけど. . . 、私、気が進みません)と言い続けます。
  松永太郎 さんは、この "I would prefer not to." を、「"好みませんの"って感じかな? 」と言ってらっしゃいました。^^

*  "The Diving Bell and the Butterfly" ('97)
邦題: 『潜水服は蝶の夢を見る』(講談社 '98)
原著は、フランス語で、"Le Scaphandre Et Le Papillon" ('97)
scaphandreは重装備の潜水服の意。英語の潜水服diving suitは、スキューバ用の軽装のものまでを指すので、英訳ではdiving bell(潜水鐘・潜水器)という言葉が使われています。
ボービーのこのドキュメントは、ジャン=ジャック・ベネックス監督によって映画化されました。―『潜水服と蝶』(1977年)

次のページへ

もくじへ


HOME やみぃの屋根裏部屋へ
Yummy's Attic
* * *



HOME > ELK をめぐる冒険 > 薔薇の窓から > 沈黙の向こうへ