Tallulah says, "If you must complain in public, either be amusing or outrageous."
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8.  セクシーということ

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  物語の終盤、マックスの父親ウッディが、旧友のトリーナ・ローズに会うところは、私の大好きな場面の一つです。
  歌手のトリーナが、ウッディの飼っているラクダのアーメッドを「共演者」に選び、ラスベガスへ呼びました。 舞台でリハーサル中だったトリーナは、ウッディに気づき、太い両腕を広げ駆け寄ります。パラシュートのようなドレスを着て、はためきながら地面に落ちる大きな凧のように. . . 。

  その様子は、「ああ、私も懐かしい人に会えたら、こんな風に抱きつきたいなぁ」と思うほど。 会話も愉快です。ちょっぴりセクシーな挨拶から、ウッディを昔なじみとして好きだということ、男としても認めていることが伝わってきます。さすがはスター歌手♪

  ここは、私の解釈を先にお読みください。

*「ウッドロウ・スタッブス、ああ、懐かしい! 」トリーナは言った。「二度めの朝ごはん済ませたばかりでなきゃ、あんたのこと残さず食べちゃうのにな。 ねえ、短い毛の長い足のあいつも元気なの?  あら、もちろん、アーメッドのことを言ってるのよ。 深い意味じゃなくてね。」(Y)

"Woodrow Stubbs, you bloody old fart," she said. "If I hadn't just had my second breakfast, I would eat you right up. How's that short-haired long-legged beast of yours? I'm reffering to Ahmed of course. Nothing private intended." (P.108)


  そして次は、岩波版の同じ箇所です。

* 「ウッドロー・スタッブス、ずいぶん老けこんだじゃないの。二度目の朝ご飯たべてなかったら、あんたのことまるごと食べちゃうのに。ちょろちょろお毛けの、ひょろひょろ足の獣は、元気にしてるかい? もちろん、アーメッドのことだよ。男の大事な場所の話じゃないよ。」(P.165)

  あーあ. . . 。
  このoldは、先にも触れましたが、懐かしさや、親愛の情を表わすオールドです。
  そもそも、トリーナは、久しぶりに再会した友人に「ずいぶん老けこんだじゃないの」と言うような人ではないし、もしも言うとしたらそこには「お互いに」という意味合いが含まれるでしょう。
  とにかく、「老けこんだ → 食べたい」には、"かなり" 無理があるような. . . 。

  それに、お毛け、だって. . . うげげ。
  1) short-haired も  2) long-legged も、それぞれが、
  1) 〈動物が〉短毛の、2) 足の長い、または足の速い、という意味の形容詞です。
 「ちょろちょろお毛けの」と表現したかったら、作者はきっと別の言葉を使ったでしょう。

  また、最後の文の、private は、秘やかな、個人的な、非公式の、ということで、privates (陰部)とは違います。
  もちろん、暗示的ではあるけれど、それこそ深い意味ではないし、いちいち説明したら、この二人の関係 ―─互いのことを認め合い、ずっと友人であり続ける大人の男と女──が醸し出す甘い気分は失われてしまいます。
  この邦訳だと、ゴージャスな大歌手のトリーナも、「変なことをいう変なおばさん」としか映らないんじゃないかしら。

***


  カニグズバーグの文章を、こんな風に脚色してはいけない。(と思います)
  こうした言い換えは、たとえば「クイジナート」という商品名が出てきた時に、食品を切ったりつぶしたりして料理の下ごしらえをするための電化器具、と説明することとは異なります。

  忘れずにいたいのは、この部分は「大人どうしの会話」だということ。そして、作者は、それを子どもに向けて書いているということ。
  カニグズバーグは、児童文学の作家です。彼女の作品の主な読者は、英語圏の8歳から12歳の子どもたち。つまり、大人どうしの会話の意味が解らない子は、まだ解らなくていい。物語の理解に必要なことは、すべて作者によって丁寧に説明されています。

  それに、子どもたちは、何度も繰り返し読んでいるうちに、言葉の意味を咀嚼し自分のものにする力を持っています。もっと日本の若い読者のことも信頼していいと思うのですが. . . 。

  海外の「児童文学」を紹介することは、たとえばサリンジャーの小説を9歳児に分かるように書き直すこととは、まったく違うと思います。それは、もともと、子どもたちのものなのですから。^^


  それにしても、behind(おしり)も見せないのに、bloodyを 「くそったれ」にしたり、こういうほんの少しだけ性的な箇所はやたらに説明しちゃうのは、どうしてなんでしょう?

  「こう見えても、けっこう開放的で柔軟なんですよ」と、自由でさばけていると思われたいがために、誰にも受けないエッチな話をいきなり始めて、自らの窮屈さを一層際立たせる、そんな人々のことをふっと連想しました。
  セクシュアルな話って慣れない人がすると、なぜかひどく厭らしくなっちゃう。
  官能的な小説やピンク映画を、美しくエロティックに作れる人たちは、やはり情熱も覚悟も、そして当然だけど、卓越した技術も持っている. . . と、あらためて思います。


  さて、でぶっちょのイギリス人歌手トリーナの、「食べちゃいたい」発言の後には、こう続きます。

*Father laughed and hugged Trina Rose back.
. . .  . . 父さんは、声をたてて笑い、トリーナ・ローズを抱きしめ返した。


  二人は、昔なじみで親友で. . .  とても素敵な関係です。



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