Tallulah says, "If you must complain in public, either be amusing or outrageous."
HOME > ELK をめぐる冒険 > No.800-もくじ > その4 > Next


4. 迷宮 ―― ラビュリントス


** どうしてこんなことに? ― freak


  岩波少年文庫 『800番への旅』のカバーには、こう印刷されています。

〜 再婚する母親が旅行にでかけるあいだ、離婚した父親と商売道具のラクダのアーメッドとともに旅にでたマクシミリアン。行く先には、会うたびに名前のちがうリリーとサブリナ母娘など、「規格はずれ」の人びととの出会いがまっていた。〜

  どうしましょう!?  カバーのコピーと、中味が違う. . . 。
  リリーとサブリナは、「規格はずれ」ではないんです。この規格はずれの元の英語は、フリーク(freak:変種、奇人、奇形)で、もちろん、物語の中で「規格はずれ」は、美しく(ありのままに)描かれています。サブリナは「規格はずれ」な人々が好きだし、憧れてもいます。でも、彼女自身は「規格はずれ」ではない。
  サブリナは言っています。

  「・・・規格はずれには、それができないのよ。・・・それを選ぶことができるのは、あなたやわたし、リリーやウッディーみたいなふつうの人だけ ・・・」(P.150)

  これでは、読者はどちらを信じていいのか分かりません。「サブリナって規格はずれだ」と、友だちから言われてさえ動揺するでしょうに、よりによって、それが本のカバーに書いてあるなんて。

  読書は、たいていの場合一人でするものだから、子どもたちには「答合わせ」ができません。
  「この文章、変だと思わない?」と文句が言えるようになるのは、彼らがもう少し成長し、活字にされたものの中にも、間違いや嘘があると知ってからです。

  物語を読んで、「サブリナっていいな。」「なんだか私と似てるみたい。」と感じた子どもたちは、どうしたらいいのでしょう?  サブリナが、どんなに自信に満ちて見えようが、どんなに理路整然と話そうが、彼女は自分たちと同じ「子ども」です。本を作っている「大人」が、そのサブリナに「規格はずれ」のレッテルを貼っている. . . 。力関係は歴然としています。

  「揃ってノーマルな登場人物たちが、フリークに出会う」という、もしかして差別的と受け取られかねない構図を避けたかったのでしょうか。けれど、それなら、カバーの紹介文から「規格はずれ」という言葉を抜けばいいだけ. . . 。



** 疎まれた言葉 ― idiot, mad, a friend


* 「モンゴル人のブースには、どんなヘナチョコがいるんだろう。」ぼくがそう言うと、お父さんは、そういうことは二度と言うなという表情でぼくをみた。(P.74)

"I wonder if the Mongolians will have an idiot in their booth?" I asked. Father gave me a look that told me not to repeat that remark.


  これでは、なぜウッディがマックスを叱ったのか、まったく理解できません。
  マックスの言い草は、「モンゴルのブースには、頭の弱いのでも置いてるのかなぁ?」。  つまり、蒙古症 (mongolism: ダウン症候群の旧称)の人を侮辱するもので、それをウッディが責めているのだと思います。1980年代初めの米国の現実です。
  idiot をきちんと訳さなければ、この場面は意味を持てません。

  ウッディは「無言で語る」という、マックスには馴染みのない強い方法で、息子の過ちを正しているし、マックスもその過ちを認め、読者に隠さずに話しています。だから、モンゴルの人々も、ダウン症の人々やそのご家族も、モンゴロイドの私たちも、そういった歴史を悲しくは思っても、本に対して怒ったりはしないと思うのですが. . . 。



* お父さんはどうしてぼくが何を考えているのかわかったんだろう。ぼくのほうは、F・フューゴ・マラテスタのことと同じくらいしかお父さんのことを知らないのに。そのせいで、ぼくはすっかり取り乱してしまった。(P.94)

There was no reason why my father, a man I hardly knew better than I knew F. Hugo Malatesta, should know what I was thinking. The fact that he did made me mad. (P.61)


  赤字の部分は、「ひどく腹が立った」か「すごく頭に来た」だろうと思います。
  サブリナのことで気落ちしていた上に、その心情を父親に言い当てられたものだから、マックスは怒っちゃったんです。「な、なんで父さんなんかに分かるんだよ、そんなのありえないよ、他人も同然なのに、クソッ、頭に来た! 」と。(かわいい!)
  ここでマックスの「怒り」をはっきりさせない限り、直後に、なぜ彼が父親に対して生意気な口をきき、反抗的な態度をとるのか、読者には解りません。「取り乱した」のなら、ただオロオロしているはずです。

  まるで、freak, idiot, mad というような言葉に、「検閲」でもかかっているみたい。
  I'm hopping mad. (めちゃくちゃ怒ってる)など、日常的に使われている表現です。" mad " という単語を見ただけで、拒絶反応が起きちゃうのかな。それとも、もしや子どもが父親に腹を立てること自体、いけないことなんだったりして. . . 。

  登場人物の言動が正当かどうか、その時の彼や彼女に共感するかどうか、それを決めるのは、読者の仕事だと思うのですが. . . 。




  ついでに、もう一つ。^^

* 君に会わせたい人たちがいるんだけど、とぼくは翌朝スコッティー・デブリンに言った。バーヌースにも着替えてないうちにスコッティーにそう話しにいったんだ。(P.87)

The following morning I told Scotty Devlin that I had a friend who wanted to meet him. I told him even before I put on my burnoose.

 
  どうしてa friend が「人たち」 になるんでしょう?  マックスは、ただサブリナを、こびとのスコッティに会わせてあげたいだけ。だから、朝一番に頼みに行ったんです。「友だちが君に会いたがっているんだ」って、そのままでいいのに. . . 。 こんなに可愛いロマンスも御法度なのでしょうか。


Next


やみぃの屋根裏部屋
Yummy's Attic


HOME > ELK をめぐる冒険 > No.800-もくじ > その4 > Next