病気 |
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■弱い腹 |
日本ではお腹を壊したら正露丸で治すことにしていたものだから、腹痛に襲われても大事には至らなかった。だがこの旅行中で自分のお腹の弱さに改めて気付かされることになった。基本的に現地の病気は現地の薬で治すという方針を取っていたので、正露丸は持っていかなかった(荷物が臭くなるというのが一番の理由だったりするけど)。他には毎年春に襲われる花粉症対策の鼻水止め薬と多少の粉状風邪薬だけ用意していた。 大学に入学してから一人暮しをはじめて約10年ほどになるが、最初の冬に一度風邪を引いたくらいで大きな病気や怪我は一度もなかった。だから自分の体調管理には自信を持っていたのだが、不慣れな海外では容赦無く体調を崩す羽目になった。 一番お世話になるのが下痢である。これはガイドにも通過儀礼と考えた方がよいと書いてあるほど誰でもなるものである。ボクの場合は特別弱いらしく、生水は飲まないように心がけていたもののほぼ毎週のように下痢に襲われた。慣れない片言の英語とジェスチャーで薬局へ行き下痢止めを買ったはいいがほとんど効かなかった。原因はおそらく安食堂や屋台で使われている不衛生な皿やスプーンだと思われる。サービスで出てくる水と氷を口にしてはいけないとわかってはいるのだけど、東南アジアの暑さと食事の辛さに負けて手を出すことになる。この暑さ辛さを我慢するくらいなら下痢の方がマシ!とその時は思うのだが毎回あとで後悔することになる。 まず上海[Shanghai]から北京[Beijing]行きの列車。24時間のベッド付きはいいがなぜか乗客が窓を全開にしている。まだ寒風吹く2月だというのに、だ。そこですっかり体温を奪われ北京に着く頃にはぐったりと体調を崩していた。 ベトナム[Vietnam]でもホーチミン[Ho Chi Minh]へ着いた時、慣れない暑さにまいって熱を出した。連日の暑さの中かまわず歩き回っていたせいだろう。自分で洗濯することもできず宿のおばちゃんに頼んだら、タオルが破れて返ってきた。金返せという気力もわかず、まあそれだけ一生懸命手洗いしてくれたのだろうな、と許してあげることにした。 カンボジア[Cambodia]では、首都プノンペン[PhnomPenh]からシェムリアプ[SiemReap]へ行く約8時間の長距離バスが舗装されていない泥道を走る。揺れる車内で体力が吸い取られ途中にランチに寄った店のトイレへ駆け込んだ。トイレットペーパーを持って来るのも間に合わず、人生で初めて手と水で尻を拭いた。いくら洗っても洗っても汚れが取れない気がした。シェムリアプ[SiemReap]に到着し、タケオゲストハウスではウェルカムラーメン(ただのインスタントラーメン)がサービスでもらえるのだが食べる気力が沸かず、座って談笑していたパワフルな女性2人組にたいらげてもらった。翌日から無理にアンコールワット[Angkor Wat]を周る観光をしたため、体調はさらに悪化し以後一週間熱にうなされながら寝て過すことになった。エアコンも扇風機もない蒸し暑い廊下のベッドで蚊の羽音に悩まされながら。 タイ[Thailand]のチェンライ[ChiangRai]では市場で美味しそうなタマゴ豆腐を見かけたので買ってみた。他にもいろいろ買ったので残しておいて翌日に食べようと思ったのが間違いだった。街中を散歩している最中にもよおしてきて一目散に宿に戻り、トイレ付きシャワールームに駆け込んだ。その時誰もりようしてなかったから間に合った。いや便器までたどりつけなかったから間に合ってはいない。扉を閉めてズボンをさげるなり、その広めのバスルームの床に茶色の物体をぶちまけてしまったのだ。もちろんパンツとズボンも汚れたので水でゆすいだ後でランドリーサービスに出すことにした。床はバケツとシャワーで水を流しまくって汚物を取り除いた。ボクの次にシャワーを浴びた人はその異様な匂いに顔をしかめたことが予想できる。お客が減っては申し訳無いため、あえてこの宿の名前は伏せておく。ごめんなさい。チェンライ[ChianRai]という町自体は大きすぎず歩き回れるし、毎夜ナイトマーケットやフルーツマーケットなどが開かれていてかなり気に入っているのだけど。 このように行く先々ほぼ全ての国でボクはお腹を壊した(詳しくはトイレの巻を参照)。さらには帰国してからもお腹の弱さが続いている。冬にアイスクリームでも食べようものならすぐに下痢である。何か悪い菌がお腹の中に残っているのであろうか。 |
■不眠が丸四日間 |
シンガポール[Singapore]から香港[Hong Kong]へ飛行機で飛んだ。35℃の真夏から一転してそこは冬だった。一年間、高温多湿の気候に体が慣れてしまっていたのと冬服が長そで一枚程度しかなかったというのが原因で徐々に気分が悪くなってきた。数日後台湾[Taiwan]へ飛んだ。これまでの旅行と同じようにその国をぐるりと一周するつもりだった。が気分がすぐれないので宿の近辺を歩き回る程度にした。何日目からか激しい悪寒にが始まり熱も出てきた。汗をかいたのでさっぱりしようかと思ったがシャワーがぬるくかえって体が冷えた。やがて食欲がなくなり食べ物が喉を通らなくなった。毎食ヨーグルトだけを口にした。夜も咳が止まらずさらには眠れなくなった。この時期東南アジア一体ではSARSや鳥インフルエンザが流行していた。ボクもそのいずれかにかかったのではないかと疑った。が台湾[Taiwan]から沖縄[Okinawa]への船のチケットはすでに予約していた。医者に行っている余裕も気力もないし保険にすら入っていない。日本にさえ帰れればなんとかなるだろうと重い足を動かして、船の出る基隆[Keelung]へ向かった。出国時、耳に体温計を入れられた。ここで熱があるとSARSなどの疑いがかけらて出国できないかもしれない。少し焦ったが特に問題はなく通過できてホッとした。この船に乗ってる日本人は同部屋のもう一人だけ。寂しい帰国だ。ひと晩かけてゆく沖縄[Okinawa]への船の中、やはり咳は止まらず眠れもしなかった。この一年という長い旅が終わってしまうことへの不安と安心といろいろなものがないまぜになってそれが一気に体の変調となって現れた結果だったのかもしれない。 那覇[Naha]へ着いてからも眠れず体調の悪い日は続いた。この宿に泊まっているのは主に10代後半から20歳くらいの若者ばかり。話をしたくても何を話題にしていいかもわからない。たまたまサッカー代表の試合が行われていたがチャンネルが少ない関係からか放映はされないし、話を振っても誰も興味を持たない。ココはそういう世間とは縁を切り何か自分の力ではじめようという若者たちが揃っているらしい。中には親元を離れたいが手に職はないとりあえず沖縄まで来たというような子もいるが、それでもその若さで一人でやっていこうとする気持ちがあるだけ素晴らしい。日本に来て変わったなと思うのは相部屋の大部屋の皆がほとんど携帯電話を持っているということだ。それがまた昼夜問わず鳴るから問題である。ただでさえ不眠が続いているというのに、うつらうつらしかけたところでピロロっという音に起こされる。その繰り返し。ひと部屋に16人も寝てればそりゃ鳴るのは仕方ないとは思うのだけど夜中くらい音は消してほしい。二段ベッドで横になると体の震えが止まらない。上段で寝ていたのでゆれは激しくギシギシと音がするくらいだ。迷惑に鳴るので体を押えこもうとするが余計強く振るえる。苦い風邪薬を飲むが治る兆候はみられない。 今まで不眠症というものを軽視していた。眠れないだけで何が病気だ、と。しかし自分の身に振りかかってみて始めてわかった。ただ眠れないということがどれだけ苦しいことかと。人間は睡眠することで脳や筋肉を休めて回復する。そのあたりまえのサイクルが動かないため疲れはたまる一方で頭が朦朧としてくる。しかもその原因がよくわからないところにある。結局沖縄でも何も見ることなく博多ヘ行くことになった。最後の夜ということで泡盛のオレンジ割をいうのを宿の人に作ってもらい飲むことにした。一杯百円のその液体がボクの体を救った。その夜丸四日間続いていた不眠から解放されぐっすりとはいかないが眠ることができた。起きた後はなにか悟りを開けたかのような爽快感があった。たまにはお酒もいいものなんですね。 それ以後よく眠れる日々が続いている。 |
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