盗難
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■泥棒宿
 日本を出て半年以上。危ない所は極力避けていたこともあるがトラブルというものにはほとんど遭うことがなかった(借りたバイクで転倒して怪我をしたことを除けば)。これはボクが現地人に間違われるくらいに良く日焼けし貧相な格好をして歩いていたからだろう。いかにも観光客風といった身なりをしていると、コイツから金を巻き上げてやろうなんて気を沸かせてしまうのではないだろうかと恐れてもいた。
 ニュースやガイドブックはあてにならない、アジアは全然危険なんかじゃないし治安もよいじゃないか。次第にそういう安心感を持つようになっていた。
 インドネシア[Indonesia]のフローレス島[Pulau Flores]に三色湖で知られているケリムト山[Mt. Kelimutu]がある。その山のふもとの町モニ[Moni]で二人の日本人に会った。一人はもう10年くらい前から日本で稼いでは世界の各地へ旅行を続けているという旅慣れた方、もう一人はバイクで日本も一周したという山さんだ。
 国土も広いせいかインドネシア[Indonesia]はバリ[Bali]以外で旅行者に会うことが極端に少ない。一応観光地ではあるがこの僻地といってもいいモニ[Moni]で日本人三人が同じ宿となったのだから、互いに久しぶりの日本語を使って会話を楽しんだ。一時間ほどたって山さんは鍵が開けっぱなしだったことに気が付き、部屋で調べてみたところポケットの中の財布から80$(≒9000円)が消えていた。そういえばボクも着いたばかりで…と思い部屋に戻るとカバンを置いた位置が変わっており中の紙幣を数えてみると100$札が一枚足りないような気がした。が、普段から正確に残りの金額を把握していたわけではないので確信は持てなかった(数日前に寄ったラブハンバジョー[Labuhan Bajor]から小船でシュノーケリングツアーに行った時、泳いでいる間に荷物の中から紙幣を抜かれたという可能性もあったので)。
 部屋から外への出口の脇にあるバルコニーで雑談していたので、人の出入りがあれば目に付くはず。他に泊まっている客もいないのでこれはもう宿の人の仕業と考えるより仕方がない。山さんは女主人にお金がなくなったことを報告するが、「私はやってない」の一点張り。「お前が犯人だ」と問い詰めたわけでもないのに益々怪しいではないか。そしてボクが部屋の鍵をまだもらっていないと言うと、数分でどこかから南京錠を買って来た。暗くなるとご飯を食べる所を探すのにも困るこの小さな町のどこにそんなものが売っているのだろうか? それよりも部屋の鍵はもともとなかったのというのか!? 安宿の鍵は信用するな、あってもなくても同じこと、というセキュリティゼロの生活に慣れてはいたがさすがにココには驚いた。
 その日ボクは残りのアメリカ$札の紙幣番号を手帳に控えることにした。気休めにすぎないが、なくなった時に盗まれたことの証明にはなるだろう。
 それにしてもこの宿のおばさん、ふてぶてしい態度と鋭い目つき、タバコを吸う貫禄はかなりのやり手と見た(インドネシア[Indonesia]では成人男性のほぼ100%がタバコを吸うが女性はほとんど吸わない)。ほぼ同じ価格の宿が並んでいる道沿いで、ココ一軒だけ他より安いのだ。安さだけで旅行者を引き寄せておいて悪事を働くという泥棒宿の典型ではないだろうか。
 『泥棒宿』という言葉はコージくんに教えてもらった。エジプト[Egypt]を旅行していたとき、泊まった宿でシャワーを浴びている最中にお金を盗まれたという。彼らの手口はバレないように1、2枚だけ抜いて全部抜かない。あとで聞くと、そこは旅行者の間でも有名な泥棒宿だったという。このモニ[Moni]の手口も似ているような気がする。都合のよいことにココには、三色湖の見える山に登り日の出を見るという観光コースがある。おそらく客人が出払ったスキに荷物を物色するのだろう。
 この盗難事件の翌朝、ボクは三色湖へ行く事にした。お金を持参しようか、それとも鍵をかけたカバンに置いていくかの選択に迷った。朝、薄暗い時間にバイクの後ろにのって山の上まで行くのだ。もしこのドライバーが悪事を考えているならば、誰もいない奥地へ連れていき脅して金を巻き上げるというパターンも考えられる。現金を持っていなければ盗られることもない。命が残っていれば日本にも帰れるだろう。がしかし宿の部屋のカバンに置いていくのも不安だ。
 そんなに不安なら山へ行かなければいいとも考えられるのだが、次の島へ行く船に乗るにはこの日の朝しか時間がなかった。せっかく来たのだしおそらく二度来ることはないのだから見るものは見ておきたい。それが旅行者の欲望だ。
 結局は何事もなく無事に済んだのだが、それからは誰も信用することのできない窮屈な旅行になってしまった。
 
■鮮やかな手口
 南からフィリピン[Philippines]に入り北上し首都マニラ[Manila]に着いた所で両替をしようと銀行に行った。腰に巻いたパスポート入れから100$札二枚を取り出す時、何か少なくないか? という疑いを抱いた。確か昨日の朝プエルトガレラ[Puerto Garela]の宿で数えた時は500$ちょっとあったハズだ。計算間違いではない。100$札一枚と10$札一枚の合わせて110$抜かれていた。いつ盗られたのかもわからない、比較的混雑していたLRT(電車)の中か、市場か、ビザ延長手続きのためのイミグレ内なのか、それとも宿の人か。
 都会というものは危険な空気が漂う。プノンペン[Phnom Penh]もバンコク[Bangkok]もジャカルタ[Jakarta]も夜歩くのにそれほどの恐さは感じなかったけれど、マニラ[Manila]の夜は寒気がした。横から賊が突然現れてホールドアップされてもおかしくないような薄暗い道路と雰囲気。多少お金があるような華やかな格好などしていたら強盗や誘拐のターゲットにされてしまいそうな、そんな不穏な感じがした。
 マニラ[Manila]では一番安いと思われるJune’s Placeに泊まった。蚊の多い狭い部屋に二段ベッドが3個置いてある所で一泊180(≒400円)。アットホームな家族経営で食事をもらったり五歳くらいのジェイソンとミニカーやバスケで遊んだりもした。
 4日ほどの市内観光を終えてルソン島[Luzon Island]北部を一周するためバスに乗った。避暑地と言われるだけありバギオ[Baguio]は涼しくすごしやすかった。さらに北のスペイン情緒が残る町ビガン[Vigan]へ着いた時、再び21$が抜かれていることに気がついた。バスで居眠りしていた時なのだろうか。どうやって腹に巻いたパスポート入れから抜き取ったのかスリの手口だとしたら全く見事というしかない。財布にはチェーンをつけズボンのベルトに固定をしている。その財布には普段使う小額のフィリピン紙幣しか入れていない。アメリカ紙幣をパスポート入れから出すのは銀行だけとシチュエーションは限られている。盗まれたことはくやしいが小額で済んでよかった。これを戒めとして今後はもっと注意しようと心に決めた。
 
■二度あることは…
 ルソン島[Lizon Island]北部一周を終え、マニラ[Manila]に帰って来た。旅行中は、新鮮味がなくなるので同じ町に二度寄るということはなるべく避けていたのだけど、今度は電車でマニラ[Manila]から南下しようと思っていたので仕方なく留まることにした。もちろん安いJune’s Placeだ。再び来たボクを主人は大喜びで迎えてくれた。のだが、出立する朝にカバンの奥底に入れておいたパスポート入れの中の紙幣を勘定してみるとなんと一万円札六枚+110$が無くなっていた。
 ここでボクはこの宿を強く疑った。寝ている間かシャワーを浴びている間かはわからない。同じマニラで二度も似たような手口で抜かれているのだ。一度小額を抜いてバレてない、コイツはバカだと思ったから今度は大金に手を出したのかもしれない。そしてボクが戻って来た時の喜ぶさま…。考えると全てが符合する。でも信じたくないという思いも強かった。これまでだって怪しい安宿にいくらでも泊まっていたのに大丈夫だった。ボクにしては珍しく仲良くなって交流した宿の人たちがそんな悪事を働いたとは思いたくなかった。日本語を教えてというので、みんなの名前をカタカナで書いてあげたりもした。イギリス[England]から来たケリーは以前もココに泊まって、ココが好きなのでまた長く滞在しているとも言った。もしケリーの財布からもお金が抜かれていたらケリーはココに来ていないだろう。
 気がついた瞬間、主人にどなり散らそうかと思った。もちろん彼らはやっていないと言うだろう。証拠はどこにもないし無くなった紙幣が出て来るわけではないのだ。いがみ合って気分の悪いまま旅を続けるよりも、済ました顔で「Bye」とだけ言ってボクは出ることにした。本当はその日の朝は動物園に寄って昼頃チェックアウトしようとしていたのだけどこの状況でカバンを部屋に置いて観光に行くなどリスクが大きすぎるのであきらめた。
 何ヶ月もの旅行で気が緩んでいたことも確かだし、アジアは安全だという思いがあったことも確かだ。この暑い気候の中でいつもパスポート入れを腹に巻いているのはうざったい。マレーシア[Malaysia]で番号式の鍵を買ってからは、カバンの奥底に大金の入ったパスポート入れをしまいカバンに鍵をかけて散歩するというような身軽なスタイルをとっていた。持っているのは財布と小額の現金と、あとは何かあっても日本に帰れる飛行機代三万円だけ。鍵の番号は8878。かつて大学でビリヤード部のサークル室を作ったときの部屋鍵の番号と同じだ。鍵をかける時はいつもこの下一桁を9に回し8879とする。こうすることで誰かが鍵を開けて盗んだ場合でも、8879以外の番号になっていればその形跡がわかるという仕組みだ。
 マニラ[Manila]での盗難の件ではこの番号がずれていた形跡はなかった。ただのこそ泥が鍵を開けたあとで再び番号を8879にきっちり戻すなど考えられない。よほどのスペシャリストなのだろうか。カバンをナイフで切りそこから抜き取ったのだろうか? とも考えたがどこにも破れたあとはなかった。ボクは混乱した。誰がやったのか、いつやったのか、さっぱりわからない。この旅行中、気持ちが一番沈んだ。
 大量の現金を持ち歩くこと自体バカなのだ。それはわかっている。例え鍵をかけてもカバンごと盗まれたら全て終わり。それでもいいと思っていた。どこかでこの旅行を早く終えてしまいたいという気持ちも強かった。何か帰らなければならない事情ができたら仕方ないと誰でも認めてくれるだろう、誰かに認められたいのだろうか、そんなことのためにボクは旅行をしていたのだろうか…。
 6万+241$、合計で約9万円。旅行の資金が約70万円なので8分の1が消え去ったことになる。東南アジアでは二ヶ月も生活できる大金だ。もう帰ってしまおうかと思った。日本行きの飛行機のチケットを取れば楽になれる。でもそれでいいのか。まだお金は余っている。まだ見ていない国もある。これがなくなるまで続けよう。この金はこの国に投資したのだと思うしかない。明るい日差しの太陽とは対照的な暗い気持ちのままボクは電車の駅へと向かった。
 
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