論理哲学論考 1-7 3.1-3.5 3.31-3.34
      
3.34 文は本質的な諸相と偶然的な諸相をもっている。
偶然的なのは、その文記号を齎す特殊な仕方に由来する諸相だ。本質的なのは、それらだけで当の文にその意味を表現することを可能にする諸相だ。
3.341 ひとつの文の本質を成すのは、だから、それと同じ意味を表現し得る総ての文に共通するものだ。
同様に、ひとつのシンボルの本質を成すのは、一般に、それと同一の目的を果たし得る総てのシンボルが共有するものだ。 〔3.3411
3.342 我々の表記法にはたしかに恣意的なところが在るが、しかし、これは恣意的ではない: 我々が何ごとかを恣意的に定めおおしたときには、何か別のことがらが必然的に成り立っている。(このことは当の表記法の本質に依存する。) 〔3.3421
3.343 ひとつの言語から別の言語への翻訳のための或る種の規則は、定義だ。あらゆるまっとうな記号言語は、そうした規則に随って、他のどんなまっとうな記号言語にも翻訳され得るはずだ。そして、これがそれらの総てが共有することがらだ。
3.344 ひとつのシンボルにおいて表示するのは、論理的構文論の規則全般に則って当のシンボルに置き換えられ得るような総てのシンボルに共通する部分だ。 〔3.3441-3.3442