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常磐炭田  弥勒沢炭鉱 (1/1)
福島県いわき市内郷白水町         photo:2009年12月
弥勒沢炭坑は常磐炭田の石炭発見の地である。そのせいかどうか比較的狭いエリアにたくさんの採炭会社が坑口を持っているようである。場所はJR「内郷駅」と常磐自動車道「いわきJCT」に挟まれた部分でその中心からだいたい半径1キロ前後の円内がおおよそだが弥勒沢炭坑といわれるエリアになる。




多少ぼけていますが分かりやすいと思いUPしました。(ファイルでかい!サ−バー残少!(涙)) 現在地加納作平氏の石碑地点。


L写真:JR内郷駅から西方向(白水阿弥陀堂)に1〜2キロ行くと右手に弥勒沢炭鉱(資料館)への案内板が見える。
・R写真:そこを入ってしばらく走ると左手に写真の加納作平氏の石碑が見える。同氏は石碑によると、1830年(天保元
    年)10月生まれ、1855年(安政2年)加納作次郎、片寄平蔵等とともに弥勒沢で石炭採掘に着手する云々、とある。


L写真:途中にはこんな標識も。
R写真:久しぶりに生の石炭を見た。”生”っていう言い方も変だが最近では石炭を見ること自体が皆無である。だるまストーブで育
     った小生たちにとってはあの独特の匂いが懐かしい。ここでもつい手で触ってみたが”ああ、こんなんだったかな〜”と遥か
     いにしえの記憶に触れる想いだった。


L写真:「明治初期からの各炭鉱山神社跡と稲荷神社参道入り口」と下に四つほどの炭鉱名があるが惜しいことをした。反射的に”参
     道云々〜”とあったので行ってもしようがないな〜と思い行かなかったのだ。後で聞くと上には炭層の露頭がったらしい。重ね
     重ねザンネン!
写真:この写真見て上に露頭炭層があるなんて思わないよね・・・。でも先が読めなかった〜。
R写真:常磐炭田開発者片寄平蔵氏の石碑。これは最上段写真の道路沿いにある。加納作平氏の石碑よりもちょっと寂しい。気づか
     ずに通り過ぎてしまいそう。


L・M写真:イラストマップ現在地(以下:現在地)の左下に見える部分。
R写真:右手に見える白い建物がみろくざわ資料館。  


資料館左手には露頭炭層が保存されている。「矢郷 磐城神奈川炭鉱 山神坑」とある。炭層を見ると確かに北海道の夕張炭鉱(瀝青炭)よりも炭素分が少ないように見受けられる。気のせいかもしれないがまず色の黒さが違う。それと褐色の土(だと思う)の部分が多いような気がする。  


L写真:炭鉱の職員というのが採掘する抗夫を指すのか管理職を指すのか?(M写真の赤ライン)。二戸住まいとあるからたぶ
     ん管理職なんでしょうね。

R写真:どの家が「歴代の社長宅」でしょうか?写真後ろの木造家がそれでしょうか?(M写真の青ライン)。販売所跡地は前の
     空き地でしょうね。


炭車(トロッコ)と今は懐かしいウインチが保存されている。小生が子供のころは土木現場といえばこれだった。ウインチの後ろで汗と埃で薄汚れたランニングシャツに首にタオルをかけくわえタバコで、ガコン!グオ〜ン!Won Won Won 〜〜ってな具合でワイヤーを操作していた。このウインチを見るのも数十年ぶりだ。


L写真:資料館の玄関口。
写真:これは入って左側。細かく見ていくと興味をそそるものがいっぱいだ。
R写真:これは右側。奥には何か工作室があったようだ。こちらもいっぱい楽しめるものがある。


L写真:昭和31年(1956)で月給1万円以上、作業の性格上安くはないと思うのだが・・・正直言ってよく分からない。
写真:こういう募集広告があったんですね。
R写真:自己救命器、一酸化炭素用と書いてあります。重松製作所製。ネット検索すると同社は自衛隊等におろす防毒マスク専
     門メーカーらしい。


みんないい顔してますね、本当に。現代とはえらい違いです。  


L写真:映画「フラガール」の一幕を写した宣伝ポスターもあった。
M・R写真:綴伊東炭坑(竹に前)内坑跡とあるがこれはいったい何だろう。普通の坑口とはかなり違う。


綴伊東炭鉱(竹に前)内抗 火薬取扱所跡。


白水阿弥陀堂.〜弥勒沢資料館の間に旧鉱山道がある。その道が写真の道。親切に案内板が設置されている。


L写真:旧鉱山道を西進すると途中、昔の狸堀りの跡が見える場所がある。案内板上の洞穴らしきものがそれ。
R写真:かつての炭鉱街も今はこんな具合。どこもベッドタウン化している。  


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