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ケニア
〜ケニアは遠かった〜
コレラと黄熱病の予防接種の副作用に苦しむことから、ケニアへの旅は
始まっていた。
ビザ取得を旅行会社に代行してもらうお金がもったいなかったので、ケニア
大使館のみならずインド大使館にまで(ボンベイ経由のため)行かねば
ならず、準備段階から大変であった。
そしてようやく出発の日。
予防接種証明書(イエローカード)は特に持っていかなくても良いと思って
いたのだが(ガイドブックにそう書いてあったのよ〜!)、成田でインド航空
(だったっけ?)の係員に
「飛行機には乗せられないね」
と言われ途方に暮れる。
「インドでそのまま帰されてもいい」
という条件のもと、なんとか乗せてもらった。
結果的にはイエローカードなしでどこの国にも入れたのだが、本当に日本の
係員には参った・・・。
やっとの思いで飛行機に乗ったわけだが、成田からケニアへの道のりは、
決して楽では無かった。
1993年のことなので詳しいことは忘れてしまったが、給油のためだかなんだか、
途中カルカッタあたりで2時間も
ただひたすら飛行機内の座席に座って待ち続ける
ということをさせられた。
目的地に向かって進んでいるならまだしも、動かない機内で2時間もの間
じっとしているというのは、かなりの苦痛であった。
しかし、より遠くへ行けば行くほどより高い満足感が得られる私。
アフリカの大地が待っているとあれば、窮屈な座席もなんのその!なのであった。
〜大自然よ・・・〜
ボンベイでトランジットしてうんたらかんたらでようやくたどり着いたアフリカ。
ナイロビから草原へと移動し、車を降りて最初に私がしたのは、
両手をいっぱい横に広げる
ということだった。
そう、どこまでもどこまでも、地平線が広がっていたのだ。
「地球の丸みが見える〜!」
という感じ。
すぐ近くにインパラ軍団やらシマウマ軍団やらシカ軍団がいる。
一緒に行った職場の同僚の子(彼女とはモルディヴのバロス
にも一緒に行った)
はとにかく動物好きで、他にも色んな動物を見つけては興奮しながら
「あれは○○!!
あれは○○!!!」
と教えてくれたのだが、正直言ってそれほど動物そのものに興味の無い私は、
「あ、ああ、すごいねぇ〜」
と言ってただけで、○○の中身は忘却のかなたである。
私の目的は、「アフリカ大陸上陸!」にあったので・・・。
でもさすがに、「百獣の王」ライオンさんを見たときには、「おおお〜!」と感動したが。
ケニアのキリン1993年8月
とにかく毎日サファリツアーが朝昼晩とたくさんあって、こんなに体力を使う旅は
初めてだわ〜という感じであった。
忙しすぎたせいもあるが、どこのホテルも
「もっと長く滞在したい・・・」と思わせる所ばかりだった。
それは、豪華だったとか立派だったとかいうのではない。
大草原の中や湖のほとり、木々にかこまれた場所のロッジは、
「大自然の中にいる」という最高の贅沢を味わわせてくれる。
まぁ私がビーチリゾートに行くときなどにも必ず母に言われる
「観光客のせいで、きれいな海や山の自然が崩壊だわね〜」
という冗談とも本気とも取れる言葉を思い出すと、そういったロッジに泊まるのも
つくづく人間のエゴなんだろうけど・・・。
そういや〜ゴルフ好きなダウンタウンの浜ちゃんに松本さんが
「森林伐採!森林伐採!」
と言っていたっけ。
〜気球に乗ってどこまでも〜
15日間の旅の間(途中数日間はセイシェルにも寄ったが)で、最も印象的だった
サファリツアーはなんと言ってもっ!
「バルーンサファリ」
である。
その名のとおり、気球に乗ってケニアの大自然を満喫するというもの。
私はどんなオプショナルツアーも、
「現地で手配・申し込みをした方がお得」
ということで、あらかじめ日本の旅行会社で予約したことはほとんどない。
唯一とも言える例外が、このバルーンサファリであった。
「だってさ〜これ絶対絶対やりたいのに、万が一あまりの人気で現地での
予約満杯だったら、はるばるケニアに行くってのにむなしすぎるもんねっ」
これが間違いだったのよ〜!
料金は日本円で6万円もしたのだが、現地に行ってホテルのフロントにまるで
チューインガムの値段のように書かれていたバルーンサファリの値段は、
3分の1程度だったと思う。
「や、やっぱり現地で申し込めば良かった・・・」
と、さすがにショックは隠し切れなかったがしゃーない。
当日はなんと朝4時集合。まだ外は真っ暗である。
気球ってどうやって乗るのかと思えば、最初は横に倒れてるんだよね。
そこに4人くらいの人が横たわる形で乗り込む。
気球のバーナーが中の空気を暖め、やがてふわりと浮いていく。
遠く下の方には、シマウマやインパラ(ごめん他の動物の名前を覚えてなくて)
の群れが大移動しているのが見える・・・。
気球に乗るという初めての体験を、ケニアでやっている・・・
その事実が私を感動させまくっているうちに、
朝日、真っ赤な朝日
が地平線から昇り始めた。
太陽がどんどんその姿を現し始めると、草原の木々が照らされ影が映る。
「アフリカの水を飲んだものは、必ずまたアフリカへ戻ってくる」
という言葉(確かこういう言い回しだったと思うけど、微妙に違ってるかも・・・
とほほ)の意味がよくわかる。
気球よりもう一つの気球を撮る1993年8月
「人生って、すばらしい・・・」
心の底からそう思った。
だから旅は、やめられない。
やがて太陽がまぶしいほどの光線を放ち始めた頃、気球の旅は終わった。
・・・不時着だったんだけどね・・・ははは。
どんどん気球が下りていって、あと数十メートルで地上だな、というところに
来たけど下に見えるのは背の高い木々ばかり。
おいおいおいまさかここに着陸するんじゃないだろーねなんて思ってる間もなく
ぐわらぐわらががががががーーー
という音と共に気球は木の枝をなぎ倒しながら地上へ「落ちて」いった。
・・・まじで痛かったんですけど。
・・・アザできたんすけど。
でもまあ、骨折した人もいなかったし・・・なにより感動しまくってたから「不時着」
なんて認めたくなかったのが心情。
「ちょ、ちょっと恐かったねぇ〜えへへへ」
と、日本人特有の「わらごま」にてその場をしのいだ。
(注:若い方へ。笑ってごまかせの略です)
そしてその後、現地スタッフがテーブルを用意し、真っ白なテーブルクロスを
かけ着々とブランチの用意をしていく。
氷で冷やされたシャンペンをあけ、皆で乾杯!
おいしい空気、見渡す限りの大地に囲まれての食事は、今も忘れることが
できない。
〜下痢〜
もうひとつ、アクシデントがあった。
ズバリ下痢である。
ハブラシにつける水でさえ、ミネラルウオーターを使用していたにも
かかわらず、白い水がすごい勢いでジャージャー出るというほどの
ひどい下痢に見舞われた。
「このまま死ぬな。確実に。
でもいいよ。幸せだった。
ケニアにも来られたし。
もう、思い残すこともない・・・」
とトイレの中で激痛に耐えながらつぶやいた私。
まだ結婚の経験さえなく、わずか26歳だったというのに、なんと殊勝な
ヤツだろう(自画自賛)。
今から考えれば、思い残すことありまくりだっちゅーの!
3日後、下痢は完治した。ホッ。
〜満天の星?!〜
ケニア旅行で印象的だったものに、夜空がある。
日本の夜とは違い、徹底的に周りが暗く、また空気がすんでいるせいであろう。
とにかく宇宙中の星が全部見えるかの様だった。
「へぇ〜それはそれは美しかったんでしょうね」
と言われると、うん!とは言えない・・・。
星というものは、夜空にぽつんぽつんと見え、それぞれがきらきら光って
いるものとばかり思っていた。
しかしケニアで見た夜空には、あまりにもたくさんの星が見えすぎたため、
まるでたくさんのホコリやチリが空に浮かんでいる
様に見えたのだ。
うーん、意味わからないですよね・・・。
つまり、オリオン座の様に目立つ星ばかりでなく、小さな小さな星たちも
すべて見えるので、それらが何というか・・・まるでうすい雲のようになって
いたのだ。
そうそう「天の川」って、たくさんの星が集まって川の様に見える状態だと
思うんだけど、たまたまなのか、私達が見た星たちは「川」のようにまとまって
いなかったため、ホコリっぽく見えてしまったんだろうな・・・。
あ、なんか汚い話になってしまったけれど、本当に本当にアフリカは人を
惹きつける国だと思うのは事実。
友人がジンバブエに「青年海外協力隊」として音楽を教えに行っていたのだが、
「ジンバはいいよ〜ジンバは・・・」
と何度も言っていた。
うん、今度もしアフリカに行くなら、ジンバブエにしようかな。
〜飛行機は偉大!〜
最後にケニア内の移動手段についてなのだが、私達はケチケチ旅行ですべて
車(バン)によって移動した。
しかし今はどうだかわからないが、とにかく道が悪すぎた!
50センチ以上座席の上をジャンプさせられる状態が6時間も続くこともあった。
そもそも6時間かけて移動するなんて、ほんとにアフリカはでっかい・・・!
その6時間がほんの数十分になり、しかもお尻が痛くならずにすむのが
「飛行機」という乗り物だ。
少々高くても、体力温存のためにも飛行機をオススメする次第である。