ガレージシャンソン歌手 山田晃士の
『嗚呼、泥沼回顧録』
其の八拾壱
胸一杯の愛を





私の暮らしはいつも動物と共にあった。
我が家に犬や猫が居なかった時期は殆ど無い。
私が生まれた時、既に両親が犬を飼っていた。
私が四歳の時にその犬が他界。
父と母がぼろぼろ泣いていたのを憶えている。
私の動物好きは親から受け継いだ血だと思う。
私の傍らには常に愛すべき動物達がいた。

小学校時代からから大学校時代迄、
その日々を共にしたブラッキー<♀犬・享年十六歳>は私の青春そのものだ。
其の伍拾参照)

三本足の猫レオ<♂猫・享年六歳>はそのハンディキャップをものともせず、
かなりの暴れん坊で、近所のボスに君臨していた。
私の二の腕はナマ傷が絶えなかった。
一度外へ行ったきり戻らなくなった事がある。
心配して家族総出で捜索したが見つからない。
数日後一本しかない後ろ足を骨折し、いざっている所を保護。
あの時ばかりは気の強いレオも意気消沈し、情けない声で助けを求めていたっけ。
発見出来て良かったよ…。
MAYA MAXXさんの絵本『トンちゃんってそういうネコ』を読んだ時
これはまがう事無きレオの話じゃないか!と思ったよ。

十六年前城ケ島で拾った愛猫MARIE<♀>。
たしか『ひまわり』を書いた頃かなぁ。
出逢った時“しまった…!”と思った。
家には他にもいっぱいいたからね。
母から“晃士の部屋で飼うなら良い”との許可を得て連れて帰った。
MARIEの面倒は餌からトイレから病気から一切を私に一任された。
避妊手術、血液検査、予防接種、猫砂、餌、その他諸々。
バイト代が吹っ飛んだ。
動物を育てる責任を改めて切実に感じた。
幼い頃のMARIEは蝉捕り上手で、くわえたまま見せに来た。
MARIEの口の中で蝉が断末魔をあげる。
頭を撫で褒めてやらなくちゃ…。
実家のベランダは、ひと夏で千切れた蝉の死骸で一杯になった。
あまり水分を取らない猫でいつも便秘気味。
ある時大腸が詰まってしまい動物病院へ。
浣腸された時のshout!!!は見事だったぜ。ロバートプラント宛ら。
実家を出てからは完全な家猫になり、肥満問題が勃発。
最大7kg位あったんじゃないかなあ。
その巨体でピアノ鍵盤の上をお歩きになったり、
私の顔にぴったりくっつて寝ておられた。
二十代後半から四十路にかけて、
私がガレージシャンソン歌手としての自我を模索する傍らに、
常にMARIEの存在があったと思う。

今朝MARIEは天に召された。
享年十六歳。大往生。
いろいろあったが充実した生涯だったと思う。
私は胸一杯の愛を注いだ。
そして彼女は本当に多くの喜びを私に与えてくれた。
かけがえのない時間を過ごした。
ありがとう。
安らかに眠って下さい。
おやすみMARIE。
 
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