―賞琴一杯清茗― 第五十一回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の四十七    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇八年十月号第六一四号掲載

「行ひ道義に合へば、卜[ぼく]せずして自[おのづか]ら吉なり。行ひ道義に悖[もと]れば、縱ひ卜するも亦凶なり。人當に自[みづか]ら卜すべし。必ず卜に問はず」

自己の行状が正しく道義にかなっているなら、あえて筮竹をもって吉凶を占わずとも、自ずから吉祥がある。しかし、行いが正しくなく道義にはずれているなら、たとえ占ってみたところで凶事であることは確かである。人は自らを顧みて吉凶を判断すべきである。なにも占いに頼ることはない。

 ここで言う卜とは、易のことです。易は儒教の教典、五経のうち「易経」「詩経」「書経」「礼経」「春秋」の筆頭にあり、たいへん重要な教典とされました。易は中国周の時代(前十二世紀〜前三世紀)のころに生まれたとされ「周易」とも呼ばれます。それ以前の卜というのは、獣の骨や亀の甲羅を焼いてそのひび割れで吉凶を占うということがされていました。漢字の始源である甲骨文は、占いに尋ねる言葉が記されたものです。王が祭祀の執行、天候や農業、戦争など重要な事柄を神に問うために行われました。占筮のしかたは、亀の腹側の甲羅や牛の骨の裏をえぐってく穴をほり、その穴に熱した金属棒を穴に差し込みます。しばらくすると表側に線状のひび割れが生じ、そのひび割れによって吉凶を判断しました。また、のちに占断に対してどのようなことが実際に起こったかが刻まれました。象形文字の卜はひび割れの形をあらわしております。のちに卜の代わりとなった易もまた天下国家の行く末を判断するために用いられましたが、国家のような一大事を決めるにはこちらの占方のほうが信憑性があるかもしれません。
 易というと、神秘的で人を蠱惑するような鄙しい書であり、易者のような専門家だけが読むべきものだと思われがちですが、先入観を持たずに繙いてみるなら、その内容は人がいかに生きるべきか深い叡智にあふれた哲学の書だということがわかります。易の本文は、八卦のくみあわせによる六十四卦の符号と、その意味について記述する卦辞[かじ]と、それぞれの卦を構成している六本の爻位[こうい]の意味を説明する三八四条の爻辞[こうじ]から成っています。卦というのは六本の棒からなっており、その棒は--と−の二種類あって、その棒を爻と言います。卦辞は六本の卦全体の内容を説き、爻辞はそのうちの一本の爻についてそれぞれの意味を説きます。
 それに易本文のあとに、伝というものが付されています。これは卦辞、爻辞の説明についての解説です。伝は全部で十編あり「十翼」とも言われます。翼というのはたすけるという意味で、易本文の内容をあきらかにしてたすけるということです。十翼の作者は孔子によるものとされています。司馬遷『史記』の「孔子世家」には、
 「孔子、晩にして易を喜[この]み、彖、繋、象、説卦、文言を序[の]ぶ。易を讀むに、韋編[いへん]三たび絶つ」
 (孔子は晩年にいたって易を好み、易の解説文である彖伝、繋辞伝、象伝、説卦伝、文言伝を書いた。易を愛読し、簡をつないだ革紐が三回も擦り切れるほどであった。)
 とあります。孔子の時代の書物は、竹の札に漆で字を書き、それを革紐でつないで簾状にした竹簡というものでした。現代でも手紙のこと書簡と言い、その名残があります。
 この十翼をもってしても易の文言を理解するのはむずかしく、後代にいたって厖大な量の注釈書が生まれました。それは二十一世紀の現代になってもなお注釈し続けていると言ってもよいでしょう。時代により解釈のしかたが違うということもありますが、なによりも易の言葉は象徴的であり、いかようにも解釈ができるからです。昔から易は「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言われますが、それは占断による解釈の違いによるものでしょう。
 易は本来、自己を占うためにあります。たとえ森羅万象、宇宙や世界の動向や未来が易でわかったとしても、一人ではどうしようもありません。地震や災害を予知できたとしても、易の占断など誰も信じないでしょう。後になってそれが当たっていたと知るばかりです。時の権力者が易に頼り、国家や国民の行く末を決定していたことがありましたが、日本も明治のころは国の重要な決断を易の卦をみて判断しておりましたが、国を私物化する独裁者ならまだしも現代ではあってはならないことです。それは易の使い方が根本的に間違っていることです。
 自分の行いが正しいか正しくないか。それを問うのが易の本来のありかたです。ですから易を立てる時に、あれかこれかどちらがいいかを尋ねるのではなく、自分が決めた一つの方針について、その吉凶がどうなのを問うわけです。吉と出れば大いに自信を得て、易にあと押しされて積極的に行動にうつせるでしょう。凶と出たら注意深くし、あるいはその方針を今一度再考すべきです。易の言葉には吉であっても「利貞」(正しければ利がある)ということが多く書かれてあります。易の方からも占者に対してその人格、資質や動機が問われるのです。よこしまな動機や私利私欲のために易を利用するようであっては、この『醉古堂劍掃』の条のように「行ひ道義に悖れば、縱ひ卜するも亦凶なり」となるのは当然なことです。
 『荘子』「庚桑楚篇」に、「能[よ]く卜筮無くして吉凶を知らんか」という言葉があります。この言葉の前後の意味は「己れの本性の純一さをしっかり守って、それを見失うことのないようにすること、卜筮(うらない)などに頼らなくても何が吉であり、凶であるかという根源の道理をはっきりわきまえること、己れの分に止まり、道ならぬことは已[や]めて行なわぬこと、他人に求めることを舎[や]めて己れ自身に内省してゆくこと」(福永光司訳)とあります。これは荘子における最高の人格、至人になるための道を説いています。また、『春秋左氏伝』「哀公十八年」に「聖人は卜筮を煩はさず」(聖人は易を立てずとも吉凶が判断できる)とあります。いずれの言葉も易を学び占筮することはあっても、それに心酔したり、とらわれ惑わされるようではいけないということを言っております。
 迷いや不安のない至人や聖人になることはほとんど不可能でしょうが、しかし迷いや不安のない人生というのも、それはきっとつまらないものに違いありません。そんな時は、易者に自分の運命をゆだねるのではなく、自ら易を立て古人の叡智に道を問うのは、人生をより深く豊かに生きることになるのではないかと思います。






『周易』註 王弼(二二六〜二四九年)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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