―賞琴一杯清茗― 第四十七回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の四十四    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇八年五月号第六〇九号掲載

「春雨初めて霽[は]れ、園林洗ふが如し。扉を開いて間望すれば、緑疇麥浪層層[りょくちうばくらうそうそう]として、湖頭の煙水と相映帶するを見る。一派蒼翠の色、或は樹杪より流れ來り、或は溪邊より吐き出す。笻[つゑ]に支へられて散歩すれば、數年塵土の肺腸、倶[とも]に洗淨を爲すを覺ゆ」

春の雨が上がり日が射してくると、庭は洗い流したように清らかになる。扉を開いて静かに景色を眺めれば、遠く緑の麦畑が波うち、湖から立ち上る霧と相連なって映るのが見える。蒼々[あおあお]とした新緑の色、それは木々の梢から流れ来たって谷間にあふれ返る。その中を杖をついて散歩をするなら、俗塵にまみれた肺や腸、心までも洗い浄められるようである。

 自然は、誰の心にも美しいと感ずるものではないでしょうか。醜い自然とするのは、それは自然ではなく、そこに人の手が入っていたり、真新しい人工物があったりする時です。深山幽谷に分け入ったかと思ったら、目の前に大きな看板があり、遠くに高速道路が走っていいたりするのを見ると憂鬱にならざるをえません。自然への破壊は人々の心を傷めるものです。傷ついた自然を見ると、あたかも自身の体が傷つけられたように感じるものです。また自然は傷ついた心を癒したり、この条のように俗世間の塵によごれた心を浄めてもくれます。そう思い感じるのは日本人やアジア人だけかもしれません。自然を支配したり自然と戦ったり、自然は人間の利益ために開拓されなければならないという考え方ではなく、自然に逆らわず共に生きるというのが古来から東アジアの伝統的考え方です。明確な四季のうつりかわりや多様な天候の変化など、日々自然を意識せずにはいられない生活を我々は送ってきました。和歌や俳句、漢詩など自然の詠物を詠みこまない作はほとんどありません。それほど自然というものは身近にあって感じられ、四季のうつろいに詩心を動かされて来たのです。自然破壊、環境破壊というのは人間が快適な暮らしを求めたために起こったことと言えますが、その結果かえって不快な暮らしになってしまいました。おそらく快適な暮らしを求めるその方向が間違っていたからでしょう。現代文明はあまりに無謀に発展しすぎたようです。周りのことを顧[かえり]みず、自分さえ良ければいいと言えば、人の社会においては最も忌むべき悪となります。それと同じに、人間社会の周り、すなわち自然環境を顧みずに文明は発展してきたわけです。それは仕方のないことかもしれません。自然を破壊した上にしか成り立たないのが文明だからです。そのせいで古代に文明が栄えた地はどこも砂漠化してしまいました。現代の文明は、ある特定の地域だけに起こっているのではなく世界的に同時に発展を続けています。これは歴史上に今まで無かったことと言えましょう。
 自然はあらゆるものを浄化するはたらきがあり、死滅しつつ成長をうながす力があります。新鮮な空気、清らかな水、生命あふれる土は生物が生きていくためになくてはならないものです。その上に我々の生活も人生も成り立っていると考えなければなりません。我々の方から自然を保護するのではなく、我々の方こそ自然に守られて生きているわけです。環境を破壊をするのも人間ですし、それを保護しようとするのも人間です。つくづく人間というのは傲慢な生き物だと思います。そんな人間に対し自然は時おり絶大な力をおよぼすことがあります。天災は、人間はほんとうは無力な生き物なのだと教えているようです。

文人は自然を慈しみ敬い、自然を愛します。文人の胸中には常に山水があり、心は常に碧山の彼方を逍遥するのです。陶淵明の詩「歸田園居」の中に、

性本愛邱山  性 本と邱山[きうざん]を愛す
(生まれつきの性質は山や丘が好きである。)

 という詩句がありますが、これはまさに文人の本性を言っているものだと思います。淵明は鳥かごのような窮屈な官僚の世界から田園に帰り、そこで自然という自由な境地を得ました。文人は世間から逃避することはあっても、自然から隔絶することは決してありません。常に自然と共にあり、自然と共に生きることが文人のあり得べき姿です。
窓を開ければ、あふれるばかりの新緑と清風、それにいろいろな鳥のさえずりが室に入ってきます。これ以上の快適な生活は望むべくもありません。










『邊氏画譜』より「武陵桃源」渡邊玄對 文化四年(一八〇七)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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