―賞琴一杯清茗― 第四十八回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の四十五    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇八年六月号第六一〇号掲載

「月は寒潭に宜しく、絶壁に宜しく、高閣に宜しく、平臺[へいだい]に宜しく、窓紗に宜しく、簾鈎に宜しく、苔階[たいかい]に宜しく、花砌[くわぜい]に宜しく、小酌に宜しく、清談に宜しく、長嘯[ちょうせう]に宜しく、獨往[どくわう]に宜しく、首[かうべ]を掻くに宜しく、膝を促すに宜し。春月は尊罍[そんらい]に宜しく、夏月は枕簟[ちんてん]に宜しく、秋月は砧杵[ちんしょ]に宜しく、冬月は圖書に宜しく、樓月は簫[せう]に宜しく、江月は笛に宜しく、寺院の月は笙[しゃう]に宜しく、書齋の月は琴に宜しく、閨闈[けいゐ]の月は紗厨[さちう]に宜しく、勾欄[こうらん]の月は絃索[げんさく]に宜しく、關山の月は帆檣[はんしゃう]に宜しく、沙場の月は刁斗[てうと]に宜しく、花月は佳人に宜しく、松月は道者に宜しく、蘿月は隱逸に宜しく、桂月は俊英に宜しく、山月は老衲[らうだふ]に宜しく、湖月は良服に宜しく、風月は楊柳に宜しく、雪月は梅花に宜し。片月は花梢に宜しく、樓頭に宜しく、淺水に宜しく、杖藜[ぢゃうれい]に宜しく、幽人に宜しく、孤鴻に宜し。滿月は江邊に宜しく、苑内に宜しく、綺筵[きゑん]に宜しく、華燈に宜しく、醉客に宜しく、妙妓に宜し」

月は、冷たく澄んだ深い淵のかたわらで眺めるによく、絶壁によく、高い楼閣によく、平らな物見台によく、窓にかけた帳[とばり]によく、簾[すだれ]越しによく、苔がむした階段によく、花を植えた石畳によく、ほろ酔いの酒によく、清談によく、長く声をひいて詩歌をうたうによく、独り歩くによく、心落ち着かず頭をかくのによく、友と膝をまじえて語るによい。春の月は酒盛りによく、夏の月は竹の筵[むしろ]に枕するのがよく、秋の月は砧[きぬた]をたたく音によく、冬の月は読書するのによく、楼閣にかかる月は簫を聴くによく、川の月は笛の音によく、寺院の月は笙によく、書斎の月は琴を弾ずるによく、寝室の月はうすい紗の蚊帳がよく、曲がりくねった欄干の月には弦楽器がよく、関山の月は帆かけ舟によく、砂漠の月は銅鑼の響きによく、花の月は美人によく、松の月は道士によく、蔦かずらは隠士によく、木犀にかかる月は俊才によく、山の月は老僧によく、湖の月は良き友によく、風の月は枝垂れ柳によく、雪の月には梅花がよい。弓張月は、花の梢によく、楼閣の上によく、浅瀬のせせらぎによく、藜[あかざ]の杖によく、隠者によく、一羽飛ぶ鴻によい。満月は、川のほとりによく、庭園の中によく、きらびやかな宴席によく、はなやかな灯火によく、酔客によく、きれいな妓女によい。

 簫は洞簫とも呼ばれ、細く長い竹管に穴をあけたもので、音色は日本の尺八に似ています。笙は雅楽で使われる笙の笛で、和音も奏でられ、吐く息と吸う息にも音が出て途切れることがありません。もともと中国南方の楽器で、音も大きく長い口付がついて踊りながら吹きます。
 月を愛でる詩心というのは、ヨーロッパの詩人よりも東アジアの詩人の方がより深くあるように思います。ヨーロッパではともすれば月は異端的で、悪魔的な象徴ともとらえられています。昼の太陽は神の支配の世界、夜の月は悪魔が支配する世界というように。しかし、日本や中国では月そのものの美しさを純粋にとらえ観賞しているようです。月を眺めるという行為は人を風流にさせ詩の心を呼び覚ませます。この条は月の観賞のしかたを述べていますが、それこそ月があるならば、どこでもいつでも風流な詩的世界がひろがることを言っています。昔は今と違って街灯などありませんでしたから、光のない夜に煌々と輝く月はさぞ感動的だったと思います。
 「月見」は日本にも中国にもあります。中国の場合は、「中秋拝月」と言って陰暦八月十五日に家ごとに月を拝する祭壇を設けてお祭りします。紙に太陰星君という月の神や月の宮殿、杵で薬を搗[つ]いている兎の絵を描き、二本の高梁[カオリャン]の茎を支柱にして貼付けて、上に旗をあしらいます。その前に枝豆や鶏頭の花を飾り、月餅や蓮のはなびらの形に作った瓜を供え、香を焚いて礼拝します。これをするのはもっぱら女性や子供です。兎は兎児爺[トウルイエ]という泥人形もあって、衣冠をつけた大官風や鎧をまとった将軍風、虎にまたがったものなどさまざまな姿がありとても愛らしいものです。日本のお月見とくらべ、ずいぶん派手で盛大な月見と言えるでしょう。
 月を詠じた詩歌も、中国や日本には枚挙にいとまがないほどです。月の詩人を挙げれば、その代表格として李白の名前がまず出てくるでしょう。李白は実に多くの月をその詩に詠み込んでいます。その中で一つだけ挙げるとすれば「月下獨酌」があります。

花間一壼酒  花間一壺の酒
獨酌無相親  獨り酌みて相ひ親しむもの無し
舉杯邀明月  杯を擧げて明月を邀[むか]へ
對影成三人  影に對して三人と成る
月既不解飮  月既に飮を解せず
影徒隨我身  影徒[いたづ]らに我が身に隨ふ
暫伴月將影  暫く月と影とを伴ひて
行樂須及春  行樂須[すべか]らく春に及ぶべし
我歌月徘徊  我歌へば月徘徊し
我舞影零亂  我舞へば影零亂[れいらん]す
醒時同交歡  醒むる時同じく交歡し
醉後各分散  醉ひて後各ゝ[おのおの]分散す
永結無情遊  永く無情の遊を結び
相期邈雲漢  相ひ期す邈[はる]かなる雲漢に
(花の咲くあたりに酒壷を置いて、ひとりで酒を飲めども共に酌み交わす友もいない。杯を挙げて名月を招きよせ、我が影と向き合えば三人となった。だが、月はもとより酒を飲めないし、影はただ私につき従うだけだ。ひとまずはこの月と影とを伴って、春が往ってしまわないうちに心ゆくまで楽しむことにしよう。私が歌えば月はそれに合わせて動き、私が舞えば影法師も乱れ動く。醒めているときはともに楽しみ合い、酔ってしまった後は、それぞれに別れてしまう。それもよいだろう、末永く超俗的な清遊を結び、遙かな銀河での再会をたがいに約束しよう。)

 日本ではなんと言っても松尾芭蕉を挙げなければなりません。

 名月や池をめぐりて夜もすがら

月を眺めていたら、いつのまにか夜が明けてしまったという句です。
 芭蕉の旅の目的は名月を見るためにあったと言えます。芭蕉の著わした『更科紀行』には、仲秋の名月を見るため門弟の越人[えつじん]とともに岐阜から信濃国の更科まで行ったとあります。ここは月の名所で、姥捨伝説がある冠着山というところです。その伝説とは、若い息子が妻にそそのかされて老母を姨捨山に捨てたが、姨捨山に出る月の限りなく明るい美しさに目が覚めて、「わが心慰めかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」と歌を詠んで母を連れ帰ったとするものです。
 生涯を風流として生きた芭蕉は姨捨山からのぼる月を見て、心洗われる思いをしたかったに違いありません。






『邊氏画譜』より「竹里館」渡邊玄對 文化四年(一八〇七)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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