―賞琴一杯清茗― 第四十五回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の四十二    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇八年三月号第六〇七号掲載

「久しく坐して神疲るれば、香を焚き仰臥し、偶々[たまたま]佳句を得れば毛頴君[まうえいくん]をして枕に就きて掌記せしむ。不[しから]ざれば則ち展轉して失ひ去る」

久しい間坐っていて心身が疲れて来たなら、香を焚いて横になって寝そべり、たまたまよい詩句が想い浮かぶと、すぐに枕辺で筆をとってこれを記すのである。そうしないと寝返りをする間に忘れてしまうものだ。

 長い時間机に向かって坐り続け、神経を集中して読書や書き物をしていると当然ながら心も身体も疲れてしまうものです。そんな時は傍らの琴を引き寄せて古曲を弾じたり、茗を啜ったりするのが最もよい気分転換となりますが、神経を使いすぎて疲労困憊してしまったなら、香を焚いて安らかな気持ちになって榻[とう]に寝そべるのがいちばんでしょう。眠るともなく目覚めるともなく横になっていれば、ふと、ひらめきにも似た詩句が突然浮かんで来ることがあります。寝返りをうって起き上がり、きちんと机に向かって詩句を書き綴るのがよいことかも知れませんが、その間に折角浮かんだ詩句が消え忘れてしまうこともあります。そうならないためにすぐに枕辺で筆をとって紙片に書いておかなければなりません。後で書けばいいと思っては、おそらくすでにもう忘れてしまっていることでしょう。いつでもどこでもすぐに詩が書ける状態にあることが詩人の心掛けというものです。詩想を浮かばせるために、机上の白い紙片に向かって無理に頑張っても、そううまくは浮かぶものではありません。ふとしたことで、思いもよらぬところから詩想はやって来ます。魂の奥底から生まれる詩をとらえるには自然に向かうようにしなければなりません。詩は詠もうと思っても詠めるものではなく、詠まざるを得ない衝動に突き動かされて初めて詠めるものなのです。常にそれを心掛け、いつでも詩想が生まれてもいいように、日々詩に向かい詩と共に生活するのが文人的態度と言えましょう。
 「毛頴君」とは筆の異名です。これは唐の詩人韓愈が『史記列傳』に擬して書いた小説『毛穎傳』からのものです。筆である毛穎は秦の始皇帝の下で管城、すなわち筆管に封ぜられ、中書令を拝したといった洒落とユーモアにあふれた小説です。これを読んだ柳宗元は大笑いして「讀韓愈所著毛穎傳後題」を書き、世間では批判されたこの小説を擁護しました。この『毛穎傳』により筆の異名は他に「管城子」「中書君」とも呼ばれます。

「半窓[はんそう]一几[き]、遠興閒思[ゑんきょうかんし]、天地何ぞ寥闊[れうくわつ]なるや。清晨[せいしん]端[まさ]に起き、亭午[ていご]高く眠る、胸襟[きょうきん]何ぞ其れ洗滌[せんでふ]なるや」

半ば開けた窓のもと、一倚[き]の机に寄って静かに物想いに耽るなら、遠く遥かな興趣が湧き起こり、天地はなんと広大で静寂に満ちているのかと想い至るのである。夜明けとともに目覚め、昼に至って仮眠をとれば、心は洗い清めたようにまことに気分がよいものである。

 明るい窓の下の清浄な机は、文人の最も適した居場所です。窓から眺めやる一本の樹木に宇宙を観るなら、それがそのまま書斎の宇宙とつながってゆき、我が居場所は宇宙の中心となるのです。居ながらにして広大無辺な宇宙を観じられるのが書斎という空間です。机上に向かい、一本の線、一字の文字を書くなら、それがそのまま宇宙の営みと同じことであることに気づき、自娯は満たされます。文人の幸福な時間です。書斎は文人にとって無くてはならないもの、創作の原点であり生活の基点となるものです。ここから世界は始まり、世界は作られます。
 明代文人の文震亨[ぶんしんこう](一五八五〜一六四五)が編した、文人生活指南書『長物志』の巻頭には先ず文人の住まい「室廬」について述べており、文人にとっていかに書斎が重要かわかります。文震亨は、明代文人画の四大家のひとり文徴明を曾祖父とし、篆刻の祖と言われる文彭を祖父に持つ人です。
 「山水の中に住むのが最上で、次に村に住むこと、郊外に住むのがさらにその次である。われわれは漢代の隠者、綺里季[きりき]のあとを追って岩間を栖[すみか]にはできず、都市の中にまぎれ住んでいるのであるから、門庭は風雅で高潔にし、居室は清浄にして静寂を保つようにし、亭台(あずまや)は悠然自得した士の思いをそなえ、書斎は幽遠なる境地の人が居るふうにしなければならない。さらにまた佳木怪竹を植え、金石図書をならべ置き、ここに住む者に老いを忘れさせ、立ち寄る者に帰ることを忘れさせ、遊びに訪れた者には退屈を忘れさせる。酷暑にあってもさわやかな風が吹いて涼しくあり、酷寒にあっても暖かさを得ることができなければならない。いたずらに凝りすぎて贅をつくし柱を赤く塗ったり、壁を真っ白に派手な装飾にするなら、それこそ手枷足枷[てかせあしかせ]となって鳥かごの檻の中にいるも同然になってしまう」
 また、明代万暦の文人屠隆(賞琴一杯清茗第七回参照)の著わした『考槃餘事』「山齋箋 書齋」の条で、屠隆は書斎についてこう述べております。
 「書斎はあかるくてしずかなのがよい。あまり開け放しではいけない。あかるくてしずかであればこころをさわやかにすることができるし、開け放しであれば目をわるくする。中庭には盆景の建蘭のよいのを一二本列べ、窓に近いところに金魚を五匹か七匹ばかり盆地のなかに蓄い、かたわらに洗硯池をつくり、あき地には飯瀋(米を蒸す前に一度煮た汁)をそそぎかけておくと、雨にぬれて苔が生えて緑色のむしろもめづらしく、みぎりのまわりに翠芸草をば植えて一面しげらせると、あおあおとして浮かびあがるばかりである。…(略)書斎のなかの几榻、琴剣、書画、鼎硯のたぐいは製作の俗でないものをもちい、そのならべかたが恰好になっているならば清賞にかなうであろう。春の日ながを坐りくらし、秋の夜長を文にしたしみ、こころをみだすこともなく、いつまでもこうして年を終えることができよう。もし僮がよくなれたものでなく、客が佳流の人でなければはいらせない」(中田勇次郎訳『文房清玩』)
 書斎はただ書を読むための空間ではなく、壁際に榻を置いたら午睡のための部屋となり、茶を煎じたり琴を弾じたり、詩書画をしたためたりする美的空間であり、主人が意のまま、おのれの欲するがままに振舞える自由自在の場所。それはあたかも仙界に似たユートピアです。書斎の文人は、それこそ「老いを忘れ」「こころをみだすこともなく、いつまでもこうして年を終える」ことが出来るのです。








『扶桑画譜』より 享保二十年刊(1735)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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