―賞琴一杯清茗― 第四十一回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の三十八    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇七年十一月号第六〇三号掲載

「客散じて門扃[と]ぢ、風微にして日落ち、璧月[へきげつ]皎々[かうかう]として空に當り、花陰[くわいん]徐々にして地に滿ち、近檐[きんえん]の鳥宿し、遠寺の鐘鳴り、茶鐺[さたう]初めて熟し、酒甕乍[たちま]ち開く、八韵の新詩を成さずんば、畢竟[ひっきゃう]一個の俗氣なり」

何人かの客人が訪れ、にぎやかに楽しく過ごした後、皆を送り出して門を閉じる。夕風がかすかに吹き来たって、落日は西の空を紅く染める。夕闇が山々に迫ると、空には煌々と輝く満月があらわれ、月明かりに照らされ、地面いっぱいに花々が少しずつ眺められる。鳥は塒[ねぐら]を求め、軒端近くを飛びまわり、遠く寺の鐘が響き渡る時、爐にかけた茶釜の湯は沸々[ふつふつ]と煮え立つ。酒の甕[かめ]を開いて、ひとり静かに一献傾けるにちょうどよい頃合いである。この時に、詩想湧き出て韻字八個を用いて新しい詩を作らねば一個の俗人と見なされても仕方がないだろう。

 一日、友人知己らと談論、語り合って過ごした後、ひとり我が書斎にこもるとすでに夕暮れ、夜の闇が迫るともに孤独をひしひしと感じ寂寞たる思いが増してきます。そんな時に寂しさをまぎらわすために漫然と夕べの酒盛りをして過ごすようでは、文人とはほど遠い凡人となりはててしまうでしょう。特に晩秋の夕暮れというのは、一年のうちで最も美しい時で多くの詩人の感興を呼び起こしてまいりました。空の色は刻々と移りかわり、深紅の夕陽は紅葉した木々と相まって照り映えます。薄暮の中に身を置くと、これから一日が終わっていく焦燥感と諦念が綯[な]い交ぜになった感情が生じてきます。この黄昏れゆく時間を大事にしたいと思わずにはいられません。生命が盛んに躍動していた夏が終わり、命が終わってゆくような秋の季節は人に無常の世の有り様を知らせるかのようです。友人知己らと過ごした時間が楽しければ楽しいほど、一人になった時の寂しさは極まりないものとなります。思いは自ずと本来の自分の内面に向かうことでしょう。心は詩や芸術に向かわずにはいられません。  白居易に「晩秋閑居」という詩があります。

地僻門深少送迎  地は僻にして 門深く 送迎少なし
披衣閑坐養幽情  衣を披[き]て 閑坐して 幽情を養ふ
秋庭不掃攜藤杖  秋庭掃はず 藤杖を攜[たづさ]へ
閑蹋梧桐黄葉行  閑かに梧桐黄葉を蹋[ふ]んでゆく
(我が住居は辺鄙の地で、門から奥深くにあり、人が訪れることもあまりない。上着を羽織って、心静かに坐り、心の奥底の言い知れぬ感情を見つめる。掃かずにおいた秋の庭に降り立ち、藤の木の杖をつき、閑かに梧桐[あおぎり]の枯れ葉を踏み行こう。)

 静寂のみが支配する晩秋に、閑居する詩人の内面的な姿がよく写し出されていると思います。

 文人の条件に漢詩を成すことがあります。しかし、韻字八個を用いて詩を作るとなるとなかなか難しいものがあります。よほど漢詩に精通し修練を積まないと出来るものではありません。日本人にとってはそもそも漢詩というのは外国語で詩を作ることで、平仄[ひょうそく]という中国語で発音した漢字音を合わせたり韻を踏まなければならない詩の形式です。日本語を話す日本人にはそこに無理があるわけで、日本最古の漢詩集『懐風藻』の時代からずっとそれで苦労してきました。日本の詩歌は『万葉集』から始まる和歌の伝統がありますが、漢詩における表現の精緻さ複雑さ広大さは別格とも言うべきとても魅力的なものです。知識人は和歌と同時に漢詩も嗜み、それを一生懸命学んできたという伝統もまたあります。和歌はまず声に出して五七のリズムで三十一文字にまとめますが、漢詩は膨大な古典籍によりながら字を選び、七言五言と形をととのえて行きます。まず表記をすることで漢詩が成っていくのです。そのために平仄の問題が生じてきます。平仄が合わなかったり、日本語としての漢字を用いたりすると和習、あるいは和臭といってこれを嫌い一段下におきました。中国人が見ても意味が通るように詩の形が厳密にととのっていることが最良の漢詩とされたのです。しかし日本人が漢詩を玩味するためには読み下しということが必要です。読み下しにすると、せっかく平仄がととのった漢詩は韻字もなにも関係なくなります。読み下しは日本だけのもので、日本語翻訳と言ってもよく、これにより漢詩は日本人にも理解できるようになり身近なものとなりました。読み下しだけでも日本語漢詩として独特な雰囲気をかもしだしており、いわば日本語化した漢詩と言ってよいかもしれません。幕末のころに生まれた詩吟は、読み下した漢詩に節をつけて吟じ歌います。特徴として語尾の母音を長くのばして、そこに旋律的な節をつけます。漢詩も本来、平仄に則って節が生まれ韻を踏んで歌うように吟じますが、読み下しにもそれを補うように棒読みしない吟じ方が生まれたのではないかと思います。
 日本文学史において江戸時代はもっとも漢詩が興隆した時代です。梁田蛻巌、菅茶山、頼山陽など多くの優れた漢詩人がおりますが、いずれも中国人が詠んでも通用する立派な漢詩を成しました。しかしそんな正統派漢詩とは別に、浦上玉堂や売茶翁の作を見てみますと、たとえ平仄が合わなかったり和臭があっても、文人的世界が如実にあらわれている詩が実に多くあります。厳格な漢詩形式から見て、取るに足らない稚拙なものであっても、詩の内容と作詩者自身がともに生きた独自の世界がそこにあります。決して形式や法則を無視したから成ったのではなく、彼らの世界観が詩を超えた千古の名吟として我々の心に直接響いてくるように思うのです。
 韻字八個を用いて詩を作ることはかなわなくとも、そんな古人が生きた文人世界を垣間みることができるなら、俗に堕すことはまぬかれるのではないでしょうか。







『唐くれなゐ』「遠寺晩鐘」奥村正信画 一七〇三年頃



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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