―賞琴一杯清茗― 第四十回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の三十七    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇七年十月号第六〇二号掲載

「窓前獨り榻頻りに移し、爲めに夜月に親しみ、壁上一琴常に掛け、時に天風を拂ふ」

窓の前の榻にひとり座り、月が傾くたびにその位置をかえて眺めやる。壁には常に一張の琴が掛かっており、それを弾ずれば天の風を払うかと思う。

 君子のかたわらには常に琴がありました。後漢の應劭(一七〇〜二〇〇頃)という人が著わした『風俗通義』にこうあります。
 「雅琴は樂の統也、八音と並びに行ふ、然して君子の常に御する所の者、琴、最も親密にして身を離さず、必ず宗廟、郷黨に陳設するにあらず、鐘皷の若く虞懸に羅列することもあらざる也。窮閻陋巷、深山幽谷に在りと雖も猶琴を失れず」
 (琴は音楽を統べる楽器であり、八音すなわち、金、石、糸、竹、匏、土、革、木に属するものであるが、君子が常に弾じ奏でるものは、琴が最も親密にあり身から離すことはないのである。決して宗廟[みたまや]を祭る音楽であったり、村里のにぎやかな音楽や、また鐘や太鼓のように並べ連ねることもない。貧しく困窮した町中に住んでいても、世間から遠く深山幽谷に住んでいても琴が無いということはないのだ。)
 君子たるもの学問教養が身についてなければなりません。そのために書(書物)は欠くべからざるもので、大切な資となるものです。それにまた芸術の心というものも忘れてはなりません。そのために琴は常に身のかたわらに置いておく器でした。山水画で「抱琴図」という画題の絵がありますが、高士のあとに従い琴童が琴を抱えてついて行きます。主人は幽邃な深山をさまよい歩き、自然の気にふれ、詩心が生まれた時にその場所で、琴童に言いつけて袋から琴を取り出させ、膝にのせ一曲を弾じるのです。清澄な琴音を聴くものは自分自身と自然と、居眠りをする琴童のほかに誰もおりません。自然の音が琴の音色に共鳴し、自然の中に弾奏者が溶け込んだような「弾琴図」という画題も多くあります。
 そしてこの条のように壁にかかる琴というのもまた一幅の絵になるものです。風流な主人が住う書斎に琴は古風な雰囲気をかもしだし、しかも雑然とした書斎がどこか引き締まったように感ぜられます。琴にはいろいろな様式の形がありますが、基本は上は広く先が細くなっており、その形は人に似せて作られ、額、肩、腰と名がつけられています。それに両刃の剣にも似ており、優美な中にも厳しさを秘めた形をしています。たとえ絃を張らず爪弾くことが出来なくとも、書斎の壁にかけておくだけでそこは文人の居室となります。
 オランダ駐日大使であった、ロバート・ハンス・ファン・フーリック(号を高羅佩 )は、日本語で書かれた「琴銘の研究」という文の中で、壁にかかった琴についてこう言っております。
 「文學の士は皆琴道の要旨を知ってゐますけれども、實際に琴を彈くものは固より少いのであります。古風な書齋の壁には常に古琴二三枚を懸けてあるのを見かけますが、殆んど皆弦はなく、主人で之を彈き得る人がないのであります。元來琴道に依って琴を彈ずるようになってからは、彈琴そのことよりも、琴の持つ幽旨、即ち琴趣を知ると云ふことが最も重要なものとなったのであります。」(原文漢字カタカナ)
 無絃琴を壁にかけることだけで琴趣を得るという、その弊害として実際に琴を弾くことがおろそかになり、そのせいで琴は廃れてしまったと、この文の後にフーリックは批判的に述べておりますが、たとえ書斎の飾りでしか扱われなかったとしても、琴の精神性はしっかり守り伝えられたのではないかと思います。文人の古琴に対する畏敬の念はどんな器物よりも深かったでしょう。それは漆と木で出来ていながら、戦火にも燃えることなく千年以上も前の琴が今にいくつも残され、代々大切に受け継がれてきたということでもわかります。
 ファン・フーリックという人は、昭和の初めに絶音した江戸琴學の道統のあと、数年たって再び日本に琴をもたらした人です。フーリックは外交官という要職にありながら日本や中国の文化芸術を深く研究し、何冊もの大著をあらわし書にも画にも通じた文人です。中でも『琴道』という本は、琴學研究の魁[さきがけ]というべく最も重要な書です。そのころフーリックの書斎近くに住んでいた東洋音楽史の岸辺成雄に数曲伝授し、ここに再び日本の琴道の端緒が開かれました。日本に琴を伝えた人は遠く奈良時代の、さだかではありませんが吉備真備[きびのまきび]、日本琴道中興の祖東皐心越、それにフーリックがおりますが、いずれも皆音楽を職業とした専門家ではありませんでした。彼らが音楽家ではなかったというのは決して偶然ではなく、琴は文人によってこそ奏でられ楽しまれる音楽でしたので、当然伝える者も文人であったわけです。琴は余技として嗜みとして教養としてある音楽です。言うなれば素人の音楽なわけで、素人だからこそ職業的にとらわれることなく自由に楽しめたということです。このことは南画や文人画と似たものがあります。宮廷画や専門の絵師が描く画とちがって南画、文人画というのは興のおもむくまま、余技として嗜みとして描かれます。技術的なことは二の次として、自己の心情や思想を表現することを第一としています。
 また篆刻にも琴は通じるものがあります。琴の場合こちらの方がより近いと言えるかもしれません。篆刻というのは印鑑のように一線一角同じ幅に厳密に彫られるものではありません。線が曲がっていたり均整がとれていなかったり、角が欠けていたり、どこか拙いような自然の趣を表現します。不均整は間違い、欠損は失敗というのではなく、そこにこそ言い知れぬ深い味わいが生まれます。一本の線に刻者の人格的な力強さや高潔さが表現できれば、それで良しとするのが篆刻芸術というものです。琴もまた、卒なくきちんと上手に弾きこなすだけでは、聴くべく味わうべきもののないつまらない演奏となってしまいます。たとえ拙なる演奏であっても、一音の中に奏者の高雅な精神、詩的心情や思想が聴き取れるならそれは名演奏となるものです。琴は人に聴かせる音楽ではなく、弾奏者が自分のために弾き自ら娯しむきわめてプライベートな音楽ですので、見せ物的に聴き手を喜ばせるような技巧を駆使した演奏など意味がありません。琴にとって演奏の上手下手は関係ないことです。しかし人が聴いたり見たりしないからと言って、奏法をだらしなくおろそかにすることはありません。かえって自己を律するようにきびしく端然と弾くことが求められます。琴は、奏者が高雅な心の持ち主かどうかを問う「琴道」という名にふさわしい音楽芸術と言えましょう。
 月夜のつれづれに壁にかかった琴をはずし、机上に丁寧に置いて、ひとり静かに絃を爪弾く。古人の高風を慕う曲を奏で、時には天風を払うような曲を奏でます。弾き終わったあと、静寂の書斎に琴の余韻だけが残ります。琴趣の深い味わいは音が止んだ時にこそあるのです。







池大雅 高士彈琴圖



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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