―賞琴一杯清茗― 第三十九回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の三十六    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇七年九月号第六〇一号掲載

「居處は吾が生を寄す。但其他を得て、高廣に在らず。衣服は吾體に被る、但其時に順[したが]ひ、紈綺[ぐわんき]に在らず。飲食は吾が腹に充つ、但其可に適して、膏梁[かうりゃう]に在らず。讌樂[えんらく]は吾好を修む、但其誠を致して浮靡[ふび]に在らず」

我が住居は、ただ生を営むことができればそれで充分、それ以上の高く広大な邸宅など必要ではない。衣服は我が体を覆うことができ、夏は涼しく冬は暖かく、その季節にしたがって過ごせればそれで万全、きらびやかな衣装をまとうことはない。飲食は、我が腹を満たして飢えなければそれで満足、美食など求める必要はない。酒宴は同好の友と真心をもって酌み交わすのが至福。奢侈に驕り浮薄な酒宴など無用である。

 生きるうえで衣食住がすべて調い満たされているなら、何をそれ以上望むことがあろうか、それだけで十分人生を楽しむことは出来る、とこの条は言っております。無用な贅沢はせずに質素に生きよという禁欲的なきびしい言葉でありますが、豊かさや幸福を求めようとするなら、この生き方はもっとも早い近道と言えましょう。
 禅語としてよく人口に膾炙している「知足」という言葉があります。「知足のものは貧しいといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」というものですが、言わんとしていることはこの「知足」と同じです。この言葉は『老子』三十三章「知足者富」(足るを知るものは富む)、また仏教の教典『仏遺教経』「少欲知足」(欲を少なくして足ることを知る)によるもので、またギリシャの哲学者アリストテレスの言葉にも「幸福はみずから足れりとする人のものである」とあります。「知足」は豊かさや幸福へ至るための普遍的な真理です。
 衣食住にばかり執心して贅をこらし豪華にしたところで、心まで豪華に贅沢になるとは限りません。物が増えれば心も豊かになるとは誰も思わないでしょう。衣食住をもっと良くしようと求めれば、後からあとから欲求は生まれ出て、いつまでたっても満足を得られず足らないまま、欠けたままで終わってしいます。他人から見れば羨ましがられ、豊かに暮らしていると見られても、実は本人は欲求不満で渇望していたとしたら、それは貧しいということです。どこかでこれで十分だとしないときりがありません。かと言って今の生活からわざわざ雨露をしのぐだけの住居、季節に合わせただけの衣服、飢えを満たすだけの飲食という質素な生活に切り替えても意味の無いことです。『醉古堂劍掃』のこの条は、衣食住にばかりに労力をとられ専心しても仕方がない、それ以上に求めるべきものは他にあると言っているように思います。ある程度衣食住が調い満たされているなら、それはそれとして次に来るものがあるということです。
 それは何かというと、「風流を解す」ということではないでしょうか。風流を解す、といっても決して難しいことではなく、月をながめたり、花を愛でたり、虫の声や松風、竹風、雨音に耳を澄ましたりすることです。あるいは詩を詠んだり、絵を描いたり、琴を弾いたり、茗を啜ったりすることです。これは衣食住のように生きる上で絶対に必要というわけではありません。しかし、人の心にとって絶対に必要なものであるはずです。心のゆとりや豊かさというものは衣食住が調って満たされたあとに、はじめて生まれてくるもので、そうでなければ風流どころではありません。それゆえに風流というものは高級でたいへん贅沢なものと言えましょう。齷齪と衣食住のためだけに労力と時間を費やしていたら、永遠に豊かさは得られないかもしれません。たとえ衣食住それぞれに贅をこらし豪華にし極めたところでそこどまりで、富んでいてもそれ以上望むべくもありません。
 経済成長ばかりを促す現代社会の様相を見てみますと、ほんとうは満ち足りているのに、まだ足らないと渇望させて煽り立てているように思います。そうしないと経済が停滞してしまうとおそれているかのようです。ずっと成長を続けているはずなのに豊かになれたと感じられないのは、そこに原因があるのかもしれません。衣食住ばかりにこだわり執心することをやめ、足ることを知るならば必ず豊かになるに違いありません。

「萬事皆滿足し易し、惟讀書は終身盡くる無し。人何ぞ足るを知らざるの一念を以て、之を書に加へざる」

何事も限界というものはあり、そこに到達すれば誰もが満足してしまうものだが、ただ読書だけは一生続けても尽き果てるということはない。世の人々は足らない足らないと言って貪欲に求めているが、なぜこれに読書を加えないのであろうか。

 この条は、まさに文人だからこそ発せられた言葉といってよいでしょう。「知足」は読書についてはあてはまらず、書を読めば読むほど、おのれの蒙昧さや知識の足らなさに気づき、ますます「不知足」(足るを知らず)の念いを強めます。知識はこれで足りるということはありえません。すべてを知ることは不可能にしても、途中で満足してしまえば足らない知識のせいでたちまち間違った方向へ進むことになります。読書は百益あって一害無く、一日書を読めば一日の益をなし、一巻の書を読了すれば一巻の益がある、と言います。益することしかないのが読書です。
 至言のつまった一冊の書と、心を許し合った友と酌み交わす一杯の酒と、これだけあれば十分幸福になれる。そんな境地に至りたいと思います。







『漢畫指南』河村文鳳 安永九年



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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