―賞琴一杯清茗― 第三十三回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の三十一    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇七年二月号第五九四号掲載

「少[わか]くして琴書を學び、偶々清淨を愛す。卷を開きて得るあれば、便ち欣然として食を忘れ、樹木交々映じ、時鳥聲を變ずるを見ては、亦復歡然として喜ぶあり、常に言ふ五六月北窗の下に臥し、涼風蹔[しばら]く至るに遇へば、自ら羲皇上の人と謂ふ」

青年のころから琴と読書が好きで、清浄をこよなく愛した。書物をひもとき、自分の意に合致する言葉を見つけたならば、うれしさのあまり食事をとることも忘れてしまう。樹木が鬱蒼と茂り、ほととぎすの変化する声を聞いては、また喜びはひとしおである。常に言っている、五月六月ともなると北側の窓の下に寝転んで、心地よい涼風を身に受けるなら、この自分は古代の聖人が治めた時代の人である、と。

 文人の本来持つ性を述べております。
 「琴書」というのは、書籍ばかりを読みあさって知識を溜め込んだ融通のきかない学者になるのではなく、琴という音楽にも通じて風流を解する学者にならなければならないことです。学問と音楽はかけ離れたものですが、偏狭な心に学問は大成しないという道理で、古人は心を広くゆとりを持たせるために音楽を修得しようとしたのです。中でも琴は、いにしえの聖賢たちの徳を偲ぶための音楽でした。聖人の孔子でさえ古代の治世に理想を抱いて、琴を奏でました。孔子が弾いた琴は、今ある琴とは違うものかもしれませんが、それでも孔子にとって音楽は最も重んずべきものだったのです。学問を完成させるためには音楽を修めなければならないとまで孔子は言っております。白川靜著『孔子伝』によると、孔子とその門下は礼学を広めるための音楽集団だったことがわかります。中国や日本で儒教が国教となっていくとそんな孔子の面影が琴に託されるようになりました。
 「清浄」というのは超俗の意です。文人は俗世間から超然としているものです。宗教的な脱俗の態度というより、その美意識ゆえによるものです。塵ひとつない机、明るい窓のある居室、身も心も清浄に保つための一杯の清茗、文人の美意識を一語をもって言うならば「清」ということになると思います。「清玩」「清雅」「清幽」「清談」「清閑」「清貧」など、それらはすべて文人の姿に重なります。
 読書して、自己の心情や思想と同じものに出会った時、あたかも最良の友に出会ったように心が躍るものです。この快意のために文人は読書し続けるのではないでしょうか。知識を得たり、役に立つため研究するために読書は必要だと思いますが、ただ純粋に感動し共感をおぼえる言葉を探し求めるためにするのが本来の読書のあり方かもしれません。
 「自然」は、人が本来帰るべき故郷です。文明社会は有限の世界ですが、自然は無限に広がっています。俗世間を逃れようと思えば、自然は美しくそこに輝いており、我々を誘っているようです。きっと生まれ故郷のように温かく受け入れてくれるに違いありません。自然は最も清浄なる世界です。自然に思いを致すとき、心が洗われるような気持ちになるのはそのせいです。原初に立ち返るように身も心もそこに埋没してしまいたくなるほど、文人が愛してやまない世界、それが自然です。人は道に至ろうとするなら、自然に帰らなくてはなりません。
 「羲皇」というのは、古代中国神話に登場する神であり伝説上の帝王です。伏羲[ふっき]、宓羲、包犠、庖犠、伏戯などとも呼ばれます。姿は人面蛇身とされ、世を治めた天子であり、また神として崇められております。伏羲は易を創始し、木に文字を刻む書契を作って、それ以前の文字だった結縄[けつじょう](縄を結んで文字として用いた)に替え、男女の結婚の制度を定め、網を発明して漁猟の方法や木をすり合わせて火種を取る方法を教えたり、これによって人々は今までの野蛮な生活を終えたと言います。いわば伏羲は文化の創始者、発明者でもありました。また琴を作ったのもこの伏羲と言われております。漢代の人、蔡邕(一三三〜一九二)が書いた『琴操』という書に「昔、伏羲氏、之れ邪辟を御し、心淫を防ぎ、身を修め性を理(おさ)め、其の天眞に反る所を以て琴を作る」とあります。よこしまで悪い心を抑え、みだらな心を防いで、身をきちんとさせ精神を整えさせ、本来の道に返るために琴を作ったと言うのです。「天眞」とは道の意味あり、また自然のことでもあります。
 伏羲の在位は百十一年も続き、民は豊かに平和に暮らしました。この時の人々が自然のままに原始生活を送る「羲皇上の人」です。文人たちの憧れの生活が、伏羲の治世にありました。そもそもこの『醉古堂劍掃』の条は、『晋書』(中国六朝時代の歴史書)「陶淵明伝」(巻九十四列伝第六十四隠逸)によるものです。
 「嘗て言ふ夏月に虚閑して、北窗の下に高臥し、清風颯として至る、自ら謂ふ羲皇上人と」
 文明生活に嫌気がさし、田園や山谷へ隠遁しようとすれば、羲皇上人はその生活の典型となるものでした。羲皇上の人に憧れた文人は数多くおりますが、浦上玉堂もこの羲皇上のひとりです。

  閑中自詠
玉堂琴士一錢無  玉堂琴士一錢も無し
只有琴樽兼畫圖  只琴樽と兼ね畫圖有り
誰識獨絃黙對處  誰か識る獨り黙して絃に對する處
折衷太古伏羲徒  折衷す太古の伏羲の徒
(玉堂琴士は一銭もお金がない。ただ琴と酒と絵があるばかりである。誰が知るというのだろう、黙然としてひとり琴に向かい彈じているところ。太古の伏羲氏、神農氏、燧人氏らが聴いてくれるのだ。)

 朱熹(南宋一一三〇〜一二〇〇年)の詩に「四時讀書樂」というのがあります。季節によって読書の味わい楽しみを詠じたものです。朱熹もまた琴を善くした人でした。その中の夏の詩。

新竹壓檐桑四圍  新竹簷[のき]を壓して、桑四[よ]もに圍む
小齋幽敞明朱曦  小齋幽敞[ゆうしょう]朱曦[しゅぎ]明らかなり
晝長吟罷蝉鳴樹  晝長く吟罷[や]んで、蝉樹に鳴き
夜深燼落螢入幃  夜深く燼[じん]落ちて、螢幃[とばり]に入る
北窗高臥羲皇侶  北窗高臥す、羲皇の侶[とも]
只因素稔讀書趣  只読書の趣を素稔[そじん]するに因[よ]る
讀書之樂樂無窮  讀書の樂しみ、樂しみ窮まりなし
瑤琴一曲來薫風  琴を援[と]りて一奏すれば、薫風來たる
(新しい竹が檐をおおい、桑の木が四方を囲んでいる。この小さな書斎は静けさに満ち、陽光が明るく射し込んでいる。昼下がり、詩を吟ずるのをやめれば、蝉は梢に鳴き始める。夜更けには、灯火は燃え尽きて、蛍が帳の中に入ってくる。涼しい北の窓に寝転んでいると、羲皇の民となった思いがする。読書の趣を深く味わい、自然のままにいる。読書の楽しみ、その楽しみは窮まることはない。琴を引き寄せ一曲弾ずれば、薫風が書斎を訪れる。)

 現代の我々は文人に憧憬の思いを抱いておりますが、文人は羲皇上人に憧れていたようです。








伏羲坐像圖



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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