―賞琴一杯清茗― 第三十二回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の三十    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇七年一月号第五九三号掲載

「影を寒窗に抱きて、霜夜寐[いね]ず、松竹の下を徘徊すれば、四山月白く、霜は氷柯に墮つ。相與に李白の靜夜思を詠ずれば、便ち冷然たる寒風を覺ゆ、寢に就き復た蒲團に坐し、松端より月を看、茗を煮て談を佐[たす]け、此の夜樂を竟[を]ふ」

月明かりが窓より入りきて、霜の降る寒い夜に眠ることができない。庭に下り立ち松竹のあたりを歩き回れば、四方の山に月は白く冴えわたり、霜は氷れる木々の枝におりている。ここで友とともに李白の「靜夜思」を吟詠するのである。寒風は冷たく身にしみ通る。やがて室にもどり寝台の布団に坐して、窓の外の松の葉末にかかる明月をながめる。茶を煮て友と喫すれば、夜話はずむ。これにて夜半の楽しみは尽くした言うべきであろう。

 寒い夜に庭に下り立つのは酔狂きわまりありません。しかしそこに月明かりが地面に霜がおりたように白く光っていたら、下りずにはいられないでしょう。なぜならまさに李白の名吟「靜夜思」を思い出さずにはいられない風景だったからです。

  靜夜思
牀前看月光  牀前月光を看る
疑是地上霜  疑ふらくは是れ地上の霜かと
擧頭望山月  頭[かうべ]を擧げて山月を望み
低頭思故郷  頭を低[た]れて故郷を思ふ
(静かな夜更け、寝台から外の月明かりの風景を見る。あまりにも白いので、地上に降りた霜ではないかと疑ったほどである。光をたどり頭を上げると、山の端に月が輝いている。その月を眺めていると、頭はうなだれ、故郷のことが思い出されるのである。)

 他郷を放浪し、望郷の思いにひたる切ないまでの李白の姿が眼前に見えるような詩です。しかし李白の詩はこの条のように霜夜ではなく、月明かりに地面が反射して霜が降りたようにキラキラ光っていたというのです。また李白は室の中から寝台に坐って窓の外をながめていました。二人つれたって庭に下り月夜と霜夜を味わおうとしたのは、二人は詩友で「靜夜思」の詩の世界を追体験しようとしたからでしょう。友と詩を吟じ合い同じ思いに到るというのは芸術的な幸福なひとときです。
 それにしても寒風は冷たく吹きすさび体は冷えきっていきます。暖かな部屋に戻って香り豊かな茶を煎れます。寝台に坐り直し、ふたたび窓外の月をながめながら喫する茶の馥郁とした美味しさ。かしこまらずあらたまらず、気心知れた友と歓談し清談する。特別にしつらえた茶室で茶を喫するような張りつめた緊張感などなく、一日の大半を過ごす書斎で一隅にしつらえた榻(長椅子兼寝台)に坐して茶を喫する。抹茶とは違って煎茶の醍醐味とはいかにリラックスして茶を喫するかにあるのではないでしょうか。夜遅くまで、茶を媒として友と語り合う幸福。茶はお酒のように前後不覚に陥ることなく、適度の礼節を守ることで友との語らいがいつまでも心に余韻として残ります。

「夜寒く小室の中に坐し、爐を擁して閑話し、渇すれば則ち氷を敲[たた]きて茗を煮、饑うれば則ち火を撥して芋を煨[あぶ]る」

夜の寒さが沈々と身に沁むころ、小室に坐して炉を囲んで友と談笑し、喉の渇きをおぼえれば、氷を割って湯缶に入れ湯を沸かして茶を煮立てる。空腹をおぼえたなら火をかきおこして芋を焼いて食らう。

 この条も冬の寒夜の清楽のひとときを述べています。
わざわざ名水を汲んできて茶を煮たり、遠い地から最高の甘藷を運んできたりするのももてなしの心のあらわれと言えますが、それを自慢したり押しつけたりするとかえって客は恐縮しかしこまってしまうものです。それでもそんなもてなしを客はよろこび有り難がり、主人は優越感に満たされることもあるでしょう。要は主客ともに満悦することが大事です。
 ここは何よりも共に語り合うことが楽しく、かつ心満たされるものとしてわざとらしいもてなしは無用というのがうかがえます。ぞんざいに窓辺の氷や氷柱を取って砕いて火にかけ、平生に飲む茶を煮、秋に収穫して貯蔵しておいた芋を食す。そんなもてなされ方をしても、客は別に気にもとめず不満を言うわけでもなく、満悦してもてなされるままにいます。主人もいつものことで、ごく自然にふるまっているだけのようです。上下関係もなく主客対等にして礼儀などただわずらわしいだけで、炉を囲み茶をすすり芋を食し清談する。そんな友と寒夜を過ごすことは人生においてかけがえのない一時と言えるでしょう。この条は短いながらも、文人の普段どおり生活にあって、時として来訪する友と語らう愉悦の時がよくあらわれていると思います。渇すれば茶を喫し、饑うれば芋を食す、というのはどこか禅的なものを感じますが、決して沈黙はしていません。なごやかにいつまでも会話が続いています。清談の内容は、文学のこと芸術のこと人生のこと、そして時事のことまで及ぶでしょう。前回に書いた玉堂と竹田の語らいが想い浮かばれます。
 琴曲に「雪窓夜話」という曲があります。十段に分かれそれぞれ標題がついており、曲の趣向を表現しています。「同雲蔽天」(雪を含んだ雲が空を蔽い)「積雪盈野」(積雪は野をいっぱいに満たす)「虚窗下榻」(窓の下に榻を置き)「小閣懸燈」(小さなたかどのに灯りをともす)「聲寒折竹」(雪の重さで竹が折れる音が寒々と聞こえ)「影亂飛花」(月の影が乱れ雪が花のように飛び散る)「吟安景象」(この景色を吟じて安んじ)「句就推敲」(詩句について推敲をする)「呼童掃雪」(童子を呼んで雪かきをさせ)「[艸+熱]鼎烹茶」(鼎に火をかけ茶を烹ず)。寒夜の庵でなごやかにゆったりと清談する文人たちの情景は、詩になり画になり、また音楽にもなるものです。








雪堂客話圖 夏圭 南宋代(北京故宮博物院藏)



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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