―賞琴一杯清茗― 第二十七回
 
『醉古堂劍掃』と文人 其の二十六    伏見 无家


全日本煎茶道連盟『煎茶道』二〇〇六年八月号第五八八号掲載

「園花時を按[あん]じて開放す。因りて其の佳稱[くわしょう]に即いて、之を待つに客を以てす。梅花は索咲[さくせう]の客、桃花は銷恨[せうこん]の客、杏花[きゃうくわ]は倚雲[きうん]の客、水僊[すゐせん]は凌波[りょうは]の客、牡丹は酣酒[かんしゅ]の客、芍藥[しゃくやく]は占春[せんしゅん]の客、萱草[けんさう]は忘憂[ばういう]の客、蓮花[れんくわ]は禪社[ぜんしゃ]の客、葵花[きくわ]は丹心[たんしん]の客、海棠[かいだう]は昌州[しゃうしう]の客、桂花[けいくわ]は招隱[せういん]の客、菊花は東籬[とうり]の客、蘭花は幽谷の客、酴醾[とび]は清叙[せいじょ]の客、臘梅[らふばい]は遠奇[ゑんき]の客、須[すべか]らく是[この]身閒[かん]にして、方[まさ]に稱して主人と爲すべし」

庭園の花は時宜を得て咲き開くものである。だからそれを待って佳き名前をもって客人とすべきである。梅の花は「索咲の客」、桃の花は「銷恨の客」、杏の花は「倚雲の客」、水仙は「凌波の客」、牡丹は「酣酒の客」、芍薬は「占春の客」、萱草は「忘憂の客」、蓮花は「禅社の客」、葵花は「丹心の客」、海棠は「昌州の客」、桂花は「招隠の客」、菊花は「東籬の客」、蘭花は幽谷の客、酴醾は「清叙の客」、臘梅は「遠奇の客」である。なすべきこととして、自分の身も清閑であってはじめてこれらの客人を迎えられる主人といえるのである。

 煎茶道に、盛物の飾りについて文人画の画題を用いて「謎語画題」というのがありますが、この条はそれと少しばかり趣の異なったものとなっております。
 梅花は「謎語画題」に仙姿[せんし]、玉骨[ぎょくこつ]、歳寒、一枝の春、萬玉玲瓏、香雪(『煎茶道手帳』より)とありますが、「索咲」というのは、まだ春浅いころ梅花を探し求めるところからきています。
 桃の花は、唐の玄宗皇帝が、桃花を見ると恨[かなし]みを銷[け]すといった故事によるものです。銷恨花は桃花の異名となっているものです。
 倚雲は唐の詩人高蟾の「上高侍郎」の中にある句によるものです。

天上碧桃和露種 天上の碧桃 露に和して種[う]ゑ
日邊紅杏倚雲栽 日辺の碧杏 雲に倚[よ]りて栽[う]ふ
(天上の碧桃は露に湿って植わっており、日の近くの赤い杏の花は雲に寄りかかって植わっている。)

 水仙は、「謎語画題」に「歳寒、供寿、献瑞[けんずい]、仙客、凌波仙子」とあります。凌波仙子というのは、宋代の詩人黄庭堅(一〇四五〜一一〇五)の詩、「王充道送水仙花五十枝欣然会心為之作詠」(王充道が水仙花五十枚を送りきたる、欣然として心に會す、之が爲に作り詠ふ)の句の中の、

凌波仙子生塵襪 凌波仙子 塵襪を生じ
水上盈輕歩微月 水上に輕く盈ちて 微月に歩む

 によるものですが、抑[そもそ]も凌波仙子とは、『三国志』で有名な曹植[そうしょく](一九二〜二三二)が書いた『洛神賦』に、波の上を軽やかに歩む洛水の神女宓妃[ふくひ]に因んだものと言われます。
「その姿かたちは、不意に飛びたつこうのとりのように軽やかで、天翔る竜のようにたおやか。秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。うす雲が月にかかるようにおぼろで、風に舞い上げられた雪のように変幻自在。遠くから眺めれば、その白く耀く様は、太陽が朝もやの間から昇って来たかと思うし、近付いて見れば、赤く映える蓮の花が緑の波間から現われるようにも見える。肉付きは太からず細からず、背は高からず低からず、肩は巧みに削りとられ、白絹を束ねたような腰つき、長くほっそり伸びたうなじ、その真白な肌は目映いばかり。香ぐわしいあぶらもつけず、おしろいも塗っていない。豊かな髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。朱い唇は外に輝き、白い歯は内に鮮やか。明るい瞳はなまめかしく揺らめき、笑くぼが頬にくっきり浮かぶ。たぐい稀な艶やかさ、立居振舞いのもの静かでしなやかなことこの上ない。なごやかな風情、しっとりした物腰、言葉づかいは愛らしい。この世のものとは思われない珍しい衣服をまとい、その姿は絵の中から抜け出してきたかのよう、きらきらひかる薄絹を身にまとい、美しく彫刻された宝玉の耳飾りをつけ、頭上には黄金や翡翠の髪飾り、体には真珠を連ねた飾りがまばゆい光を放つ。足には「遠遊」の刺繍のある履物をはき、透き通る絹のもすそを引きつつ、幽玄な香りを放つ蘭の辺りに見え隠れし、ゆるやかに山の一隅を歩んでいく。」(有坂文訳) 
また京劇の演目「虹橋贈珠」[こうきょうぞうしゅ]に凌波仙子は、女神と人間の恋愛劇として登場しています。
 牡丹は、その姿は豊艶で美人が酒に酔って酣[たけなわ]になっているようだから名付けたのでしょう。
 芍藥は、春をひとり占領してしまうほど美しいので、「占春」と名付けたのでしょう。
 萱草は、わすれな草。忘憂花は別名、薮萱草 [やぶかんぞう]のこと。玄宗皇帝は桃花と同じく、萱草は憂を忘れると言っております。『詩経』「国風・衛風・伯兮」に萱草は歌われています。

焉得諼草 言樹之背 焉[いづく]んぞ諼草を得て 言[ここ]に之を背に樹ゑん
願言思伯 使我心痗 願うて言に伯を思ふ 我をして心痗[や]ましむ
(どこかで諼草を手に入ることができれば、それを私の寝室に植えることができるのに。ひたすら夫を思い、私の心は憂うるばかり)

 諼草は萱草と同字。朱熹の注に「諼草、令人忘憂」(萱草は、人をして憂いを忘れしむ)とあります。萱草は別名が多く、ほかに療愁[りょうしゅう]、鹿葱、妓女、鹿剣、宜男草などがあります。懐妊の婦人がその花を佩[お]べば、男児を産むという伝説もあり、その根は漢方薬として利尿、止血、消炎に用いられています。
 蓮花は「謎語画題」に、浄友、花中君子、清客、とあります。清淡にして俗気がなく、仏典に登場するので禅社の客と名付けたのでしょう。
 葵花は、ひまわり、向日葵。ひまわりは太陽の方向にしたがい面を向けることから、忠誠にして偽りのない心、丹心の客と名付けたのでしょう。
 海棠は本来香りのないものですが、昌州(現重慶市大足県)にあるものは芳香があるので、昌州の客と名付けたのでしょう。
 桂花は優れた香りの花で、隠者を招き、また隠逸心を起こさせるので招隠の客と名付けたのでしょう。
 菊花は、陶淵明の有名な詩「飲酒」(「賞琴一杯清茗15」参照)から。
 蘭花は「謎語画題」に、幽香、幽客、君子、幽谷佳人とあります。唐代以前、蘭といえばフジバカマのことでした。衆草にまじりながらも王者の香りを放ち、君子の風格があります。
 酴醾は、白花の山吹のこと。その清らかな白さから清叙の客と名付けたのでしょう。
 臘梅は、初め遠国より寄送したか、遠方に思いを馳せる風情があるせいで名付けたのか、さだかではありません。
 このように花を迎え、鑑賞するためにはいかに自分が清閑でいられることが大切です。日々の忙しさにかまけていては、季節ごとに移り変わる花々に気づくことさえないかもしれません。まして客人として迎えるなど到底無理なことです。清閑でいるなら、おそらく向こうから訪問して来るに違いありません。







文人挿花 明代畫



笹川臨風校訂注訳『醉古堂劔掃』画像 国会図書館近代デジタルライブラリー



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